第8話 泥に背負われ、命を繋ぐ

「いつ見てもおっかない魔力……」


 一歩前に立つラディから溢れ出る特殊な魔道回路の波動。メテンのみが扱える龍魔力と呼ばれるそれの禍々しさに、魔導士として魔力の流動に敏感なクルドは眉をひそめて言い放つ。


「いくぞ…歯を食いしばれ」


 そんな彼女の反応も気にせずラディは一歩前に踏み出し、引き締まった異形の両腕を握り、猛禽類のように鋭い眼光で睨みつける。おぼつかない足取りでこちらへ向かってくるシューゲツをキッと睨みつける。


「リアルゾンビか、悪いが“アンデット・バスター”は昔死ぬほど極めたんでな」


 ぬかるんだ大地を無理矢理蹴飛ばしロケットスタートを切る。シューゲツの前まで一気に迫ると、横たわる大木を土台に大きく飛び上がる。


 呻き声をあげるシューゲツ。ポタポタと血の滴り落ちる右腕を翳す。それは彼がかつて一番愛用し、根強く記憶していた“掌で生成した巨大な水の塊から小さな水弾を撃ち込む”攻撃で突進するラディを狙い撃つ。


 --なんだ……? あいつらは何をやってるんだ!!??


 それに呼応するように宙を舞うラディの両腕から土の塊が生成される。それは瞬く間に2つの短剣へと姿を変え、自身へと向かう水弾を迎え撃つ。


「撃たれるはずのおまえゾンビが銃撃を展開するか……!」


 文字通りに放たれる銃弾の雨を踊るような剣さばきで弾く。それだけでなく、弾きながらシューゲツの立つ足場を目掛け、着地する準備を進める余裕すら残していた。


 それでもたまに捌き損ねた水弾がラディの肉体を掠れていく。肩、頬、腕、足の至る箇所に掠り傷が刻まれる。それでも一切気に留めることなく空中で剣舞を続けるその様は、空高くを舞う龍にも劣らぬ気迫を帯びていた。


 --動きが追えねえ……!! なんでだシューゲツ!! お前は! 争わないんじゃ無かったのかよ!


 直前まで迫り、着地と同時に右手の剣をシューゲツの首を狩るために大きく振りかぶり、王手をかける。本能的な察知能力があるのか、シューゲツは寸での所で脚を滑らせるように飛びかかるラディの股を抜ける。


「……クソッ!」


 大きな一撃を外したことでぬかるんだ大地に脚を取られて前へつんのめるラディに、背後へと回ったシューゲツの右掌から血の混じった巨大な水の塊が生成される。


 それに対応するべく腰を回して剣を構える。それでも構わずに小さな水弾を錬成しようと塊を歪ませるシューゲツの右腕に、隙をみてクルドが放った小さな雷撃がピシャリと命中ふる。


 雷撃の衝撃にあてられ、生成しかけていた水の塊は形を失う。ただの水へと戻ったそれは、シューゲツ掌から崩れるように流れていく。


「これが……。転生者メテンの戦い……?」


 ラディとシューゲツ間による激しい攻防にイブキは思わず生唾を呑む。縛られ、後ろへと回された右手を握り締め、いずれは自分もあそこに混ざり合って命のやり取りを行わなければならないという事実が、恐怖という感情を借りて重くのしかかってくるのを感じた。


 一方、唸るシューゲツは雷撃の発生源の方角を振り向く。その正体が、丁度彼の背後に回っていたクルドからの援護射撃だったと察知する頃には隙を見逃さずに迫ったラディの双剣の一閃が、彼の右肩から斜めにかけてを大きく切り裂いた。


 それでも止まらない。それどころか、追撃を加ええようともう片方の双剣で斬りかかってくるラディを片腕で払い退け、同時に打ち込まれてきたクルドの雷撃も身体を異常な角度へくねらせて躱す。


「こいつ…思考が無くなった分勘が異常なくらい鋭くなってる感じかな…?」


 背後で魔法を躱されたクルドが、苦虫を噛み潰したような表情で呟く。そんな彼女とくねらせた異常な姿勢のままのシューゲツの目が合う。彼女へ向けて唸る様はまるで『邪魔者はお前か』と宣言されるような脅威を感じさせられた。


「やば…見つかった……!」


 たじろぐクルドへ向けて猛獣の如く咆哮を上げながら飛び込んでいくシューゲツ。血塗れの右手を彼女の喉元へと迫らせた。


「でも……動きが動物みたいでお粗末……そんなんじゃあたんないってさ」


 彼女の喉元へ届く直前、地面からそれを阻むように雷霆樹が発生する。それはシューゲツの身体を串刺しにするように命中する。


 殴る斬るより効果があるのか、痺れた肉体は動きそのものを止めるには至らなかったものの、彼の動きを鈍らせることに成功した。


「さぁて…ほんのちょびっとでもあたしをビビらせた……罰ッ!!」


 啖呵を切った直後にポケットに手を突っ込み、何やらもぞもぞと動かす。間もなく周囲に七色に輝くふわふわした物体が彼女を取り囲むように浮遊し、それぞれがシューゲツへと向かってゆく。


 それらは一つ一つが小さな元素の魔力エネルギーを持っており、火、水、雷、風、土……様々なエネルギーがシューゲツへ直撃すると同時に発動し彼の身体を焼き、鈍らせ、切り刻んでゆく。


 それでも動き自体を止めることは叶わず、咆哮をあげながらクルドへと右手を突き出す様子に「やっぱりな」と舌打ちする。


「んまぁ、ぶっちゃけメテン相手にこんなの効かないんだけど怯ませてる間に…ラディッ!!」


 ラディへと視線を向ける……が、さっきまで彼が居たはずの場所にその姿は見えなかった。


「うわぁ!? いなッ…!!」


 予想外の出来事に思わず気を取られるクルド。眼前には攻撃を受けきり、自身へ向けて口を大きく開くシューゲツの姿があった。


「やばっ……“ブレス”だッ!」


 メテンが扱う大技“ブレス”。シューゲツの場合、口元で極限まで圧縮された水の本流を豪快に放つというこの森一帯の地形すら変える程の強力な技。もっとも、生前のシューゲツがこれを放ったのはメギト戦含め二度しか無かったが。


 無論、クルドのような小柄な少女が至近距離で受けてしまえばひとたまりも無い。


 それは間もなく放たれる寸前まで来ていた。防ぐのは不可能。躱すのも先程のシューゲツのように身体をくねらせても上手くいくかどうか…と賭けに近いこの状況は、かなり絶望的に映った。それでも諦めまいと震える脚を平手で叩き、ぬかるむ大地を踏みしめる。間もなく放たれる“ブレス”をなんとか見切ろうと目を凝らす。


 直後身を隠していたラディが飛び込み、クルドを小脇に抱え、奔流が直撃するより先に脱出する。


 奔流は周辺の木々をへし折り、なぎ倒し、既にぬかるんだ大地に更に染み込んでいく。ラディはクルドを抱えたまま奔流の威力が弱まる箇所まで一時避難し、大木の枝へと上る。


「ちょッ!! ラディ!! どこ行ってたのよ!! マジで死ぬかと思ったってさ!!」


 小脇に抱えられっぱなしのクルドが、脚をばたつかせながら喚く。


「お前が調子に乗っている間にこいつをな……」


 ラディは見せびらかすようにもう片方の小脇に抱えたイブキを揺らす。


 --し、死ぬかと思った……! 茶髪ナイス! お前天才!!


「ちょーしには乗ってないってば! 早くおろしてってば!なにでっかい荷物みたいにかわいいあたしをあつかってんのよ!」


 ガミガミなんか言っているクルドを他所にイブキは下を見下ろし、青ざめる。下で残されたシューゲツは暴走するように水の奔流を振り回しており、あれだけ木々に囲まれていた周辺一帯はその影響で更地に変えられていた。


「そろそろか……」


 枝から着地するついでに2人を雑に開放する。相変わらず不服そうにむくれるクルドと魂が半分抜け落ちているイブキを差し置き、地面に手を翳し龍魔力を注ぎ込む。注ぎ込まれた地面は彼の目の前で盛り上がり、徐々に龍を模る姿へと変化していく。


「……大地を借りて現れし者グラウンド・マスター


「ひっ……!?」


 慄いて叫ぶラディに合わせ、泥で形成された龍が猛々しい咆哮を放つ。その後ろで先ほどの扱いの悪さにむくれているクルドが、意地の悪そうなイントネーションで言い放った。


「大丈夫なの? 確か大地を借りて現れし者グラウンド・マスターって水あんま得意じゃなかったよね?」


「こいつはその場にある大地を借りて作られる。確かに畑なんかにある土でこれを作ったとしたら、大量の水分をぶつけられて形が崩れ、無効化されてしまうこともあるだろう。だが、既にぬかるんでいるここの土を使えば別だ。奴が豪快に水を撒き散らしたお陰でこれ以上水分を吸収して型崩れする心配もない」


「毒を以て毒を制す……。そうだとしても! その為にわざわざあんなどデカい技をあたしを使って誘ったってこと!?」


 じとりとにらみつけるクルドを横目に、ラディは答える。


「そういうことだな。次は奴に陽動を掛けろ…逃げ足はお前の方が上手だろ?」


「めっちゃ使うじゃんあたしのこと…」


  「お、おいッ!!」


  渋々と揺動の為に動き出すクルド。その背中を思わずイブキは呼び止めた。


「なによ」


「い、いくのか......? あんなに危険なとこを......!」


「行くでしょそりゃ......だってさ...アレ、放置できる?」


 --そうだけど......怖くないのかよ......。小さい子供なのに......。


 少女は凡そ戦闘には向かないであろうか細く伸びる腕を奥で暴れるシューゲツへと向ける。その当然 の様な飄々とした態度に思わず押し黙るイブキを後ろ目に、彼女はポケットに手を入れながら足場の悪い森を駆け出し、その後を追うようにラディの龍が地を泳ぐように動いた。


 --ほんとに行った……あいつらは……戦う力を持っているんだ……。そしてそれは……俺にも


 自身を縛り付ける縄の強度に違和感を感じる。しっかりと縛っていたお陰でほんの少しも動かせなかったイブキの腕が、数センチほど腕を可変出来るほどには強度が弱まっていた。


 --俺にも……闘う力が……。


 小さくなってゆく少女の姿を見つめ、ゆっくりと頷いた。


「こっち向きなよ。当たりもしない水鉄砲で環境破壊しちゃってさっ!!」


 煽り文句と共に放たれた雷撃が、暴れるシューゲツの背中に命中する。思惑通りにクルドのいる方向へと水の奔流を向け、彼女が逃げる道をなぞるように振り回していく。


 ひたすらにクルドを狙うシューゲツ。本能的に彼女を追い込んでいく為、足下など当然意識するはずも無い。案の定自身の奔流で洗い流され剥き出しになった大木の根に足をもつらせ、バランスを崩す。奔流が上を向き、水圧によりもつれた足が更に液状化した大地にめり込む。


 奔流を解除し、無理矢理にでもと足を引き抜かんとするシューゲツの周りの大地が大きな口の形を以って盛り上がる。そのまま下から地面を食い破るように現れた地龍になすすべもなく、頭部だけを残して呑み込まれた。


 シューゲツを咥えたまま地龍は元の大地へと姿を還す。盛り上がる大地の中、顔だけをこちらに覗かせるシューゲツの前にラディが立ちはだかる。握る双剣の刀身を彼に向けて呟いた。


「眠れ……おまえももう疲れただろう」


 ラディが双剣を振りかぶる。シューゲツの首元に触れる寸前迄刀身を迫らせたその時だった。


「……クソッ!!」


 覗かせる首からバレーボール程の大きさの水弾が放たれ、至近距離でラディに命中する。咄嗟に受身を取ったものの彼の身体は大きく吹っ飛び、茂みの中へ突っ込んでいった。


「まだやる気……? 死んでるはずなのに元気すぎるじゃんか……」


 クルドが魔術の構えを取る頃には右手だけを無理矢理大地から突き出し、水弾を生成していたシューゲツ。彼女の魔術よりも先に水弾を放つ。


「……やばっ!!」


 魔術を中止して退こうと身体を翻す彼女の前に“黒い”異形の右腕を前に翳す男が一人。彼は水弾を正面から右手で受け止め、四散する水しぶきがクルドの頬を濡らした。


「……ってぇ!!!」


 幾ら龍のように強固な腕であろうとも轟速で迫る水弾を正面から受けてしまったイブキ。血だらけになった右手を無理矢理握り締めて、既に半身を解放させたシューゲツへと向かってゆく。


 --シューゲツもういいだろ……! なんで戦うんだよ!! もういいんだよ!! 頼む止まってくれ!!


 そんなイブキにも容赦なく水弾を向けようとするシューゲツ。しかし、もう彼を纏う龍魔力は底を尽きているのか右手にはほんの少量、崩れかけの水の塊がイブキの顔を射止めようと牙を向ける。


 交差する両者の右腕、先に頬へと到達したのは水を纏ったシューゲツの拳だった。


 イブキの頬にめり込む既にボロボロの右手。頬の骨が砕かれ、口内には血の味が広がる。


「シューゲツ……!! お前を……止めるッ!!! 俺がァ!!!!!」


 それでも諦めずに拳を突き出し、力ずくでシューゲツの頬を捉える。今までの自分では考えられないほどの力が右腕に込められていることに驚きながらも、『そんな暇はない』と振り切るように更に足を踏み込み力を入れる。


 そのまま右手に全体重を乗せ、シューゲツの身体を押し投げるように殴り抜く。一定のダメージ量を超えゾンビとしての効力を失った彼の肉体は抵抗することなく、寧ろまるで“自ら殴られに行っている”ような潔さがあった。


 --じゃあな……日向秀月……。


 イブキの心の声が手向けとなったのか、殴り飛ばされ大木に叩きつけられたシューゲツの身体はこれ以上動くことは無くだらんと腕を落とし、崩れるように倒れていった。


 それを見届けたイブキも同じように腕を崩して身体を前にのめ、糸が切れたよう倒れていく。


「あ……キミ……!!」


 奥で一部始終を見届けていたクルドが口を開く。無防備に倒れていくイブキの身体を抱えたのはラディだった。


「生きてる? ソイツ」


 後ろから顔を覗かせ、問いかけるクルド。少しだけ心配そうな彼女に安らかに眠るイブキの寝顔を見せつける。


「意識を失っているだけだろう。事情聴取の為にもこいつはこのまま持って帰るぞ」


 うん、と頷くクルドと2人でシューゲツが眠る大木に目をやる。目を閉じ、少しだけ口角があがったように見える彼の死に顔は、血に塗れながらも安らかに、そして引導を渡してくれた3人への感謝を表しているように穏やかだった。


「もう少し、早く来れたらね」


「どの道メテンだ。どの道何処かでこいつと戦闘した可能性だってある」


 少しの沈黙の後、散らばった遺体を埋葬した。何故か依頼されていたフレイマの遺体だけ発見できなかったが、これ以上の捜索は困難とみなし後に専用の調査隊に依頼することにした。


「俺がこの男を背負うからお前は荷物を持て、俺も疲れてるんだ」


「美少女にも容赦がないっていうか…ラディはさ……」


「お前は美少女ってよりはガキだろ」


「はぁ?? なによそれー」


 ぶつくさ文句を垂れるクルドを置いて、イブキを背負ったラディはすっかり薄暗くなり始めた森を抜けようと歩き出す。


「さ、さきいくなって……ん?」


 ラディの背中を追うクルドは、彼と背負われたイブキの周りに浮遊する青白い魔力の“塵”を察知して立ち止まる。


 ただ不思議と、その魔力に“脅威”を感じることはなかった。暖かく優しく、そして全ての者にも平等に降り注ぐ日向のようなぬくもりを孕んだその霧は、今は意識を失ったイブキの元へと集約され、間もなくして消えていった。


 一部始終を見届けた少女はそっとフードを被り直してからポケットに手を入れ、ラディに追いつく。彼は視線を少しだけクルドに移し、呟く。


「こいつに宿ったか」


 それだけを言い残し、2人は歩き出す。修羅場となった転生初日。謎の二人組に拾われる形で生存を果たしたイブキ。彼は何を願い、突然与えられた力をどのようにして使うのか……。宿命と願望に翻弄されることになる彼の物語は、まだ始まってすらいないのかもしれない。

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