第21話 黒龍を映した大目玉
「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッ!!!!!!!!!!!!!!」
影と同化した右腕を鞭のように振るうイブキの姿は、黒く汚染された沼の中で藻掻く蛇のようなおぞましさと禍々しさ、そして何より“必死さ”を彷彿とさせていた。
轟ッ! という風を切る音と共に、三人いる内の1人目のオークが振り下ろしてきた金棒を全身全霊の右ストレートで砕き、ついでに慄くように自身から背けた大目玉に暗黒に染まった拳をねじ込んでやったあたりで既に、周りを取り巻く小男共は萎縮しきっていた。
「ひ、ひぃぃ……!!」
「あ、あいつ……なんなんだあ!!」
「あんなの……反則だろぉ!!」
恐怖に震える両手で縋るように握っていた各々の武器は、影の一振りで食いちぎられるように切断され、彼等の手から離れる。
「あ……ああ…………」
「消えろ……消えてくれ!!!」
戦慄のあまりに涙を浮かべていた小男達に、悪夢でも追い払う様に叫び散らかすイブキ。その直後には、本能的に彼から遠ざかるように歩を進めていた。
「に……逃げろ!!」
「畜生っ!!! なんで……なんでこんなこと俺らがっ!!!」
「もっと……ほんとは……真っ当に生きてぇのによおおおおお!!!!!」
彼等の“最期”となった叫喚の言葉は、イブキの耳に痛い程響き渡った。
─── グチャ。まるで熟した果実を潰した時のような生々しい音……。背後で立っていた2人目のオークが振り下ろした金棒は、小男達のものであろう赤黒い鮮血に染まっていた。
「…………うぇ……あっ………………」
「グワッハッハッハァ!!! オマエモォ…スグ二ィ……コウナルゥ!!!」
「…………て゛め゛ッ!!!」
怒りに煮えくり返ったイブキの絶叫すら許さず、彼の背後に回っていた三人目のオークは彼の頭部めがけ、ありったけの力を込めた棍棒を叩きつけた。
「オマエ……オレノアニキ……コロシタ……ダカラコロス!!!!」
それでも収まりがつかなかったのか、もはや姿すら見えない血溜まりに向かって、三人目のオークは幾度となく棍棒を振り続ける。
「シネッ!!! シネッ!!! シィネェ!!!!!」
ドスッドスッといった鈍い衝撃音……。耐えかねた大地は地割れを起こし、地形すら歪めてゆく。
「シネッ!!! オマエ!!! シネ!!!!」
「あっ……ああ!!」
奥でその様子を静観していたカドリは、思わず身を乗り出し、助けに向かおうとする少女の肩を掴み、首を横に振った。
「た……助けないと……あの人は……
「…………アレが彼の償い方だ。どうやら……“断罪”を選んだようだね」
「……え?」
糸のように細いカドリの瞳は、険しく寄せるシワに合わせて歪み、先程まで棍棒を振るい続けていたオークを射抜いていた。
「…………て……め……ぇ…………」
「ナ……ナンデ…………イキテイル……!?」
「う……ううううおおおおおお……お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!」
血だらけの右腕から伸びる影は地面を這いずり、翼を持たないまま空に喰らいつこうとする
「ヤ……ヤメェロオオオオオオ!!! ク……クゥゥルナアアアアアアアアアア!!!!!」
叫ぶオーク……。目の前に聳え立つは、身長3メートルはくだらないであろう彼等ですら見上げる巨大な岩盤……。背後には既に頭蓋骨を砕かれた自分の弟の背中がまるで自身を呑み込まんとする大波の様に迫ってくる。
「……まとめて断罪するつもりか!? 彼はッ!!」
「ギャアアアアアアアアアァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!」
既に影を踏まれ、完全に拳の射程内に入っていたオークは壮絶な断末魔をあげ、岩盤と弟の背中に挟まれる。
顔面の半分の面積を有する程までに大きく見開いた眼球がみた最期の光景は、3メートルはある筈の自身よりもずっと大きい黒い龍の姿……。
「コ……コク……リュ………」
視界が黒く染まる。どうしようも無いほど圧倒的な力が、かつて蛮族を統べていた怪物の魂をたった1度の
「……まずいッ!! 崩れるッ!!」
岩盤にめり込んだ2体のオークの身体。強すぎた衝撃は岩盤の隅々にまで響き渡り、亀裂となってその威力を表現する。
「はぁ……っは……っは………………」
イブキ自身、ここまでの力を引き出すとは思ってもみなかったのか膝から崩れ落ち、ズタズタになった右手を抑えながら荒い呼吸を続けていた。
--くっそ……どの道……死ぬのかよ………………
そんなイブキの上から大量の岩の雪崩が降り注いでくる。当然、今の彼にこれら全てを退ける力は備わっていない。虚ろな目で天上を仰ぎ、死を悟った。
「
「…………っ!!」
ハッとなる頃には、横で砂まみれになりながら肩で息をするカドリの姿がそこにはあった。恐らく直撃する瞬間に救出してくれたのだろう。はじめは得体の知れない人だとばかり思いこんでいたが、悪い人ではないらしい。
「…………すん……ません……っす…………」
「見事だった。これで彼等も救われる」
「…………彼等……?」
「ク……クロさんっ!」
「く…クロさん!?」
自分で勝手に作った“彼女”の仮名によく似た名前でイブキを呼ぶ透き通るような声が聞こえた。
「い、いま……なんて……」
「手を……貸してくださいっ!」
「え??」
ボロボロになった右手を握る彼女。少しだけひんやりとした真っ白な手は、右手に蝕んでいく苦痛を吸い上げるように取っていく。
--や……やっぱり…………そうだ……。
イブキは確信する。彼に変わるようにボロボロになってゆく右手と、『うぅ……』といううめき声と共に苦痛に歪んでいく彼女の表情を見て……。
--この人は……俺の痛みを……自分に移して……!!
「だ、駄目だっ!!」
余った左手で彼女の両手を剥がす。半端に治った右手を再び掴もうと食い下がってくる彼女の両肩を掴み、必死に叫んだ。
「俺なんかの為に……君が苦しんじゃ駄目だッ!!」
「…………っ!!」
彼女の表情は戸惑いの色を示していた。空いた口は塞がらず、わなわなと華奢な肩を震わせる。
「ち、違うっす! その……迷惑とかじゃなくて…代わりに君が傷付くからあのっ!」
--ああもう!! なんで怖がってんだ!? わっかんねぇよ!! なんなんだ女の子って!!!
慌てふためき、手を離して頭を掻きむしるイブキ。開放された彼女はもう一度イブキの右手を掴み、代わりに血まみれになった自分の右手を握らせた。
「私は……平気です」
肩から指先まで傷だらけになっていた彼女の右腕は、裂けていた傷同士が再びくっつくようにしてみるみると治っていき、元の純白さと取り戻す。
力が入ることを見せる為に手をグーとパーの形に動かしてから、少しだけ口角を上げてイブキを見上げる。
「……ね?」
彼女の上目遣いに再び心を掴まれ、ポカンと立ち尽くすイブキ。隙を突くようにもう一度イブキの右手を握り、自身の頬に当てる。
「……だッ……だめ……!!」
「異常なまでの自然治癒能力……それだけではなく、他人に触れることで背負った痛みを自分に移し、癒すことが出来る能力……戦う為に送られたメテンの力とは正反対…。ステキな力で君を癒してくれるそうだ。彼女のご好意に甘えることも、またステキなはずだ」
「…………ッ!!」
押し黙るイブキ。さっきも唾が飛ぶのを覚悟の上、あれだけ駄目だと叫んだ筈なのにまだ諦めずに傷を癒そうとしてくれる彼女。イブキが自分を守る為に戦ってくれたことへの恩を、せめて痛みを肩代わりするだけでも返したいという彼女の覚悟……。
--だめだ……だめなんだ………………
その覚悟を、可哀想だからという理由で拒絶するのは、それ以上に彼女がかわいそうに思えていた。
「約束……してください…………シロさん」
だからこそ、イブキは空いた左手で彼女の両手を覆い、さっきとは違った優しい声色で語りかけていた。
「俺の……傷治すのは……こ、これで最後っす。代わりに……あ……あんたをもう二度と…………危険な目には合わせないっ!!」
彼女は無言で頷き、イブキの傷を肩代わりする。一瞬傷だらけになるも、またすぐに完治する右腕。その様子をイブキは見届け、まっすぐと自分を見つめてくる朱色の瞳と、整った顔立ちにズキュンと胸を射抜かれる。
「お……おっっはっぽうっ!!!!」
胸を抑えて仰け反るイブキ。それに思わず驚き、口を覆い隠す彼女。カドリは一歩引いた位置で静かに笑っていた。
「……なるほど。君たちは“シロさん”と“クロさん”っていうのかな?」
「あ……はいっ!」
「ふぇ!? えっっちょっ!! どうしてその名前を!?」
ふむふむと顎に手を当て、2人の仮名を確かめるカドリに対して、2人はまるで真逆の対応をとる。
自身に飛びついてくるイブキのあまりにも必死な形相を理解出来ず、カドリは豆鉄砲でも受けたようにキョトンとなり、後ろで微笑む彼女と彼を見比べてから述べた。
「だって君達自身がさっき言ってたじゃないか。“シロさん”と“クロさん”って」
「そ……そそそそそそっ!!そッ!!!!!」
--い、言えるわけねぇーーー!!! あの時から1回も会ってない癖に勝手にあだ名つけて思い馳せてたなんて言えねえぇぇえええええ!!!!!
「えっと……真っ黒だったからつい……失礼でしたか?」
--お……おおおお…………
不安そうに首を傾げる真っ白な彼女にただそれをボーっと見惚れる真っ黒なイブキ。正反対とも言える2人の姿を細い瞳の中で映し、何かを感じ取れたかのように頷いた。
「なるほど。ステキじゃないか」
「ちょ! ちょっちょっちょちょちょっ!! ステキってど、っどどどどどどーーーいう!!」
「なにより、僕達3人ともそれぞれの本名を知らないというところが主にね」
「……あ……ま…まあ…………あんたは……カドリっすけど…………その………………」
--お、教えてくんないかなぁ〜………このタイミングで…出来れば…………
チラッチラッと視線を移す先には、ウエディングドレスにすらみえる真っ白なワンピースと銀色の髪を揺らす彼女の姿。それを察したカドリは呆れたように肩をすくめ、イブキの肩を掴む。
「聞き出したいならはっきりいえばいい」
「べっ……別にそんなこと……!!」
「応援……しているよっ!!」
ぐるりとイブキの身体を回転させ、彼女と向き合わせる。鈍感な故か、何が起こっているのかいまいち理解していない様子の彼女に対して、イブキは向こうにまで聞こえそうな程バクバクと鳴り響く心音に苦しみながら、必死に声を出そうと口を何とかして動かす。
「お……おぉの…………」
「……はい?」
「な……なまぇ……なんていうすか…………いゃ…………っす…………」
絞り出した一声はイブキの人生史上最も緊張し、最も勇気を出した瞬間であった。もはや愛の告白の返事を待つようなテンションでモジモジしていると、やっぱりあまり意味が分かっていない彼女は、思ってた以上にすんなりと答えた。
「あっ名前ですか? えっと……たしか……ルーツっていいますっ!」
ルーツ──。ようやく聴けた彼女の真名は、イブキの頭を幾度なく駆け巡る。後ろに控えていたカドリは更に目を細めてうんうんと頷いた。
「る……うつ……さん……あざっ……っすぅ…………」
「あの……クロさんは、なんていう名前ですか? 黒いから……ええっと〜……」
「い……ぶきぃっす……」
「イ・ブーイさん……?」
「イブキっす」
絶妙に間の抜けたやり取りをつづける2人。いつの間にか陽の光は岩盤の影に姿を隠し、辺り一帯は群青に染まっていた。
「あの、シロさんっていう名前は、私が白いから付けたんですか?」
「い、いや……即席で……その」
--すっごい純粋な目…カワイイ…………
「私も同じなんです。 この前会った時と同じ様に黒い格好してたから!」
「へっ……そんな黒いっすかね…………」
--覚えててくれたんだ……しかも俺と同じく名前まで…………ひょっとするともしかして俺のこと……
「でも、肌は私と同じくらい……あっさすがにわたしの方が白いかな………私、前から肌の色素が薄くてですね、どうせなら全部白くしちゃえっておも……」
「……うん。その話は一旦おしまい。あまりここでのんびりしているわけにもいかない」
ルーツが展開する独特な話題を、カドリが遮る。折角続きはじめてきた会話を遮られ、イブキはムッとなってカドリを睨みつける。
カドリはすまなそうに肩をすくめるが、まずはこの状況の脱却を第一優先で考え、致し方なく割り込んだようだった。
「一応この場所が君を誘拐したであろう敵が知っている場所で、さらに辺りに水も暖を取る場所もないような、結構居座るには少しいけない場所である事は分かっているよね?」
「た、確かにさむいですね…」
「そう言われると……なんだか……寒くなってきたっす…………」
ひんやりと岩陰を通り抜けるように吹いては、肌を突き抜けてゆく夜風に思わずブルッと身を震わせるイブキ。一応防寒対策として上着を持ってきておいた彼と違い、薄手のワンピース一枚のルーツは至極寒そうに身を震わせていた。
「あっふぅ〜……さ、さむい…です……」
「イブキクン、いまだよ」
「えっ? どゆこと……ンッ!?」
急に耳元で囁いてくるカドリの言葉の意味がよくわからず、普通のトーンで聞き返してしまうイブキ。慌てて彼の口を抑え、ルーツの背後に回ってからイブキの上着の裾をつまんだ。
「ンーッ!?」
「いいかい? 君は今、男を見せれるチャンスが訪れている。ステキになれるチャンスがね」
「ま、まじでなにいってんですかってッ!」
今度はカドリの発する消えゆくような小さいトーンに合わせて聞き返す。カドリは肩をすくめ、イブキの胸を指で突いた。
「……想い人に寒い思いをさせる気でいるのか君は」
「おっ想い人ってッ!! 俺はッ!!」
「少し、声量を下げてみよう。 正直になる方が人はステキになれる。いいかい? ここで合ったのも何かの縁だ。今ここで彼女への好意を認めれば、僕が君たちを甘酸っぱいイチゴ味にしてみせようじゃないか」
「お……俺は……」
--な、なんかバレるようなことしたっけな……俺
イブキは押し黙ってから頷く。恋愛経験どころか、歳の近い女性とほぼ会話すらした事のなかったイブキのことだ。これ以上やみくもに否定するよりは大人しく認め、『甘酸っぱいイチゴ味』とやらにしてくれるというカドリに身を委ねる方がずっと気が楽になるのではないかと結論付け、再び聞き返す。
「と、とりあえず何すればいいんすか?」
「上着を渡すんだ。君が今まとっているそれをね」
「お、おお…………」
思わぬ妙案に、イブキは思考を巡らせる。
── ルーツ。これを羽織れ。
── い、良いんですか? でもそれじゃ…イブキさんが…………。
── いいんだよ俺は。お前が暖かくなってくれればそれでな。
── イブキ……さん……! 暖かい……まるでイブキさんの心みたい……!
--やるしかないでしょ………………
イブキはカドリの肩を叩き、バサッとわざとらしく音を立てて上着を脱ぐ。すぐに肌を吹き抜ける寒波に凍えそうになるのを堪え、何やら先程まで自分が入っていた木箱の中をゴソゴソと漁っているルーツの元まで歩み寄るなり、ふぅっと息を吐いて気持ちを整える。
--イメージは完璧……俺は言うぞ…言ってみせるッ!!
「る……るう……るるううう〜つぅ〜」
「えっと……たしかこのへんに………」
「こ…ここここ……これを…………はぁ……はっ!!」
「あっ…ありましたっ! 上着! これで何とか夜は凌げそうですっ!」
--え……ええ………………
「クロさん? どうしました?」
「あ……あえあ…………」
「確かに……上着以外にも色々揃っているようだね。携帯食に…寝袋までしっかり揃えてある。どうやらあの男達が寝泊まりする為に用意したものだろうね。 後は丁度良い寝場所を確保できればステキだね」
無理矢理笑いかけながら2人の間に割り込み場を取り持つカドリを、イブキは恨めしそうな目で睨んだ。ルーツは終始不思議そうに首を傾げていた辺り本気で悪意は無かったらしい。
カドリは『大丈夫、次があるさ』と言って飴玉を渡してきたが、イブキは一切味わうことなく噛み砕いて飲み込んだ。
この世界がもし、恋愛漫画かなにかの時空に撒かれているとすれば、このあとの展開はなんやかんやあって寝袋が無くなり、なんやかんやあってルーツと添い寝ドッキリハプニング……といったところだろう。イブキ自身、そういうのを期待していなかったといえば嘘になる。なにせそれ以上に非現実的な体験を現在進行形でしているのだから……。
しかし妙なくらい思い通りにいかないこの世界、ルーツは至極気持ちよさそうに寝息を立てていた。もちろん、1人用の寝袋を惜しみなく一人で使って。ちなみに横で寝袋に顔を埋めるイブキとの距離は10mくらい空いていた。
--で……ですよねっ!!!!!
心の奥で抱いていた淡い期待ですら、寝息程度に弱い一呼吸で簡単に吹き飛ばされ、イブキはひとり、やるせない感情を押し殺し枕を濡らすのだった。
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