第35話 救済
「イブキ……君は僕が信じた救いをダメだと……いうんだね」
悲しげに呟くカドリの眼から、一筋の涙が流れて落ちる。認識に違いはあれど、彼がイブキに向ける想いは本物。“友達を解放してあげたい”という純真な願いを正面切って否定され、酷く打ちひしがれているようだった。
「当たり前だろッ!! ましてや……承諾もなしに殺すとか……もうこのまま見逃すなんて無理だッ!!」
それでも叫ばねばならない。それが仮に彼なりの善意があったとしても、殺人という明らかな悪行を取っている以上、それは違うと正すのは“友”としての義務だと感じたから。
それでもまだ、身体はカドリの元へ向かうのを拒んでいるようだった。ひきつるように硬直した筋肉は友の頬を殴打することへの拒絶感。潰れるように睨みつける瞳から流れる一筋の涙は、引き返せないほどの悪行を成してしまった友に対する悲嘆の表れ。
自分と想い人を手にかけようとした事実を理解して尚、“友とは戦いたくない”。心に住み着く想いを凝縮した、迷いの塊。
「……カドリ。最後に一つだ」
血がにじむほどに強く握りしめた左手を胸に当て、
「投降してくれ。お前とは戦いたくない。この世界で殺人がどれほど重罪に当たるのかは俺もわからねぇ……でも…捕まってくれ。それ相応の罪を償って……もし可能だったら……戻ってきてくれ。お前ならきっと……きっと……」
カドリはゆっくりとこちらに歩み寄り、優しく微笑んでから……
「……罪なはずがないだろう? あんなに喜んでくれたんだから」
語末を地上に置き去り、カドリは肥大化した両腕を構えて瓦礫の頂上のイブキに迫る。
「もう一度……僕に覚悟をッ!!」
イブキは飛び上がり、吼える。
「クソッ!!」
イブキの振り上げた“ただの左手”は流石にリーチにかけていた。右手を呼び戻すよりも先に、カドリの飴グローブが全身にめり込む。
「
悲鳴はない。正確にはそれすらも許されない超越的な速度で、イブキの肉体は瓦礫に叩きつけられた。
「……っあ!」
朦朧とする意識。それでも休む暇なくカドリは追撃を仕掛けてくる。早くも訪れた窮地の中、レイから教わった戦闘の裏技を咄嗟に思い出す。
ーー急所を打たれた時は舌を思いっきり噛んで意識を取り戻すんですっ! 唇かみ切ったり……とにかくどこかを噛み切って脳をだますんですっ!! でもですよっ!! 意識をズラすだけでダメージが回復するわけじゃないので乱用は禁止っ! わたしだってこれやったの三回くらいしかないんですからっ!! 全部死にかける寸前でしたし……普通はこんなことやりませんっ!!
すぐに実行。焼けるように舌が痛む。血反吐を吐き捨て、巨大な飴をこちらへ向けてくるカドリを射止める。
「ってぇ……乱用したら絶対死ぬだろこんなの…ッ!!」
無理に戻した意識を尖らせ、迫りくるカドリの腕を見切る。更に眼前に到達する直前、右手の影を別の瓦礫へと繋ぎ、カドリの双巨拳を掻い潜る。
完全に躱したと舞い上がる余裕すら許さないカドリ。こちらの行動を読んでいたのか、片方の飴の強度を崩し、移動するイブキの右足に纏わりついてくる。
「わかっているよイブキ。君がまだ迷い続けていること、僕を殴ってしまうことを怖がっていることも」
「……クソッ!!」
終着点としていた瓦礫の一面を水飴の幕が覆うように張り付けられているのを確認する。イブキが反撃に動かないことを察知していたカドリは、彼が回避先として選択するであろう瓦礫を予測して誘い込むように膜を張り込み、見事に的中させたようだった。
ーー俺がまだ……迷っている……ッ!
瓦礫から影を離し、中途半端な位置で着地する。右足にへばりつくカドリはそのまま水飴を用いて這い上がり、マウントポジションを奪った。
「君に僕は止められない。誰よりも臆病で内気で…決断が出来ない君には絶対にね。そうしてまた遅れてしまうんだよ。もしここで僕を倒せたとしても……君は必ずどこかで同じような目に遭い、不幸になってしまう。まったく……ステキじゃないとは思わないかい?」
「その“ステキ”ってなんなんだよッ!! 離れろッ!! 離れてくれッ!!」
なんとかもがいて右手の影を奮いカドリの猛攻を凌ぐ。明らかな劣勢を自覚したイブキはなんとか思考を凝らして辺りを見渡す。
瓦礫と倒木、時々の雑草。廃墟とすら呼べないこの空間の中、まるで誤ってナメクジを飲み込んだ蛇のように暴れるものの、抵抗虚しく取り押さえられてゆく。
ーーやべぇ……なんとかしねぇとなのにッ!!
「このまま君を抱き、助けようか」
「……ッ!? っざけるなッ!!」
まもなく初めてカドリと会った際に彼が黒角の連中に対して披露して見せた“身体を水飴で丸呑みにして窒息させる技”が、徐々に身体を侵食していく。
ーー突き放さねぇといけねぇのに……ッ!! 暴れれば暴れるほど体に飴がこびりついてッ!! こいつマジで死んでもくっついてんじゃねぇのか!?
心の内で悪態をつき、ふと閃く。
ーーマジで一回死んでやろうかな……俺
眼力を込め、影を纏った異形の右手を呼び出し、叫ぶ。
「
自分でも驚くほどにまで巨大化した右手を天を裂く勢いで伸ばし、地面につかせて身体を持ち上げんと力を込める。
バネのように影を折りたたんで弾性を作り、それを開放する共にカドリごと勢いよく飛び上がる。
地面と接着していた飴の膜は無理やりはがれ、一瞬浮遊。また更に想像を超える高さまで飛んだなと意識に余裕が出来る頃には、突き刺さらんとする勢いで下半身から落下していく。
「……ッ!!」
流石に動揺を見せるカドリ。イブキの脚から剥がれ、薄い水飴の膜を作って滞空する。
「さすがに……死んだら付いてこれねぇか……なぁカドリッ!!」
速やかに影の右手を使って地面との接触による衝撃を殺し、天を漂うカドリに啖呵を切るように言い放つ。
カドリは酷く悲しげな色を双眸に称え、
「……君を……救いたい…ステキに……僕は……」
「それが……おかしいんだよ!!」
膝に手をつき、ゼーゼーハァハァと肉体的疲労を全身で訴えるような格好のイブキは、それでも訴えんと声を荒らげる。
「おか……しいん…だよ……なにが“ステキ”、救済者……。死んで……素敵なわけ……ねぇんだよ……」
「……それでは君はもし大切な家族が突然いなくなってしまい、独り取り残されたとしても『俺もそちらに行きたい』とはならないかな? もし今ここで僕が彼女を犯し、それを彼女自身が求めていたとしても『死んでしまいたい』とはならないかな? 死ぬほどとても辛い目に遭っても……君は『頑張ろう』と思えるのかい?」
「……少なくとも……俺は思わねぇよ……」
「何故だいッ!? 辛いだろう!? 生き地獄だろうッ!? 死ぬことは悪いことじゃないんだッ! 寧ろ最も穏やかで……優しくて……慈悲深いもの。どうしてわかってくれないッ!!」
「怖いからだよッ!!」
元々想いをぼかすのが非常に不得意なイブキ。咄嗟に出たその叫びは、まぎれもなく本心だった。
「死ぬのって…怖いんだよッ!! 人間の本能とか…遺伝子とか…わからないけどそういう核の部分から拒絶してて……考えるもんじゃないんだよッ!! だからほんとに辛い奴には……殺すんじゃなくってさ……飴玉でもやって……寄り添うんだよ。その方が……よっぽど救われるッ!」
眼を見開いて無理くり微笑み、まるで子供でもあやすように落ち着いた口調でカドリは呟く。
「怖くないさ。怖くないんだよ。イブキ」
青々とした瞳孔は、酷く悲しげに潤んでいた。何故ここまで彼は悲しげなのか、必死なのか、イブキはよく分からない。
「……ッ!?」
余裕がなかった。イブキの周囲を漂う、薄ピンク色をした飛行機雲のようなふわふわした物体。それらが徐々にスピードをあげて時計回りに巻き付いてくる。まるで自分を割り箸としてわたあめでも作るように……。
「クソっ!!!!」
急いで影の刃で飴の陣を裂き、脱出する。途中で足がもつれて転がるような動きになってしまったのは、イブキの至るところに纏わりついたわたあめの拘束効果のせいだろう。蜘蛛の糸を払うようにわたあめを取り出そうとすると、寧ろ服や肌に染み込んでよりいっそう取りづらくなる。諦めて立ち上がった矢先、
「……しまっ!!」
いつの間にか傍まで迫っていたカドリの一蹴を受け、後方彼方まで吹っ飛ぶ。なんとか朽木がクッションとなったことで致命傷は避けられたものの、今度は頭上から槍状に尖った飴が大量に降りてくる。
頼りの右手も、飴の槍を完全に防ぎ切るには至らなかった。何本かは身体を掠れ、更に厳選された何本かは直接肉体を貫通した。
「…………ッ!!!」
凡そ三本ほど命中したが、その一本一本がもたらす痛みは想像を絶するものだった。
身体中の神経を畝らせ、患部が焼け爛れていくような激痛。
左手を食いちぎるような勢いで噛み続けるも、まるで誤魔化せるようなものでは無い。そうこうする内に再び周囲をわたあめが漂いはじめており、更に拘束の強度をあげんとしていた。
ーー痛いッ!! 痛いけど避けねぇと……避けないといけないのに……痛すぎてッ!! なんとかしろッ!! なんとかしろッ!!
影の刃でわたあめで作られた陣を切り裂き、無理にでも突破を図ろうとする。当然、同じ手で突破すると読まれていたカドリに行く手に回られ、巨大な拳で側面をモロに殴打される。
「ーーーッ!!!!!!」
再び瓦礫へと突っ込む。殴打による衝撃は勿論のこと、それによって突き刺さったままだった飴の槍が更に奥深くまでくい込み、気絶すら出来ずにただ悶え苦しむ。
「イブキ……諦めるんだ。今の君はとても見てられない。お願いだっ!! はやく僕の飴を受け取ってくれ。頭が……頭がおかしくなってしまうッ!!!」
カドリは声を荒げる。説得しているようだった。“早く死んで楽になれ”と。
カドリの拳が直撃し、ぼろ雑巾のように身体が血を巻き散らかしながら飛んでゆく。
かつては木造の家だったであろう木くずの塊に突っ込み、そのまま動かなくなる。
自分の血で真っ赤に染まった木くずの山を見渡すと、いっそ清々しいくらいだった。
それでも、叫ぶ。
「………じに……だぐ……ね゛ぇ!!!」
「どうしてだい!!?!?」
「じにだぐ……ねぇがらだよッ!!!!」
血を吐くように、潰れるように叫ぶ。本当は怖い。死すら救いと感じざる得ないほどの激痛が蝕んでいきながらも、イブキはやっぱり“死にたくない”。
みじめで情けなくて憐れで愚かでみすぼらしくて無様で不細工で不格好でお粗末で見てられなくて、どうしようもない自分でも、命を捨てるという選択をとる訳にはいかない。
それは生き物としての本能、心理。誰がどうとか自分がどうとか、そんな難しく考えるものでもなく、ただ“生きているんだから生きたい”。ただそれだけのこと。
ただどうしようもない彼を、どうにかして救おうと奮闘する者も確かに存在するのだ。
ー ー ー 縺雁燕縺ョ謾サ謦??螻翫°縺ェ縺 ー ー ー
それは言葉と言うよりは“音の羅列”と呼ぶべきものだった。まるで映像を早送りした時の超高速で流れてくる機械的な声が、ふたりの間を割り込むように聞こえてくる。
理解が追いつくよりも先に、カドリの振るう飴の剣がドロりと形を崩し、溶解した。
「……?」
カドリが新手を想定して構えるより先に、彼女は動いていた。片腕をポケットに突っ込み、もぞもぞと動している。するとカドリが迎撃に繰り出した飴は呆気なく形を失い、もう片方の手で控えていた巨大な綿をぶつけて爆破させる。
「ッ!!??」
身を転がし紙一重でそれを躱すカドリ。その手段すら想定の範疇にあったのか、張り込んであった糸に引っ掛かり、背後に位置した瓦礫の山がカドリを飲み込むように崩れてゆく。
絡みついた糸が邪魔になって回避が決まらず、降り荒ぶ瓦礫の下敷きとなって行くカドリ。糸のように細い瞳をこれまでにないほど吊り上げ、イブキのいない方角を睨みつける。
「めっちゃ睨むじゃん」
対する彼女は、相変わらずいつもゴミとか飴とかを中にため込んでいるポケットの中に手を突っ込み、至極ムカつく一言で生き埋まってゆくカドリを見届けた。
「………クル…ド」
掠れた声で、イブキは彼女の名を呼ぶ。
「クルドッ!! お、おまえ……あっおれ……クルド…おれッ!!」
「ん? クルドはあたしだけど? 混乱して脳がミソシルみたいになってるよ」
「クルドッ!! クルドッ!!!」
わけもわからず立ち上がる。ズタズタになったはずの肉体に不思議と痛みはない。痛みも感じなくなるほど、“彼女”が助けに来てくれたこと、一番最初に“一言”伝えなければいけない彼女が来てくれたことがめちゃくちゃに嬉しくてめちゃくちゃに訳が分からなくて……思わず飛びついた。
「うにゃあ!?」
ずっと背の低い、身体つきもまだまだ幼いクルドの腰にしがみつく。久しぶりに聞いた間抜けなリアクションは妙な安心感を与え、そのままポロポロと彼女のお腹に顔を埋めて号泣する。
「クル……ごめ……まじで……俺ほんとッごめん……クルド……」
ずっと伝えたかった言葉。感謝と懺悔を繰り返す。みっともなく、どうしようもない彼らしい感情表現。『ごめん、ありがとう』と続けるイブキの背中に手を回し、
「……うっさいなぁ。めんどいしそのまま止血するから動かないで」
何やら暖かい光を生み出し、刺傷でボロボロの皮膚を修復してゆく。その小さな手を掴み、イブキは首を横に振る。
これ以上彼女に助けられる訳にはいかない。これ以上彼女に迷惑をかけてはいけない。既に返しきれないほどの大きな恩を、彼女からは受け取っているイブキ。
「こ……これは……俺の……ミスだから……お前は……自分の為に魔力をッ!!」
自分の犯した罪を誰かにカバーしてもらう事は、背中に走る焼けるような痛みよりずっと苦しいものだった。
関係なしに、クルドは治癒を続ける。
「だからだよ、あたしの為に動いてもらう。不意打ちでなんとか時間作れたけど……流石にメテンじゃないあたしがどこまでアレとやりあえるか分かんないし……ちょっとは戦えるイブキを酷使するしかないじゃん?」
クルドの前ポケットに顔を埋めていた為、彼女がどのような表情で語ったのかは分からない。ただ、クルドはどこまでもクルドらしい理由で、傷の修復を続けていた。
「あ、これただ傷口塞いで骨ちょっとくっつけてるだけだから、あんま無理すると豪快に開くからね。んまぁ、だいぶマシにはなってると思うけど」
イブキはゆっくりと立ち上がり、不敵に笑いかけてくるクルドを見つめる。直後に下唇を噛みしめ、腰を直角に曲げて、
「クルドッ!! ごめんッ!! ほんとに俺はバカだったッ!! お前や……みんなのこともっと考えて……意図とか……ちゃんと察してやって……先回りして動いてッ!!」
「そんなの、イブキには無理でしょ」
「は、はえぇ……?」
意外と辛辣な彼女の返答に、力の抜けた声が漏れる。
「イブキは最強に察しが悪い。説明もへったくそだし、必死必死で自分で手いっぱいで……とてもじゃないけど裏であたしと諜報活動とかは無理。ひやひやするよ」
「お、おまえ……いや、そうだよな……自分の無能さを理解できなくて……突っ込んでいった結果がこれだ……そんな奴……いても居なくても…」
「だからだよ」
俯いて呟くイブキの言葉を遮り、いつもの試すような口調で続けてくる。
「無能なイブキができることって……なんだっけ? 確かに頭使って先回りなんてとても出来ないけど、その代わりにイブキにはどんだけの有能でも得られない唯一の力を持っている。人としてメテンとして……いや……“イブキとして”今動くことが出来る」
「お、おれと……して…?」
クルドは試すような表情で自分の頭を指でつつく。
「自分でいうのもなんだけど、あたしは頭がいい。先を読めるし、ぶっちゃけると龍小屋と王都を取りまとめたのも実はあたし。おまけに超美少女」
「お、おう……」
半分関心、もう半分は困惑。クルドは続ける。
「そんなあたしでも、人の影は踏めない。右手と影を合体して伸ばしたりはできない。……あと年下の異性に抱きついて泣いたりもしない。
「俺にしか……ない…能力…!」
イブキは拳を強く握り、カドリが未だに埋もれている倒壊した瓦礫の山を見据える。死人のようだった瞳は鋭く細まり、『俺を使ってくれ』と覚悟に満ち溢れている。影踏み、拘束、修行で編み出した少量の技、そして……“己が身体”を全て捧げる覚悟で、少女の肩に並ぶ。
「でも今は、あたしたちが同じ方向を向いてる。だからあたしはイブキを使えるし、イブキだってあたしの頭脳で行動できる。んまぁ、イブキがまだ“俺が”っていうのなら、あたしは手を引くけど」
「今更いえっかよ、んなこと」
カドリの埋まる瓦礫の山がポロポロと揺れ動く。そろそろ彼が再浮上する頃合い。話している時間も無さそうだった。
だから最後に改めて、クルドにしっかりと頭を下げ、
「俺に……力を貸してくれ。ヒーローぶって無様に空回って邪魔ばかりした、そんなどうしようもない俺を、使ってくれ……力を貸してくれッ!! クルドッ!!」
ポケットから手を出したクルドはおもしろそうに答える。
「んじゃあ…徹底的に使ったげるから」
「おっ……うっすっ!」
イブキはここで、確かな救いを実感した。
龍のイブキ ~凡人が転生して死にかけましたが【影】の能力を駆使してこの殺伐とした世界を生き抜きます~ @kakidora_125
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