第12話 うら若き貴女の悩み③


 4月。貴女は晴れて中学生になった。


 進学したのは地元の公立校。

 新入生は50人と少しの2クラス編成、特に何でもない普通の12歳の集まりだ。新しい環境にいち早く慣れようとみんな揃って同じ小学校出身たちで固まっている。本当ならば貴女もそうしているのが普通だったが、頼りにしていた四月一日亞生とは別のクラスになってしまったので、あっという間に気を失って一人ぼっちになっていた。

 だが、学校はまだ初日。貴女一人がハブれていても、周りは自分のことで頭がいっぱいで貴女のことなど一切気にしていない。貴女自身も「少し疲れたな」といった感じで、初日を終えた。


 翌日。貴女はいつものように四月一日亞生の家の前で待っている。


「亞生ッ、おはよ」


「おはよ」


 彼は気怠そうに玄関からやって来た。その手には真新しい折りたたみ自転車が。


「どうしたの、それ?」


「入学祝で買ってもらった。今日からこいつで登校する」


「いいなー。ねぇ、乗せてってよ」


「やだよ」


「いいじゃん、ちょうど良い荷台もあるし」


「嫌なもんは嫌だ」


 彼はごねながらも自転車を組み立ててゆく。瞳のクマから一晩で練習したのだ、と貴女は察する。


「減るもんじゃなし。ほれッ、しゅっぱーつ!」


 貴女は強引に荷台に腰を下ろし、自転車に跨いだ彼の腰に抱きついた。

 彼は困ったような顔をして、


「近くになったら下ろすからな」


 足に力を入れた。




 そうやって、貴女は中学生活を送るつもりだった。


 いつものように四月一日亞生の後ろについて行って、彼の友達に何となく話を合わせていれば生活はできる。クラスが違っていたって、彼の友人を辿っていけば同じクラスの人だっているだろう。そう思っていた。

 貴女が間違いを犯していたと気がついたのは、いや、世間を甘く見ていたと気がついたのは、それからさして時の経たない、入学から1週間が経とうとした頃だった。

 その日もその日とて、貴女は一人きりでクラスをのりきり放課後になって四月一日亞生の元へと向かっていた。


「亞生ー、今日はどこの部活見るー?」


 だが、教室には彼の姿はない。

 教室に居残ってカードゲームをしていた男子生徒たち数人が、きょとんとした瞳で貴女に注目する。


「……! ご、ごめんなさい」


 教室の戸に隠れ、一気に委縮する。


「誰か探してんの?」


 一人が話しかけてきた。


「……」


「? ごめん、聞こえなかった」


「……」


 二度も聞き直したくなかった生徒は席を立ち、貴女のところへと歩を進める。


「このクラスの、四月一日亞生くんはどこですか……」


 手の伸ばせば届くような距離に来てようやく、生徒に言葉が届く。


「あ、あぁ。四月一日ならさっき帰ったよ。まだ時間も経ってないから、駐輪場にいるんじゃあないかな」


 腰がひけ、潤んだ瞳をした貴女に、生徒は初めて感じる胸のときめきに戸惑うも、親切に答えてくれた。そうと分かった貴女はも言わず(聞こえなかっただけかもしれないが)脱兎のようにその場から走り去った。


 べたべたとまだ履き慣れていないローファーの音を廊下に響かせながら、ようやくの思いで駐輪場へ到着。校舎を半周することになってしまった訳だが不思議と行けるものだ、と少し驚きながら、貴女は彼の背中を捉える。


「はぁはぁ、酷いよ、亞生。なんで、はぁはぁ、あたしを置いてったのさ」


 息を切らすながら言う。

 それでも、彼は振り返ろうとはせずに黙々と自転車に巻き付けていた防犯用にチェーンをいじっている。


「ちょっと、聞いてんの、亞生?」


 肩を叩こうとした貴女の手を、彼の手が振り払う。

 バチンと静電気が走ったように弾かれる。

 驚愕の瞳。

 向けられる冷ややかな目線。

 立ち上がって分かる身長の差。


「女郎花……」


 そして、突き放つように呟かれる自分の苗字。

 空耳でも、盤外戦でもない。AからZまではっきりと彼から発せられた言葉だった。それはつまり、貴女と彼の関係が変わってしまったことを表していた。


「女郎花、僕がクラスでどう言われてるか知ってるか?」


「どうしたのさ、いきなり―――」


「『女たらし』だよ。『女にだらしがないやつ』って意味。別にいじめられてるとか、そう言うんじゃあないけれど、からかわれるんだよ。ことあるごとにお前の名前が出てくるし、友達を作ろうにも、その……」


 彼は言葉に詰まった。

 先程まで合わせていた視線をずらし、バツが悪そうに頭を掻く。彼がそうする時は決まって感情に合う言葉を探している時だ。



「邪魔なんだよ」



 絞り出されたのは、あまりにもシンプルで残酷な言葉。


 崖から落とされたような、生まれた初めて味わう感覚が貴女を襲う。

 心臓がきゅっと握りつぶされて、呼吸が苦しくそして荒くなる。

 視野は一気に狭くなり、手足は金縛りにあってビクとも動かない。

 そんな彼女を無視して、彼は自転車に乗って帰っていった。

 少しして、夕日で出来た影が体の全てを飲み込まれた貴女は力なく尻もちをつく。


 涙は、出てこなかった。


「おい、大丈夫か? 具合でも悪いのか? おい、おい―――」


 ちょうど通りかかった教師に声をかけられても、返事をする気にもなれない。そのまま教師におぶられて保健室に連れて行かれ、少しベッドに横になった後、母親に連れられて帰宅した。心配そうな母親の質問にも答えず、貴女は寝付けずに朝を迎える。




 翌日。貴女はいつものように彼の家の前で待っている。

 昨日は偶々虫の居所が悪かっただけかもしれない、と一抹の希望を抱いて待っていた。


「亞生ッ、おはよ―――」


 が、彼は何も言わず、貴女に一瞥もせずに自転車の速力に任せて過ぎ去ってしまう。

 その時やっと、貴女は『自分が四月一日亞生に捨てられた』と理解した。


 心から泣いたのは、初めてだった。

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