第2話 異界の地と植え付けられた使命 臆病な龍は黒狼と踊る

 爛々と青々しい空に浮かぶ太陽のような恒星。それはひたすらにぼーっと佇んでいる一人の男をもジリジリと照りつけていた。


 わけも分からないまま光の洗礼を受ける瀧澤威吹たきざわいぶき。よく分からない夢から醒めてから暫くの間その場から動かず、ぼーっとした頭で奇怪な背景を見渡す。


 ここは見知らぬ森の中。頭上には見たことも無い奇抜な形をした鳥類が飛び交い、右手には異様に太い1本の蔓が、何かに絡みつく訳もなくひとりでに渦を巻き、アンバランスに自立している。


 左手にはハエトリグサといった大口を空けて獲物を待ち構える化け物のような異形の植物が、イブキが知っているサイズの何倍……いや何十倍もの大きさを以って生えている。


 ここはどうやら、自分が元いた世界とは別の場所にある場所だという理解に行き着いたのは、頬を抓ってみたりもう一度目を閉じてみたり、様々な“夢の可能性”を潰したあとの話。


 異世界への召喚……。誰もが一度は夢見たそれを今まさに、自分自身が体験しているということで結論が付き、今まさに呆然と立ち尽くしていると言ったところだった。


 それだけに留まらず、イブキの頭にはもうひとつ、明らかに自分のものでは無いとある“使命感”が彼を駆り立てようとしているようだった。


 自分の脳内で漠然と漂う“存在しないはずの記憶”。


『俺の身体は龍そのものとなり、自分と同じ存在の者と戦わなければならない』という自分自身でも意味のわからない奇怪な記憶。


 いったいいつどこでそんな物騒なものを仕組まれたのかまるで検討もつかないどころか、喧嘩は愚か、人と関わることを極限にまで避けていたイブキ。


『じゃあいったい誰の感情なんだ?』や『あの夢の後……俺は一体何をされた!?』だとか『あれはそもそも夢なのか?』、『夢に出てきた綺麗な子はここにいるのか?』などといった無限に湧いてくる疑問の数々は、棒立ち期間中『1度考えるのをやめる』というある意味、爆発寸前の自身の脳のことを考えれば最適解だろう結論で無理矢理考えないことにした。


 だからといって、周りの植物と同じようにぼーっと揺られ続けているわけにはいかない。唯一彼が努力した高校受験の対策法のひとつとして塾講師が仰った『分からないことが多かったらまずは1番近くにある問題に視点を絞れ』を思い出し、とにかく現在をどう乗り切るかだけを考える。


「これ……やばくないか?」


 かなり危機的な状況に陥っていることが自分でも理解出来ていた。そもそもこの森に対して一切の知識を持ち合わせていないイブキ。


 なんだかよく分からない世界のよく分からない場所で万年インドア派の丸腰男がひとり……。無機質に字面で書き記してみれば、この状況の絶望感がより一層際立つに違いない。


 奇怪な夢だとか、植え付けられた謎の記憶だとか、そんなことを解明するより先にこの森を抜け出し、人間を頼らなければならない。


 殆どヒトと関わることをしなかったイブキも、今回ばかりは自分と同じ同胞の慈悲に賭け、叫んだ。


「お、おおおおいい!!!! 誰かいませんかーーー!! ……だっ!誰かーーーー!!!!!!」


 間抜けなイントネーションで助けを叫ぶ。これでも、普段から大声をあげることの無いイブキにしては、一生懸命頑張った方だが……。


「い、居ないんですかーー!! ぉおおぉい!!」


「ハァ…ハァ……全然ダメじゃねぇか……」


 叫び疲れ、半ば諦めかけながらぼやくイブキ。


「畜生……ほんとに異世界だとしたら……なんか…妖精とかいないのか?」


 半ば諦めかけ、横にあった大きな丸太にどさりと腰をかけようとした時、ガサガサと草むらの揺れる物音が、一箇所……でなく様々な方角から聞こえてくる。


「おぐッッッッッッ!!!!」


 情けない呻きとともに丸太に隠れる。


 本能だった。本能でこの音源の存在が、少なくとも言葉の通じるような人間ではないことは察知がついていた。


 ぅぅぅぅうううううううぅぅぅぅ……


 グルルルルルルルル……


 イブキの察知は正しく、誰が見ても間違いのない“ケダモノ”達が、ヨダレを垂らしながら彼を睨み付けていた。


 背丈は大型犬程度だろうか。4本の足に力を込め、汚れをそのまま洗い落とさずに、自身の体色として定着させたかのような薄汚い黒色の体毛をブルブルと逆立てている。


 恐らく元いた世界で言う狼の類だろう。ただ一つだけ明らかに違うのは、黒紫色に輝きを放つ大きな1本の角が、奴らの眉間から天を突く様に生えている事だった。


 今かいまかとイブキの動き出すタイミングを図っている様を見るに、ただのお粗末な狩りではなく彼らの“ボス”によって指揮された、組織的な“狩猟”であることが分かった。


「おおおう……収まれ? お、俺は……違うぞ? 俺は違うぞ?」


 頭が混乱する故、そいつらに対して何故か“俺は違う”と弁明するイブキ。


 どうどうどう……と宥めながら後退り。腰がくの字に曲がり、動物相手に小声で『サーセン…サーセン…』っと連呼する様は、喜劇ならば笑いを取れたかもしれない。


 ドズッ! かかとが何かに引っかかった。さっきまで座ろうとしていた丸太だ。膝がカクリと曲がり、尻から豪快に後ろへ翻る。


「おわッ!!」


 芸術的なまでの大転倒。瞬時に尻の辺りがじんわりと濡れてくる。土が帯びていた水分が滲み出して来たものだろう。


 そんな間抜けすぎる隙を、本能剥き出しの野生動物が逃すはずもなかった。


「わ、わあああああああああああ!!!!!!」


 狼共が飛びかかってくる。これは死ぬな。しかも信じられない程の痛みに悶えながら……。そんなことを考えながら、そいつらがイブキというお肉に飛びかかってくる様をいっそ俯瞰的に見ていた。


 ──追えていた。


 --あれ?


 ざっと3匹、イブキに飛びかかってきた狼の数である。過酷な環境で鍛え上げられた狼の脚力は、ぬかるんだ地面ですらバネに変えて蹴りあげ、驚異的な瞬発力を持っていた。


 少なくとも、今まで凡人をやっていたイブキならば、絶対に見切れるはずのない芸当。それを彼は今、確実に目で追いかけていた。


「ああああぁぁぁあああああ!!?」


 ひっくり返った姿勢のまま身を転がし、勢いで立ち上がる。着地点を失った狼らは互いに衝突し、ギャン!という悲鳴をあげてそれぞれ派手に転がった。


 他の狼達も驚いたように硬直するが、1番驚いていたのはイブキ自身だった。体操メダリストもびっくりな柔軟な受けこなしを、無意識に行ってしまったのだから。


 ーーなんだ……? 時間が一瞬遅くなったみたいに……こいつらの動きがわかったぞ!?


 再び“奴ら”が来る。今度は5頭。黒ずんだ鋭利な牙。今度こそこいつの餌食になってサヨナラだろう。そう思った頃には、またもや脳内でこれをかいくぐる手段が浮かぶ。


 --おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!


 右に左に。上下に。時にはしゃがんで、時には飛び上がり……見事な回避の舞踏を披露するイブキ。


 まるでドッジボールで最後に1人となり、外野で祈るクラスメイトの意志を背負って陣地で一人ボールを躱し続けるガキ大将のように狼達の攻撃を、紙一重で躱し続けた。


 ────“俺の身体は龍そのもの”となり、自分と同じ存在の者と戦わなければならない。


 再び脳裏にチラつく、イブキのものでは無いはずの使命感。もしこれが本当に“誰かによって植え付けられたもの”だとするならば、彼の急激な運動能力の上昇も“龍そのものとなった”証明のひとつになり得るだろう。


 ただし当のイブキは、そこまで現在の状況と自分の身体を分析できるほどの冷静さは持っていないようだった。


 ただただ上昇した自身の力をふんだんに使い、アクロバティックに狼達の猛進を躱してゆく。


 --まってまってまって!!これもしかして……


 --もしかすると……!!


 --俺めっちゃ強いんじゃねーーーー!!???


 浮かれていた。浮かれる余裕がある程度には狼達の攻撃が温く感じた。


 しかし、躱している内に気が付く。イブキ自身が狼に外傷を与えなければ、この争いは一向に決着が着かない。


 どこかでボールを受け止め、相手からアウトを取る様に。


 よしっ!イブキは拳を握りしめる。次飛んできた時、すれ違いざま殴ってやると。1匹仕留めてやれば他も恐れて逃げていき、決着がつくだろうと期待を込めて。


 一際殺気立っていた狼が1匹、命知らずに飛び込んでくる。細菌が数億と着いてそうな淀んだ牙をこちらに向けるお顔のなんとかわいげのないことか。


 だがそのお顔を砕いてやれば終わる。今の俺には力がある。っと心で念じながら“龍そのものとなった自分”を信じて拳を放とうとするも、寸でのところで、腰がまたもやくの字に曲がっていた。


「む、むりいいい!!!」


 そのまま攻撃を躱す。奇妙なポーズから躱しを行ったことで身は翻り、尻から転げる。


 --あ、あれ?


 その隙に飛び込んでくる狼を地を転がって躱す。そのせいか、再び立ち上がる頃には、その身は砂場で遊んだ子供のように泥まみれになっていた。


 そんな泥だらけの姿で、イブキは自分の拳を『あれおかしいな』と見つめる。無意識に躱すことが出来るならば、無意識に攻撃を行うことだってできるはずだと眉をひそめた。


 だが残念ながら、“殴る度胸”が彼には備わっていなかった。


 どんなに大きな力を持っていたとしても人は愚か、まともに何かを殴打した事の無いイブキは、“殴る”ということに対して本能的な拒絶反応を起こしてしまっているのだ。


 それでも、命の危機を感じれば防衛本能の延長で拳が出る事もあるだろう。事実、狼の攻撃を躱せたのは、龍の力だけでなく、初めに対峙した時に感じた死への危機感とパニックによって偶然産まれた賜物でもある。


 しかし、何度か狼の攻撃を躱してみせたお陰でイブキは無意識の内に狼に対しての危機感がかなり薄まっており、とても本能が前に出る状態に達していなかった。


 無尽蔵の体力を誇る狼は諦めずに飛びかかっていく。その度に何度も攻撃を試みるものの、結局拳は握ったまま奥で震え、動きが止まる。一種のイップスのように、思うように身体を動かすことが出来ない。


「ちょっ…くぅッ!!」


 引っ込めた拳に目をやる。無駄に高いプライドで押し殺していた本心が、声に出したい出したいと喉元まで迫っていた。


 --殴るのって……ちょーこええ……。


 ケダモノ1匹殴る度胸もない自分のカッコ悪さに涙を浮かべる。こんなに自分ってダサかったのかと渋々自覚した。


 殴れないなら、気の済むまで避け続ける耐久レースに持ち込むしかない……。と懲りずに飛び込んできた狼を眺めながら自分なりに構えを取り、避け続けてやろうと決めた次の瞬間だった。


 喉元に食いつかんと迫って来た狼が、大きな銃弾の乱れ打ちをモロに受けたかのように肉体を蜂の巣にされ、イブキの目の前で崩れるように倒れた。


 仲間の死を察知した他の狼達は瞬時に四散し場を離れようと走り出すが、奥で控えていたのか、別の狩人に問答無用にその肉体を裂かれ、潰され、貫かれていく。


 憎たらしい狼共の悲鳴が森中に響き渡る中、何が起こったのか未だに分からずキョトンとするイブキに、爽やかに笑みを浮かべる自分と同い年程度の青年がそっと歩み寄り、風鈴のように涼しく、優しい声色で語りかけてきた。


「危ないところだった……もう大丈夫ですよ」

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