第2話 百合に男は必要ない②


 結論から言うと、僕は逃げた。


 この学校全男子生徒が一度は夢に見た『御形薺に声をかけてもらって一緒に教室まで行く』という宝くじに当たるよりも少ないラッキーイベントを、僕は棒に振ってしまったわけだ。そのせいで校内は、「どうやら、あの御形さんの温情を振り切って登校してきた不届き者がいるらしい」という僕の噂で持ち切り。

『名前は知っているけれどどうも顔を思い出せない生徒ランキング』で殿堂入りした僕は、そのおかげでようやくみんなに顔を覚えてもらえたのだけれど、なんだか割に合わない気がしてならない。


「亞生くんッ、なんでさっきは逃げたのかなー」


 災厄、再び。

 周囲の視線が急にひりつく。みんなには『今朝やらかした僕』と『そんな僕に気遣って話しかけてくれる天使の御形さん』が見えているのだろうけれど、違う。御形さんは顔も声も柔らかく笑っているけれど、僕に向けられた雰囲気はまさに歴戦の暗殺者が放つさっきそのものだった。

 まさに蛇に睨まれた蛙。さらば、僕の日常……。


「いや、その、びっくりしてさ。昨日の今日でこうして話しかけてくるとは思ってなかったんだよ」


「フーン。ま、いいや」


 爽やかに笑う御形さん。

 絵にかいたような美少女さにきゅんときてしまうも、彼女にはお付き合いしている女性の存在を知っていると思うと罪悪感がぐさりと胸に刺さってくる。


「この後、顔貸してよ。場所は屋上ね。私、待ってるから」


 御形さんはそう耳打ちすると教室を出ていった。

 僕は、今回も間抜けな返事を漏らすだけだった。





 ◇◇ ◇

 校内にホームルールの始まりを告げる鐘が響く中、僕は流されるように屋上へと向かった。

 今にも雪が降ってきそうな厚雲に見下ろされて、まだ8時になったばかりの風に身をブルりと震わせる。


「確か、僕の告白って失敗だったんだよね?」


 冴えない空に黄昏る御形さんに、僕は言った。


「うん、盛大にフったよ。一部の期待もかけず、完膚なきまでに叩き潰した」


「そう言われると余計に落ち込む」


「はは」


 御形さんが振り返る。しかも笑いながら。

 いくら彼女が神聖不可侵の百合の住民だとしても、この花のような笑顔にはときめかずにはいられない。耐性のない僕にとっては思わす目線を逸らしてしまう程、御形さんの笑顔には破壊力があるのだ。


「じゃあ、なんの用? 昨日告白した僕がそう聞くのもあれなんだけれど、ここ寒いし、ホームルーム始まってるし……」


「亞生くん、昨日私がなんて言ったか覚えてる?」


「まぁ、うん。君が女性と付き合っている、っていう話だろ」


「そこじゃあない。亞生くんが私のペットになる、っていう話」


「あぁ、そっちね」


 忘れてた。


 僕は昨日、御形さんが百合であるという事実に心を震わせて躍らせている間に、そんな突拍子もない話を承諾してしまったのだった。


「と言っても、『ペット』って何すんだよ。僕は気の強い女性は好きだけれど、虐げられたいとか、なじられたいとか、そういったMっ気はないんだ。あと、その『ペット』が何であっても僕は御形さんのペットになるつもりはない」


「なんで?」


「それは、その……」


 答えに迷った。

 僕が百合男子ってことは限られた同好の士しか知らないトップシークレット。一族郎党や幼馴染、ましてや高校から知り合った御形さんが知るはずもない。


「一身上の都合というか、ある種の戒律っていうか……」


「あぁ、そう。亞生くん、百合男子なのね」


 知ってたッ!?


「どうしなの、そんなにびっくりして……。なに、もしかして図星?」


 コクコクと赤べこのように首を振る僕。


「い、いつから気づいてらしたんですか……?」


「いつからも何も、今さっき。強いて言うなら、『戒律』って言ったとこ。私も長く女の子と付き合ってきてるとね、寄ってくる男子もいるの」


百合男子僕たちとそんな不届き者を一緒にするんじゃあない」


 口が滑った。


 いや、言葉の内容は本心で言ってしまっても僕は何ら問題ないけれど、御形さんを目の前にして言うことではなかった。でも彼女はまっすぐ僕を見つめたまま、笑った。


「私も思ってたよ。亞生くんはそんな『不届き者』じゃあないって」


「だから、『ペット』になれって?」


「だって私、男子のこと性的に好きになれないから『彼氏』はいらない。でも、亞生くんのことは人として好きになったの。ただの友達にするにはもったいないって思ったほどに」


「君が僕のことを好意的に思ってくれてるのは分かった。けれど、それとこれと何の関係があるんだよ?」


「そこは本人に聞いてみよっか」


「本人?」


 背後から足音がした。

 屋上に上がる唯一の階段から誰かがやってくる。


「やっほ、桔梗ききょうちゃん」


 やって来たのは、桔梗と呼ばれたうちの制服を着た女子学生。

 僕の、幼馴染だった。

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