第35話 彼女は輪廻の蛇を見る⑫


 ショーが終わり、時刻は18時前。アシカたちの迫力に満足して後は腹を満たすだけ、と考えていた薺の元に携帯電話がメッセージの受信を伝えた。


『訓練終了。評価を伝えるため、すぐに解散するように』


 あの男からだった。

 デートのアフターとして桔梗とお楽しみと洒落こもうと思っていた薺だったが、こうして釘を刺されたということはこれ以上デートを続けれる『未来』はないということ。そうとなれば従わなければならない。


「ごめん、二人とも。もう帰ってこいって言われちゃった」


 そう言って、逃げるように解散。桔梗と亞生を同じ電車に置いて行き、別の電車に乗り込んだ。

 そこそこ人のいる電車に乗ったはずの薺だったが、瞬きをした瞬間、車内は彼女を残して誰もいなくなっていた。


「訓練はどうだったかね、薺?」


「うひゃぁッ‼」


 突然の声に変な叫び声をあげる。声の主は無論、あの男だった。


「ちょっと、驚かせないでよ!」


「二年ぶりの再会なのでな、ちょっとしたサプライズのつもりだったのだが」


「|度肝を抜か《astoundせてどうすんの。変な声出しちゃったじゃん」


「それはすまなかったな、正直ここまで驚くとは思わなかった」


「ウソ、こうなる運命だったんでしょ、私。いつもみたいに馬鹿にしながらどや顔でもすれば?」


「現に今そうしているわけだが?」


「ムキー!」


「どうどう……。まぁ落ち着いて座ったらどうだね」


 フンッ、と不機嫌に座る薺。

 男は対面するように座った。その手には二年前に彼女に送った『未来』について書かれたメモとは別に、使い古された手帳が握られている。


「今日の訓練についてだが、及第点を与えても良いと思う。初めてにしては非常によくできていた、流石だ。しかし、初めてにしては、という枕詞を抜きに考えると手放しには褒められない」


 曰く、薺が犯したミスは二つ。

 一つは四月一日亞生の行動を制御しきれなかったこと。訓練を忘れてデートにのめり込んでしまったことで危うく警備員に連れて行かれそうになってしまった。関係の中心にいるような人物を放置して臨んだ結果を出す段階にはまだ薺は達していないため、危険行為に当たり減点。

 もう一つは、強引な行動で対象者に違和感を覚えさせたこと。


「それがどこか分かっているかね?」


「えー、っと……。ショーの抽選に行かせたこと?」


「分かっているならよろしい。確かに、あの状況を放置していれば四月一日亞生と女郎花桔梗の関係は悪化し、二人はもう二度と一緒に居ることはないだろう。それを回避しなくては、と気づいた勘は評価しよう。だが、手段は悪かったな―――」


「ちょっと待って、さっきからその場にいたように言ってるけど……」


「まぁ、その場にいたからな」


「うっそ、どこにいたの? それっぽい人いなかったけど」


「今みせても問題ないか、見せてやろう」

 男はそう言って、年季の入った腕時計をいじる。

 カチッと音が鳴るや否や一瞬にして男の姿が変貌する。鏡を見たように、男は薺と愛い二つの姿となっていたのだ。


「ホログラムだ。遥か未来の技術をそう易々と過去に持っていくわけにはいかないんだが、タイムキーパーとしてのキャリアが上がっていくと自由に使えるようになる。店の店員、警備員、水族館の従業員。今日一日、お前たちの行動を監視していた」


 驚きのあまり、薺は口を開けたまま何も言えなかった。

 そんな彼女を無視して、男は続ける。


「さて、どこまで話したかな……」


「待って」


「なんだ、まだ何かあるのかね?」


「あるに決まってるでしょ、いつまでその恰好であるつもり? 他人に自分の姿でいられると落ち着かないんだけど」


 それもそうだな、と男は時計をいじって元の姿に戻る。


「では、話を戻そう。どこまで話したかね?」


「二つ目の減点ポイントの話」


「あぁ、お前の機転と要領が悪いという話か」


「おい」


 男の人を食った冗談に、思わず口調が変わる。彼女の亞生にしたやり取りだが、それを真似されたようでなんだか腹が立つので、これから少し控えようと思う。


「これは現場を続けることで身につく技術だ。いちいち口で説明するより、訓練で実践していった方が良いだろう。次から留意するように。評価は以上だ。何か質問はあるかね?」


 ありません、と薺は首を振る。

 話題を無くし、二人は黙りこくった。話しかけようとするも、男には薺の気を引く話題が見つからない。ただ、うるさい車内に座る姿を見ているしかできなかった。そして、次第にそんな彼女が引き取った直後の、まだ父親の死から立ち上がれない幼い姿に重なってしまい、これから彼女を待っているであろう未来に思いをはせる。


 タイムキーパー。

 それは人の『過去』と『未来』をかき分けて、無数に枝分かれする『分岐世界パラレルワールド』を守る者。薺はこれからタイムキーパーの見習いとして、四月一日亞生と女郎花桔梗が織りなす数多の関係を調節していくことになる。かけがえのない友人や恋人とどうなろうが、彼女が20歳になれば一人前となって別れを告げなければならない。

 辛く厳しい道のり。だが、彼女の歩む運命は変えられない。


「すまないな」


「? 何か言った?」


 つい言葉が漏れたようだ。


「いや、何でもない」


 男は訂正する。

 人の未来は変わらない。そう納得してこれまで多くの人の不幸を見届けてきたというのに、薺のことを考えていると謝りたいという気持ちでいっぱいになってしまう。自分が、タイムキーパーになるべくして彼女の人生を、幕を閉じるはずだった彼女の運命を自分の手で作らせてしまったからなのか。

 きっと、年のせいで感傷的になっているのだ。

 そう考えて男は、自らの胸に湧き上がる感情に冷静に蓋をした。

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