第36話 エピローグ
「やばいッ、寝坊したッ!」
予想外のところを指した時計の針に驚いて、僕は冬場の布団の魔力を跳ね退ける。
布団が飛んで着地するまでの1秒足らず。その間に僕は寝間着を脱ぎ捨ててパンツ一丁になって、制服に飛び移る―――。
「いだぁ!」
が、小指がタンスの角に当たって七転八倒。のたうち回る間に体が冷えてくしゃみまで出る始末だ。
涙目のまま制服に着替えて、朝食を食べずに家を出る。
いつもなら早めに家を出た女郎花に自転車で追いついて軽く罵倒を食らいながら追い抜くのだけれど、寝坊したせいで誰にも会わずに校門まで到達してしまった。時刻は7時53分。ギリギリホームルームには間に合う時間。
理不尽な校則がないことが自慢の柳塾高等学校だけれど、何故か自転車通学は禁止。教師に見つからないように1ブロック手前で停車し、行政の撤去や不届き者の窃盗に合わないように手を合わせた後、何もなかったように悠々と歩き出す。
「四月一日亞生君ッ!」
聞き慣れない声で呼び止められた。
振り返る。
僕を呼んだのは他校の制服を着た、同い年くらいの女の子。
子犬のように愛嬌のある小柄な体にボブカット、大きな瞳はコンタクトレンズによる乾燥対策で涙ぐんでいるように見える。可愛さは作れると知った女の子だった。
「えっと、どこかで会った?」
「忘れているようだけれど、私と貴方、同じ中学よ」
「なるほど。せっかく声かけてくれたのはうれしいんだけれど、実は僕、今にも遅刻しそうなんだ。それじゃあ―――」
「待ってッ!」
グベェ、といきなり襟を掴まれて変な声が出た。
「! ご、ごめんなさい」
車に引かれた蛙みたいな声に驚いた彼女は咄嗟に手を離してくれたけれど、そのせいで僕の遅刻は確定。校門は無残にも閉まってしまった。
1分でも1時間でも遅刻は遅刻。
こうなったら徹底的に重役出勤をかましてやろうじゃあないか。
「んで? 元クラスメイトの女の子が、僕に何の用?」
「貴方に一つ、頼まれて欲しいの」
「百合に挟まる以外のことなら喜んで」
「百合? なにそれ?」
「いや何でもない、こっちの話」
口が滑った。
彼女は見下すような瞳で僕を一瞥した後、カバンを探って一つの手紙を取り出した。
「これを女郎花桔梗さんに渡して欲しいのだけれど」
「それは無理だ」
思わず即答。
「どうして? 届けるだけじゃない。それに幼馴染でしょ、貴方たち。手紙一つ渡してくれないの?」
彼女が食い下がってきたけれど、それとこれは話が違う。
女郎花の名前を出して近づいてくる女子は大抵、あいつの面倒くさいファンと相場で決まっている。それはクール系先輩OLが可愛い系後輩OLに自宅でヒイヒイ言わされているのと同じくらい常識なテンプレートなのだ。
触らぬ神に祟りなし。こんな面倒ごとに断るに越したことはない。
「お願い、四月一日君ッ。私、女郎花さんと付き合ってたのッ!」
前言撤回。
先程僕が言った断る理由と百合男子としての信念を、前言撤回。
僕は彼女から手紙をひったくった。
百合に男は必要ない。
そんなことは百も承知だ。百合に挟まろうとする男など、この僕が処刑してやる。けれど、少し間が差してしまったのだ。
百合の修羅場も見てみたい、と。
百合に男は必要ないッ‼ 朝霞 敦 @atsushi-asuka
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