第13話 うら若き貴女の悩み④


 半年経って、9月。教室はある異物の存在にそわそわしている。


 座っている席から確認するに、3番。『女郎花桔梗』という女子生徒のはずだとすぐに分かっていたが、そこに座っていたのは全くの別人。身長はそこいらの男子生徒よりは高く、肢体には全くの余分なものがないすっきりとしたシルエットをしていた。物憂げに佇む悲しそうな瞳は、目を合わせれば吸い込まれそうなほど魔的で、艶やかな黒髪と真白な肌で、どちらかと言えば美少女よりも美男子を思わせる。


「あ、あの。……女郎花、さん?」


 眼鏡をかけた、いかにも委員長な女子生徒が話しかけてきた。


「なに?」


 名前を呼ばれた貴女は返事をする。


「もしかして、席間違えた? すぐ移動する」


「いや、違うの。なんて言うか、その……、夏休み前と比べて随分と雰囲気が違うから……」


 赤面する委員長。


「身長、伸びたんだ。20センチ。成長痛が酷くてさ、ろくに外も出れなかった」


「言葉遣いも、変わったね」


「髪切った所為かも。前までの自分が嫌になったから、今度は真逆なボーイッシュにいってみようかなって」


「かっこ良いね。女の子に言うのも変かもしれないけれど」


「そうかな? あたしは嬉しいけど」


 貴女の笑顔で、委員長の顔から火が噴き出した。

 それが何を意味しているか分からない貴女ではなかったはずだが、気づかないふりをする。貴女にとって、目の前の委員長のような女の子は女の子でしかない。自分の同じ、女の子でしかなかった。それ以上でもそれ以下でもない。友達に慣れてもそれ以上の関係、つまり恋人のようなより深いプライベートな関係にはなれないと思っていたからだ。

 ただ、同時に人に好意を持たれる快感も感じていた。

 自分の一挙手一投足に赤面されるというのは、嬉しいというか、面白いというか、何とも形容のしがたい幸福感、ふわりと体が浮かび上がってくるような感覚が、妙に癖になるような気がした。



『邪魔なんだよ』



 あの時、四月一日亞生が放った心無い言葉が貴女の胸の中を茨のように締め付けていたが、こうして快感に浸っている時間だけはそれから解放されていたこともあって、貴女が中毒になるのは時間の問題だった。



◇ ◇ ◇


「桔梗さまー、今日暇?」


 翌年の秋。桜の木が紅く染まる頃には、貴女は『桔梗さま』と呼ばれ、学校で知らない者はいない有名人になっていた。


「ごめん、今日は無理」


「どっかの部活の助っ人かね?」


「そう。今週は確か……バレー部」


「色々大変そうよなー」


「別に、好きでやってることだし。案外楽しいもんだよ、やってみれば?」


「やーだ。ワイは自分のことで精一杯だよ、んじゃあ、また明日なー」


 どこかの部活に助っ人に行ったのを機に仲良くなった快活な女子生徒と別れ、貴女は歩き出す。

 異様な第二次成長期に差し掛かって、身長はもう167センチ。長い手足には、食べれば食べる程筋肉が成長し、余分な肉もつくべきところにつく。そんなアスリートとして申し分ないくらいに恵まれた体質も相まって、スポーツにおいて並ぶ者のいない超人となっていた。そのせいもあって、体育系の部活動からの勧誘はひっきりなし。妥協案として、各部活動が交代制で『女郎花桔梗』を借り受ける、ということで落ち着いた。

 本来なら、休みなどあってないようない多忙な生活を強いられる貴女だったが、色々な理由をつけて休むこともしばしばあった。


「遅れてごめん、待った?」


「い、いえッ。私も、今着いたところ……です」


「なんで敬語?」


「なんか、緊張しちゃって……」


 貴方を待っていたのは、何時ぞやの委員長だった。

 トレードマークの眼鏡をコンタクトレンズに、三つ編みを解いてボブカットに整えて、完全なる勝負に出る乙女の姿だった。


「じゃあ、行こうか」


「うんッ!」


 どう見ても先程ついたようには見えなかったが、そこには触れずに校門を出る。

 人一倍大きい歩幅で歩く貴女に遅れまいと子犬のようにぴょこぴょこ歩く委員長を連れて、貴女は通学路を行く。どこかに寄ろうと提案するも、


「ダメです。先生に見つかったらどうするの」


 と言って頑なに許してくれない。


「じゃあ前を通るだけは?」


「? どういうこと?」


「お店には入らないで、雰囲気だけ楽しむ」


「楽しいの、それ?」


「きっと」


 そう言いくるめて、街へ。

 中学校の制服を着た14歳には不似合いの、洒落っ気のある街に繰り出した貴女と委員長はキョロキョロと辺りを見回している。


 そこで貴女は、とある有名カフェチェーン店の窓辺にいた同じ年頃の少女を見つける。

 彼女は小さなカップを横に置いて、珍しい装飾の紙の本を読んでいた。

 文字を追っていく瞳。

 垂れる髪を耳にかける指。

 コーヒーの香りが染みついているであろう唇。

 一瞬にして、貴女は心を奪われてしまう。

 このまま彼女の漆黒な姿に吸い寄せられそうになる……が、


「どうしたの、女郎花さん?」


 委員長の言葉が貴女を現実に引き戻す。


「別に、何でもない」


 視線を戻すも、貴女の瞳を辿って委員長は窓辺の彼女を視認する。


「あぁ、御形薺さんか。綺麗だもんね、彼女」


「知ってるの?」


 驚く。

 制服から見るに、彼女は自分たちと同じ公立校ではなく街の中心にある有名な私立校の生徒だったからだ。


「逆に知らないの? 柳塾中の御形薺さん」


「知らない。有名な人? モデルとか、子役とか?」


「何にもやってないよ。ただの一般人、私たちと同じ中学二年生。あまりにも綺麗で、浮ついた話が一切ないから男どもがみんな狙ってるの」


「馬鹿だなぁ、こんな美人に彼氏がいないわけがないじゃないか」


「それがいないの。写真の隠し撮りとかしている人もいるのに、そういった影が全然ないんだって」


「じゃああれか、女の子が好き、とか」


「かもしれないけど、そんな話もないかな。どっかの誰かさんとは違って」


「そう……」


 聞かなかったことにして、貴女は御形薺というらしい彼女に視線を戻す。

 目が合った。

 まるで貴女が見とれていたのを知っていたかのように、彼女はにこりと笑い本を閉じて口元を表紙で隠した。

 本の題名は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』。

 その本がどういう物語でどういう結末を辿るのかは、当時の貴女は知らなかった。

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