第18話 うら若き貴女の悩み⑨


 御形薺と恋人になって一年が経った高校2年生の12月の17日。貴女は彼女に呼び出された屋上で四月一日亞生に再会する。

 彼も彼で貴女に思うところがあったようでどぎまぎしていたが、当の貴女は特にいつもの代わりはない。過去に彼が犯した過ちは、貴女の中ではもう何の意味も持っていないからだ。彼が何をどうしようと、それは彼の勝手であって貴女には心底どうでも良いことだった。


「僕は絶対に行かないからなッ! 百合に男は必要ないんだッ! 当事者になってやるもんかッ‼ 絶対にッ‼」


 血気迫る叫びを残して彼は屋上を後にする。

 昔の話や、彼の謝罪は一切なく。ただ陽気に彼女のわがままに振り回されただけだった。何か期待していたわけではないが、貴女の顔には落胆の色が見える。


「桔梗ちゃん知ってた? 亞生くん、百合が大好きなんだって」


「百合って? 花のことじゃないだろう?」


「んー、私も詳しくはないけど。女の子が大好きな女の子同士の関係を『百合』っていうらしいよ」


「なら、あたしたちも百合だな」


「桔梗ちゃんってばべたべたし過ぎ。もう、去年はそんなんじゃなかったでしょ」


「そうだったか?」


「そうだよ。もっとツンツンしてた。デレデレの今も可愛いけど、ツンツンしてた時はカッコよくて可愛かった」


「薺が特別だからだ。薺には皆に見せないあたしでいたい」


「でも気をつけてね。亞生くんはまだ分別にある子だから言いふらすことはないだろうけど、他の人はそうじゃないから。大変だよ、普通じゃなきゃ認めない、って騒ぐこの対応。桔梗ちゃんのファンの子なんて特に危ないかも」


「善処する」


 ホームルームの終わりを告げるチャイム。

 彼女は自分に巻き付いた貴女の腕をほどきながら反転、両手を繋いで向かい合う形になる。


「桔梗ちゃん、今日から部活の助っ人でしょ?」


「そうだな、女子野球部。中々ハードにスケジュール抑えられた。抜け出せるのは厳しいかな」


「分かった。じゃあクリスマスまでお預けだね。楽しみにしてるねッ!」


 そう言って、彼女はスキップで階段を下りて行った。

 隣の女子生徒から、無事に担任の追及を乗り越えた旨をメッセージで受け取り、貴女はゆったりと教室に戻る。

 二年生にあがる際のクラス替え、彼女が四月一日亞生と同じクラスになり程なくして親しくなったのは貴方も知っていた。周囲から聞いた彼の評判と言えば、


『マニアックなヲタク気質はあれど自分と一般人との距離は保っている人畜無害、それ以外は悪目立ちしていないので際立った印象はない。ただ名前が珍しいから覚えているだけ。ついこないだまで顔と名前は一致していなかった。あのヲタクがあの四月一日亞生だったのか。少しショックだ』


 というあまりにも可哀想な結果。


 当然、貴女と彼が同じ中学校出身でやんごとなき過去の関係がある幼馴染だとは、誰も知らなかった。そんな状況でこの柳塾高校で事情を知っている唯一の人物である彼女が彼と親しくしている、というのは偶然とは思えない。一度はそう考えた貴女だったが、どうせあの御形薺のことだからからかい半分だろう、と勝手に合点して無視することにしていた。

 それに、貴女にとって彼は、四月一日亞生という存在はもうどうでも良いはずだった。彼が彼女のことをどう思おうが、どう接していようが、貴女には何も影響しないはずだった。だが、今日こうして久しぶりに直接言葉を交わして、彼女を交えた3人で会話をしていると、妙に胸の奥がむかむかしてくる。

 貴女はてっきり彼が過去に犯したことに罪悪感を抱いて悔いていると思っていた。まず開口一番に謝罪に一言があって、そうして新しい他人関係が始まると思っていた。自分の想定を裏切られたことに貴女はまた裏切られた気がして、苛立ちさえ覚えた。過去を捨てたはずの自分が過去に囚われて、その元凶たる人物がのうのうと生きていることが許せなかったのだ。

 その鬱憤を、どうやって晴らせば良いものか。

 部活も。

 授業も。

 予備校も。

 貴女に溜まった感情を吹き飛ばすことはできなかった。

 そんな中で唯一心が休まるのは、どんなクリスマスをすれば彼女が喜んでくれるだろうか、と考えることくらい。一年以上交際しているわけだから自然とハードルは上がっているだろうが、四月一日亞生を打ち負かし、満面に笑って喜ぶ彼女の姿を妄想するだけで、幾分かは気持ちが楽になった。

 週の初めのうちは妄想だけで満足していたが、翌日、そのまた翌日となってくると、もうそれだけでは物足りなくなってくる。分単位で予定を決めて、事細かに練り上げられた妄想でも満足できない。最終日にもなれば、無数に散らばったデートプランで携帯の容量は爆発。代わりに用意した裏紙で部屋はいっぱいになってしまった。




 そして迎えたクリスマス当日。貴女はいつものように約束の時間よりも早めに到着した。


「全部じゃんッ‼」


 しかし、そこに待ち構えていたのは奇行に走る男の姿があった。

 駅前のシンボルともいえる像のベンチに腰を掛け、礼儀正しく座って瞑想していると思えば、いきなり意味不明なことを叫ぶ。当然街行く人々は驚いて失せて、呆れた顔を浮かべる貴女が取り残される。


「おい、待てよ。女郎花」


「近づくな、変人」


 目が合って、追いかけてくる。

 踵を返す貴女を捕まえようと伸ばした彼の手を払った所為で、向き合ってしまう。

 そこには誰もいなかった。

 貴女は上を見ていたのだ。最後に見た彼の瞳は、貴女の瞳より高い位置にあったから。だが、そこには何もない。一人きりになった貴女の身長はいつの間にか彼を追い抜いて、貴女で出来た影に彼の瞳は隠れていた。


「四月一日、あたしはお前が嫌いだ」


 言い聞かせるように、貴女は言う。


「先に言っておくが、あたしは中学の頃のことなんか気にしていない。そりゃあ傷ついたが、色々複雑な時期だからな。納得したし、仕方なかった。あたしがお前に怒っているのは―――」


 噴き出す苛立ちに任せて、言葉を撃ち下ろしてゆく。貴女自身、自分が何言おうとしているか訳が分からなくなっていたが、とにかく自分の心にある形のない感情を言葉にしていかなければならない気がして、止められなかった。


「私に隠れて何をしてるの、二人とも?」


 が、彼女が助けてくれた。

 先走っていた貴女の言葉は引っ込み、落ち着きを取り戻す。しかし、今日この機会に彼との因縁に決着をつけなければいけないのも事実。

 少し不安になりながらも、貴女のクリスマスは始まった。

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