第17話 白く染まった瞬間

 クルドが主に中心となって子供達を孤児院に引き取らせた後、約束通りシウバが経営しているという店に案内させられた。あの横暴なシウバに飲食店なんか務まるのかと疑問に思ったが、どうやら料理の腕そのものは悪くないらしい……。


 ……と告げるのは、金色のショートヘアに澄んだスカイブルーの瞳を凛と輝かせたウエイトレスの女の子。なんでこんなかわいい子がシウバなんかの元で働いているのかかなり謎だったが、確かに目の前に出されたラーメンの味は確かに中々出汁が効いていて……。


「え?? こ、これラーメン……?」


 目の前でホカホカと湯気をたたせるラーメンとファンタジー異世界のミスマッチ感に思わず首を傾げる。不満そうに聞こえたのか奥で厨房に立っていたシウバが力強く麺を湯切り、かったるそうに答えた。


「あ? るっせぇなぁ…異世界ここの食いもん使ってんだからいいだろぉが」


「え?…ラーメン屋…? じゃ、じゃああんたって……」


「シウバはここに来る前“ニホンノラーメンテン”をやっていたそうなんです」


 ウエイトレスの子が付け足す。改めてスープを口に含んでみると、従来のラーメンより少しだけ酸味が効いているような…ラーメンなのは確かだが、少しだけ不思議な味がする。


「味は悪くないんだけどさ、本人の性格がこんなんだから全然客来ないんだってさ。だから毎日赤字なんだよね? シウバ」


 横にいたクルドが厨房のシウバを指さして揶揄う。嘲笑に歪んだ生意気な顔面に湯切ったばかりの麺が飛んでくる。


「あっっつ!! ちょっ! 何すんのよっ!!」


「わりぃ〜替え玉サービスしてやろうって思ってなぁ?」


「だ、大丈夫? クルドちゃん」


「ふぎゃっ!? なんで熱々のおしぼりで拭くのさレイ!!!」


 ーーアホばっかだな……。


 ため息混じりに麺を啜るイブキ。ガヤガヤと騒がしい店内を沈めたのは、ドアに付いていた呼び鈴の音だった。


「あっめずらしい……」


「いらっしゃいま……??」


 開いたドアにオドオドとした様子で張り付く人影に思わずウエイトレスの子は固まる。それもそのはず。こんな夜遅くに、こんなガラの悪い店に幼い少女が1人でやってきたのだから。


「……ッ!!」


 固まる一同の中、イブキだけが椅子をガタンと引いて立ち上がり、その少女の名前を叫んだ。


「ゆ、ユーミ!?」


 特徴的な紺色の団子髪に大きく、少しだけつり上がった髪と同じ色をした瞳……。横でぽかんと口を開けたクルドよりも小さいであろう少女の姿を、イブキは覚えていた。


 イブキと目が合うなりテトテトと彼の元へ向かうユーミ。震える小さな手で掴んだ真っ白な花を3本程彼の胸に押し付け、蚊の鳴くような声で告げた。


「あ…あの……これ…………」


「き、君……! どうしてここに!?」


「ユーミ…を……2回……助けてくれた……お礼………なの…」


「2回……? 1回目だって俺はただ……」


「うけとって……くれないの…………」


「ご、ごめん! ありがとう! でも……2回って……?」


「よこのおねぇちゃんも……たすけてくれた………なの…………」


「へ? わたしも貰っていいの!? やだなにこのこちょうかわいいすごいっっ!!」


 ーー先生も貰ってる…? 過去に面識があったようには見えないし……。


 二人の間を縫って、後ろでぽかんと口を開けていたクルド、シウバにも同じように花を渡す。イブキと同じように、クルドにはもう一輪花を多く添えてユーミが続けた。


「あの……あの時の……優しいおねぇちゃん………なの…」


「うんにゃ? あたしはいつでも優しくてかわいいけど……どっかであったっけ? キミ」


「作った貸し忘れるとか…らしくないねぇじゃねぇか? クルドォ」


「いや、ほんとに記憶なくてさ……でも…その目ん玉の色は最近どっかで見たようなきもするんだよねぇ〜。えへへ、愛いやつめ」


 クルドは不思議そうにユーミの頭を撫でる。暫く考え込んだ後、飲み込み顔で答えた。


「そっか…多分キミさ、あの時森で死にかけてたちっちゃい狼で……なんとか逃げた後…あのゴロツキ達に捕まったって感じかな?」


 コクコクとユーミは頷く。その奥から、珍しいものを見るようにシウバが顎に手を当てて彼女を観察し、腑に落ちない様子で問う。


「あん? どーこが狼だぁ? どーみても10とかそこらのガキンちょじゃねぇか」


「うんにゃ。あたしも詳しくは無いんだけど…獣人の中でもたまーにヒトと獣の二形態を行き来出来る種がいるとかなんとか……珍しいってことでけっこー売ると高いとか…」


「お? そいつァいいなぁ!」


「ちょっとシウバっ!! 怖がってるでしょ!」


 持っていたお盆でシウバの頭を叩いたウエイトレスの女の子。シウバの反応が意外と穏やかだったのを見る限り、彼らの付き合いは短くは無いらしい。


「いってぇなおいエイルゥ! ジョーダンに決まってんだろーが!!」


「顔がマジなのよ! 夢に出てきそうなその強面が!」


「おい! そりゃねぇだろうが!!」


 --こ…この子……思ったよりアグレッシヴ……。


 さっきまで丁寧に接客していたはずのエイルと呼ばれた少女のギャップに呆気に取られている他所で、ユーミの髪を愛らしそうに撫で回していたクルドがしんみりと呟いた。


「君はさ…いい子なんだからさ、あたし達みたいな危ないとこ来ちゃダメじゃんか。助けたのだって……こういうのもなんだけど……ついでみたいな感じだったしさ」


「お、おい……クルド……その言い方は……」


「事実じゃんか……それに下手に懐かれてこの子が龍小屋あたしらと深く関わり持ったら……」


「で、でもこの子はこの歳で大切な人を殺されてひとりで……!!」


「ま…こればっかはクルドのが正しいわな。癪だけどよ」


 グラスに注いだ酒をグイッと呑み干し、シウバが会話に割り込んでくる。ほろ酔いのせいか、少しだけ赤らんだ頬に、カウンターを拭いていたエイルが呆れたように嘆息するも、まるで気にもとめずに続けた。


「大切な人が死んだ隙間を皆で埋めてやろうぜってハラか? 自分の立場思い出してみろ。いつ死んでもおかしくねぇ立場にいて、簡単に人の支えなるなんて言うもんじゃねぇぜ?」


「お前に……お前に何がわかるっ!!」


 カッとなったイブキが突如声を荒らげ、シウバの胸倉を掴む。イブキよりも大きく屈強な肉体と精神力を持つ彼は、目の前で仔犬のように犬歯を剥き出して威嚇する黒い髪の若者に全く動じることなく、寧ろ試すような口調で問いかける。


「んじゃあ……おめぇにゃ、なんかわかんのか? 大切な人が消えた心境っつー奴をよ。おめぇにゃできんのかい? この俺を相手にしてでも、奥にいるガキんちょを守るっつーことをよ」


「……っ!!」

 --畜生……!! 畜生! 畜生っ!!! なんなんだよ!! あんなに可哀想な子を守りたいって……支えになりたいっていう気持ちをなんでここまで否定されなきゃいけねぇんだよっ!!!!


 シウバに背を向け、憮然とした様子で俯く。心配そうに駆け寄ってきたレイに『帰ります』とだけ告げて、店のドアに手をかける。


「野暮ったいのはいいけどよォ……ちったぁ大人になっとけ。世の中、そんくらいに不幸な奴なんざいっぺぇ居る。全部救いたきゃ精々俺も……そこの“炎桜”も全部ぶち殺して“優しい世界”でも願えや」


 シウバの一言がトドメとなったか、イブキは勢いよくドアを開け、走っていった。慌ててレイも彼の後を追いかける。残ったクルドは肩をすくめ、シウバは酒を口に含んでから再びお盆でエイルに叩かれた。


「いってっ! おめぇ叩きすぎだろぉが!!」


「あそこまで言うことないじゃない! 人を救いたいって言う気持ちは誰にだってあるんだから!」


「いーんだよ! あれくれぇ青い奴ァ! あんなによえーのがなんか守りながら戦えるわけねぇだろぉが! そこをわかってねぇから現実って奴を俺は……!!」


「そうだったとしても追い討ちかける必要ないじゃない!!」


「あーもううっさいなぁ客がいる前でさ……あたしもこの子連れて帰るよ。んまぁ……今から行けばギリ孤児院空いてるだろうし……」


 ユーミの手を取って立ち上がるクルド。『もう来んなよこんにゃろう』という冗談を、舌を出してあしらってから店を後にして、すっかり暗くなった夜道を歩き始める。


 ピタリと少しだけ後ろで立ち止まるユーミ。俯き、もじもじと何かを言いたげにフリルの付いた紫色のワンピースの裾を掴む彼女の様子を察してクルドはしゃがみ、視線を合わせた。


「ん? どしたの?」


「あの……あのお兄ちゃんに……ちゃんと…………おわかれする…………なの」


「そっか……んじゃさ、急がなくっちゃだし一緒に走れるかな。アイツのとこまで」


 ユーミはこくりと頷いてから四つん這いになって身体を震わせる。紺色の体毛が身体を包み込む小さな狼へと姿を変えてから、クルドの方を振り向いて再び頷いた。


「うんにゃ……いこっ!」


 少女と子狼は夜道を駆ける。進む方角に迷いはなく、細くて小さい背中には気高き“芯”があった。



 *********



「い……イブキ君……探しましたよ……!!」


「先生……」


 名前も知らない泉の畔で佇んでいたイブキの横に荒い呼吸のレイが並ぶ。女の子が駆けつけてくれて内心嬉しかったが、わざとらしく視線を逸らしては不貞腐れたように答えた。


「分かってますよ……俺はどーせ子供一人救えない雑魚で、ちゃんとした願いも決まってねぇから弱いまま……。そんなやつがなんでこんなとこ来なきゃなんないんだって話っすよね……」


 泉に小石を投げつける。水面に映った彼の泣きべそ顔が一層醜く歪んだ。


「そ、それでも……イブキ君の言ってることは間違ってはなくて……あっ! 弱い事が間違ってないんじゃありませんよ!? 正しい事を言ってるって言うか……えーっと…」


 桜色の頭をポカポカと叩くレイの間抜けさに思わず吹き出してしまうイブキ。直ぐに顔を隠したが、レイはその様子を見逃さなかったのか、ビシッと指さしてから跳ねた。


「あーっ! 今笑いましたよね? 絶対今笑いましたっ!!」


「わ、笑ってねぇーっすよ……」


「いや笑ってましたって! いいですか!? わたしだってちゃんと慰めたかったんですよ? なんで変なとこで笑っちゃうんですかー!!」


「そ、そんなん俺に言われても……」

 ーーあーだめだ……。どうして俺はこうも…………。


 イブキの目からポロポロと涙が流れてくる。なんとかレイに見られないよう自身の腕に顔を突っ伏す。そんな彼の努力を一瞬でぶち壊す様にレイがえずく彼の肩を叩き、それはとても明るい声で暴露した。


「あっ! イブキ君! 泣いてる場合じゃないですよぉ! かわいいのが2人もっ! こっちに向かってきてますっ!!」


「察して!? そこはさぁ!!」


 トマトのように顔を赤らめたイブキが、羞恥心を振り切るように立ち上がって突っ込む。奥の方から『なーんだ、元気じゃんか』と生意気な声が聞こえた。


「ほら! こーやってこんなにかわいい2人がイブキ君を心配してくれてるんですよ?」


「え? あたしは単純にイブキが泣いてる顔久しぶりに見たかったというか……」


「……くすぐられたいのか?」


「じょ、じょーだんだってばっ!! んまぁ……この子がさ、言いたいことあるって言うから優しくてかわいいおねーさんたるあたしは保護者になってあげよっかなーって……」


「どうしたんだ…? ユーミ…」


「し、シカトすんなよっ!!」


 両腕を伸ばして叫ぶクルドを差し置いてユーミと視線を合わせる。相変わらずフリルに手を置いてもじもじと思い惑う様子の彼女は、固く閉ざされた口を開き、一生懸命に話し始めた。


「あ、あの……おわかれ……いおうと思った……なの……」


「……え?」


「ユーミ……もう1人でも……だいじょうぶだよって……お兄ちゃんに言わなくっちゃって………青い髪のおねーちゃんに……言って……」


「で、でも……それだと君はまた1人に……」


「こじいんは……おともだちも出来る……なの……前に進まないと…なの」


「そ、そこでできるなんて保証は…!」

 ーーどこの誰かさんみたいに友達も作らず一人で……なんてな。


 紺色の瞳は決意に満ちていた。自信なさげにフリルの裾を摘んでいた両手はそっとイブキの右手を包み込む。


「んまぁ……この子もけっこーしっかり者みたいだしさ、そこまで心配すること無いんじゃない?」


「最後に、みんなで送って行ってあげましょうよっ! きっと孤児院の人も優しい方ですよ!」


 クルド、レイの手引きもあってか、イブキは立ち上がるなり、『そうだな』と呟く。彼の周りを囲むようにあゆみ始める女子らを見て、かつてのシューゲツと自分を重ねた。


 ーーシューゲツ……。どうかユーミを護ってやってくれ……。



 声に出さなかったイブキの願いに応えるよう、星々が散らばる夜空の中、水の奔流の様に蒼く煌めく流れ星がきらりと夜空を横切った。



 **********




 --綺麗だ……。




 ユーミの手を握ったまま、イブキは固まっていた。


 孤児院に到着する前、イブキは終始ユーミに視線を移してはそわそわと落ち着かない様子だった。見兼ねたクルドに『そんなに不安なら孤児院の人に直接手厚くしてくれと言いに行けばいい。多分笑われるよ』とからかわれ、上等だ糞野郎と啖呵を切っては、半ば殴り込むような思いで孤児院のドアを叩く。


「あっ……は…はーい……!」


 どこからか返事が聴こえる。今まで聞いた事のないようなか弱くも、健気に通る声色。


 門が開き、孤児院の外観が明らかになる。古いのか新しいのか、清潔か不潔か気になっていたイブキ。始めこそ外装に目を通していたものの、すぐに視点は一点に集中され、固まった。


 理由はたったひとつ。だった。


 ユーミは不思議そうにイブキを見上げる。


 まるで金塊の山でも発見した冒険家のように口を半開きにさせ、硬直する彼の頬をぺちぺちと叩く。


「………おんなのひと……こまってる……なの」


「……はっ!? お、俺は……!!」


「おにぃちゃん……かたまってた……なの……」


「え!? な、なんで俺が固まちってんだ?? そんなわけねーだろーーユーミーィー!?」

 --いやちょっまて! 変な事言うなおいっ!! 初めて見た女の子に見惚れたとか!! まじでほんとキモいって思われるからっ!!


「あの……どうされました?」


「は、あふぉあいっ!!」

 --お、おお!! しゃべったぁ!! しゃ……喋るんだぁ……。


 川のせせらぎのように囁かで透明な声に揺らされるようにイブキの心臓は鳴り響く。直立不動のままプルプルと痙攣する彼に向けて少女は続けた。


「もしかして……新しい子…ですか…?」

 --おお……おおおお…………


 少女の表情が綻ぶ。閉じていた真っ白な翼が惜しみなく開かれたように。王族の冠の中心に嵌め込まれたルビーのように赤々と煌めいた双眸は、少しだけ哀しそうにユーミに視線を落とす。


「お…俺……その…………俺が……じゃなくて…………う……っスゥ…………」


 声が出せない。夢の中のように身体が言うことを聞かず、心のみならず肉体から本能、全神経の全てがその少女に釘付けにされていた。


 問いかけに答えるべく、固まる身体を無理矢理動かしてなんとか頷く。少女はこちらに歩を進め、目の前に迫る。全体的に暗い色をしたユーミの衣装とはまるで対照的な雪のような白い腕で彼女の髪を撫でた。


「今日は…特に新しい子が多くて……」


「……はぃや……い……」


 3人の間に、一時の風が吹き渡る。はためくように揺れる少女の滑らかな銀色の髪と、肌と同じ色をした純白のワンピース……。


 その神秘的な姿に射止められたイブキは、思わずのんでしまうと同時に何故だか少しだけ、既視感を感じていた。


 ーーこの子……どこかで…いや、こんな綺麗な子…一回でも会ったら絶対忘れないはずだッ!! でも確かに……


「あの……どう…しました?」


「うあじゃおッ!!??」


 険しい表情で固まっていた自分を心配そうに覗き込んでくる彼女と至近距離で目が合い、間抜けな声で飛び跳ねる。


「ご、ごめ…なんでも……だいじょ…っす…」


 わざとらしく視線をそらし、直立姿勢で答えるイブキを不思議そうに見つめながらも、隣のユーミの頭を撫で、彼女を安心させるようにほほ笑む銀髪の少女。


「では……うちで預かっておきます」


 瞬間、思わずユーミから手を離してしまう。そんなイブキに寂しそうにこちらを振り向き、イブキの服の裾をつまむ彼女を見てハッと我に返った。


「あっユーミっ!!」


「おにいちゃん………ユーミは……へいき……」


 --俺は……何してんだ……!! 確かにちょっとは見惚れちゃったかもしんねぇ……でも俺は言うぞ……ユーミの為にも……言わなきゃいけないんだ……その為に俺だけがこうして目の前に立ってんだっ!!


 グッと拳を握り、下唇を噛み締めてからもう一度女性を見る。突然向けられた覇気のある表情に彼女は僅かにびくりと身体を退かせる。思わず『いかないで』と呼び止めたくなったが、押し殺し、先に伝えるべきことを声に出した。


「こいつを……ユーミを……お願いしますっ!!!! ひとりに……しないでやってくださいっ!!!」


 汗と緊張でぐちゃぐちゃになった顔を隠すよう、渾身の勢いで頭を下げる。ほぼ直角に曲がった彼の一礼を、少女はなにか不思議なものを見るように口を手で覆う。顔を上げるタイミングを失い、曲げたままプルプルと体を揺らすイブキ。頭上からクスクスと夜空に消え入りそうな声が聞こえる。


 少女の声だった。滑らかな銀色の髪が、振動する身体に合わせて揺らめく。決して悪意の見えない純粋なクスクス笑い。


 イブキ的は彼女が何故笑っているのかイマイチ分からなかったが、その笑顔は彼が今まで見てきた中で最も美しく、この先これ以上のものに出会うことは無いだろうと盲信する程には、彼の脳裏に焼き付いていた。


 笑い尽くした少女は真紅に染まった瞳に溢れていた涙を指で拭い、真っ直ぐにイブキを見つめた。


「はい。任されました…!」


「ばいばい……おにいちゃん……なの」


 続くユーミの顔付きは決して寂しそうには映らなかった。人よりも動物に近い存在のユーミの事だ。恐らく本能で女性の優しさに気づいたのだろう。イブキもそんなユーミの様子を見るなり『この人なら大丈夫だ』と静かに頷いた。


「ま……また……っ!!」


 惜しみながらも、そろそろ帰らねばと別れを切り出す。混乱していた事もあり、意図していなかった言葉がポロリと漏れてしまい、また固まる。


 --『また』って……まるでまた会いたいって言ってるようなものじゃねえか!! そんなの気味悪いだろ……初対面の女にそんな……。


 やってしまったと頭を抱えるイブキを見て再び静かに笑う女性。そっとユーミの肩に手を置いてから透き通るような美声で答えた。


「はい。また……」




 一目惚れ──。いつの間にか彼は、名前も知らないひとりの少女に彼の心は奪われてしまった。



 ーーいや……でも俺は確かにこの人とどこかで……!!




 2人と別れたあとは、何も考えられず、ただボーッと抜け殻のようにとぼとぼと歩みを進める。


 そんなイブキの様子に、予想通りだと言わんばかりにフードの奥でニヤニヤと悪意に歪んだ表情でほくそ笑む少女。彼の肩を叩くなり、馬鹿にした声で聞いてくる。


「ね? 笑われたでしょ? 馬鹿じゃないのって」


 イブキはただ虚空を見据えながらぽつりと一言呟いた。


「俺……あの人と一回…夢で……」


 わけも分からないほどにまで満たされたような彼の表情に、クルドは『なんだこいつ』眉をひそめるのみだった。

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