第17話 うら若き貴女の悩み⑧


 週末の騒がしいボーリング場。

 多くのレーンが定員で溢れている中で、ひと際注目を浴びる一列がある。


「おー、またストライクッ。すごいね、桔梗ちゃん。しょっちゅうやってるの、ボーリング?」


 6投6ストライクを華麗に決めた貴女に、御形薺はパチパチと拍手を送る。


「小学生のころに毎週末家族でやってた。中学に入ってからは縁がなかったが、意外と体が覚えいてたみたいだ。でも、昔はこんなにストライクは入ってなかった」


「成長期挟むとそんなもんでしょ。ていうか桔梗ちゃん、もっと手心加えないとダメだよ。初心者で、しかも初めて遊ぶ女の子には接待プレイしないと」


「わざとガターとかしても拗ねるだろ」


「よく分かったね、テレパシーで伝わった?」


「なんとなく。薺は面倒くさいし、ナルシストだし、妙にあたしに絡んでくるし」


「やっぱりテレパシーじゃん。またも名も『運命』。意味わかる? デステニーだよ、デステニー」


「分かった、分かった。薺の番だから、早く投げて」


「つまんないの。ねぇ、投げ方教えて! それで許したげる」


 拗ねた顔とあどけない笑顔をころころ繰り返す彼女に負けて、貴女は優しく彼女の手を取る。

 陶芸品のような指一本一本ボールの穴に収め、体を密着させて腕・背中・足の筋肉の使い方を感覚的に(貴女は運動の仕方をうまく言語化できなかったので仕方なく)教える。不意に絹のような黒髪から香った上品な香りが一瞬にして貴女に邪な考えを運んでくるが、なんとか『桔梗さま』と呼ばれていたことの自分を思い出して冷静を装う。


「桔梗ちゃん、いい匂いする。髪のケアとかこだわってるの?」


 本当にテレパシーが使えるのか、彼女は唐突に爆弾を放ってきた。

 貴女は調子が狂って、支えていた彼女のボールは変なベクトルへ。素っ頓狂な落下音をあげながらもボールはそのままピンへ吸い込まれてゆき……、


「あ、ストライク……」


 目を合わせる。


「見たッ、桔梗ちゃん? ストライクだよ、ストライクッ! 私初めてストライクとっちゃったかも! いやー、教えてもらって一発目で結果出しちゃうなんて、私ってかわいいだけじゃなくて天才なんだなー。桔梗ちゃん、今がベストタイミングだよ、褒めて褒めて」


 無邪気にはしゃぐ彼女。今までの、紙の本について語る彼女は知的だったが、今の彼女の姿は別人のようだった。しかし同時に、このギャップが15歳の高校生という大人と子供の間にある等身大の姿なのだと貴女は理解する。それがとても魅力的で、愛らしかった。


「すごいすごい、このままじゃあたしなんかすぐ追い抜かれちゃうんだろうなー」


 この気持ちがバレないように、貴女は適当に返す。

 彼女は上機嫌のためか台詞を真に受けて、その調子で次々にピンをなぎ倒してゆく。

 一投。

 また一投。

 互いに倒し損なうことなくボールを放り続け、結局1ゲーム目は貴女が最初の6投のリードを守って勝利、2ゲーム目は互いに全球ストライクの引き分けに終わる。

 最後のゲームに入る前に、貴女は休憩を提案する。


「うわ、桔梗ちゃんそれ食べるの?」


「大丈夫、あたしだけで食べきるから」


 隣接しているフードコートから帰ってきた彼女が目にしたのは、明らかに5、6人分はあるパーティ用のスイーツパフェ。そして、それを黙々と食べ続ける貴女の姿だった。一方、彼女が買ってきたのは見慣れたカップのアイスクリーム。貴女は昔の『楽し』かったつらい記憶を思い出させる組み合わせだったが、偶然だと思ってパフェに集中する。

 娯楽の合間にスイーツを食べる女子高生。片や愛らしい美少女に、片や凛々しい美男子な貴女。傍目から見れば世界の花園に勝るとも劣らない光景だろうが、貴女が現在進行形で頬張っている巨大な塔が全てを台無しにしていた。

 先程までも十分注目を浴びていたが、今は周囲の視線を独り占めしている。奇怪な様子だった。




 少しして。


「そうだ、桔梗ちゃん。聞きたいことがあるんだけど」


「なに?」


 貴女は空になったパフェの横から顔を覗かせる。彼女はまだアイスクリームを食べきれていなかった。


「同じ中学の子がもう一人いるでしょ。桔梗ちゃんは推薦だったけど、一般試験で入ってきた子。名前は確か―――」


「四月一日亞生」


 久しぶりに口にした名前だった。貴女の首にはまだ彼の呪いが巻きついていても、決してその名前は言わなかった。言わなければ、行動に移さなければ、この辛さを忘れると思っていたからだ。

 だがいざ口にしてみると、思い出して苦しくなるどころか肩から重荷がすっと抜けていくような感覚に気がつく。


「そうそう、エイプリルフールの四月一日亞生くん」


「なんだ、それ?」


「あれ、知らないの? 自己紹介の時にそう言ってたみたいだよ。中学からの鉄板ネタだと思ってた」


「知らないが、その場が冷めきったのは分かる」


「好き嫌いは別れるけどね。私は好きかな、そういうひょうきんな男子」


「あたしは嫌いだな」


「拗ねないでよー。好きは好きでもラブじゃないから。ライクでフェイバリットの方だから」


「ならあたしは、hate大嫌いだ。dislike好きじゃないdespise軽蔑しているdetest吐き気がするloathe胸やけがするabhor視界に入れたくない


「嫌いの全部盛りだね」


「当たり前だ」


 フンとふんぞり返る。


「あたしと四月一日は……」


「言わなくていいよ。なんか辛そうだし、無理しなくても」


 言葉を遮った彼女の顔は、初めての顔だった。今日見てきたどの表情とも違う、慈愛に満ちた表情。そんな顔を見ていると、貴女の辿った辛い過去などどうでも良く思えてきた。


「実はもう、あたしの中では終わっているんだ。確かに四月一日には酷いことを言われてあたしの人生は狂ってしまったが、当時の四月一日は思春期だったろうし、女子を意識しだしてそれが空回りするのも仕方がない。あたしはあたしで、今や『桔梗さま』って呼ばれるほどの人気者。そんな今になっても恨み続けるのは無駄だって思えてきたんだ」


「じゃあ、仲直りとかしないの?」


「それとこれは話が別だ」


 スタッフがパフェを片付けにやってくる。

 それを見送ってから、貴女は続ける。


「あたしは四月一日があたしにしでかしたことを許すんであって、それをきっかけにして嫌いになった人間をまた幼馴染として接していく気は毛頭ない。3年前のあの時から、あたしは四月一日のことが嫌いだ。それだけは変わらない」


「『過去のことは水に流そう』だが『過去に戻るつもりはない』ってことね」


 彼女は手を拭き、最後のゲームを始めようとする。

 早速自分のボールを拭いて握って、投げる。当然ストライク。だが、彼女は飛び跳ねて喜んだり、謎のどや顔を貴女に見せたりはしてこなかった。


「薺?」


 貴女の声で、彼女は振り返る。


「桔梗ちゃん、私思ったんだけど」


 ぽてっと貴女の隣に座る。体は密着していて、顔は吐息がかかるほど近い。


「桔梗ちゃんは、彼のことが好きだったの?」


 好き。


 貴女が、四月一日亞生を好いている。


 そんな訳がない、と貴女は否定したかったが、当時彼と過ごすことで『楽しい』と感じていた貴女がそれを真っ向から否定できるものなのか、急に不安になった。

 当時の気持ちなんて今考えても分かる訳がないし、今の貴女でも『好き』という感情がいまいち分からなかった。中学で多くの女子から好意を寄せられて、これから高校でもそうなるだろう。だが、それでも自分の『好き』を理解できる自信がない。


「分からない。その『好き』がなんなのかも、今まで考えたこともなかった」


 貴女は正直に言う。


「『好き』っていうのはね、いろんなことの積み重なりが『好き』になるんだよ。一緒に居ると安心するだとか、遊んでて楽しいだとか。知識と同じでね、存在としては一つなんだけど、いろんな受け取り方があって、いろんな感覚があるの。それがプラスになって重なり合ったのが、『好き』ってこと。そう考えると、桔梗ちゃんにとって彼は『好き』に値する人だったの?」

「あいつといるときは、確かに『楽し』かった。から、『好き』だったんだと思う。でも、当時のあたしはあいつとしか遊んでなかった。あいつといない時のあたしは、一人きりで空っぽだった。だから、その『楽しい』も、それから導かれた『好き』も、本当は違ったのかもしれない」


「じゃあ、私は? 私のことは『好き』?」


 貴女は戸惑っていた。

 当時の『好き』の信憑性が低くても、現在の貴女、四月一日亞生以外の人と多く時間を過ごしてきた貴女なら、彼女の言う『好き』を正しく表現できるかもしれない。であるならば、貴女の答えは決まっている。


「『好き』だ」


 初めて彼女を見た瞬間も。

 教室で助けてもらったあの時も。

 今日一緒にやったボーリングも。

 彼女がもたらしてくれる感情は、『好き』というには充分過ぎた。


「へへへ、改めて言われるとうれしいな」


「大した誘導尋問だったよ。いつもこんなことやってるのか?」


「やってないもん。今回が初めてだもん」


「どうだか」


 貴女は立ち上がって、ボールを投げる。が、呆気なくガター。

 それを見た彼女はニヤリとして、


「私も好きだよ、桔梗ちゃんのこと」


「また適当なことを」


「さっきから塩対応ひどいー」


「薺が変にからかうからだろ。もっとちゃんとしていたらあたしも真面目に考えてやる」


「へー、真面目ならいいんだ」


 二投目。

 ボールをしっかりと握って集中する貴女の背中に、密着する柔らかい物体が。



「好きです。どうか私と付き合ってください」



 ストライク。

 ファンファーレが流れるなか、貴女は間抜けな返事を漏らした。

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