第16話 うら若き貴女の悩み⑦

 


 貴女は待っている。


 初めて彼女を知ったあの街で、彼女と約束を交わして、待っている。指定された時間にはまだ余裕はあるが、どこか店に寄って時間を潰そうとなるには少し足りない。その場所で立ち呆けるには少し億劫。そして何より、柄にもなくダウンロードしたあの小説を開いてみても、どうにも眠くなってしまって読めたものではなかった。


「やっほ、女郎花さん。お待たせ……っていうか、まだ約束した時間じゃないね。そんなに楽しみだったの?」


 困り果てたところで、彼女がやってくる。


「そりゃあ、これから有名人とお茶するんだし。粗相がないようにしないと」


「その割には退屈そうな背中だったけど」


「暇だっただけだ。どうやって時間を潰そうかって考えてた」


「本読めばよいじゃん。ダウンロードしたんでしょ、『若きウェルテルの悩み』」


「何で知ってる?」


「へへ、私には何でもお見通しなのですッ! ……てのはウソ。図書室(アーカイブ)でダウンロードした記録見たの。私に話し合わせようとしてくれて嬉しい」


「どういたしまして、と言いたいが、生憎あたしには難しすぎたみたいだ。文字を追ってくと眠くなってきて……」


 まださして進んでいないブックマークを指しみせる。


「紙にしてみれば? 実物にしてみると意外と違うものだよ。私もそうしてる」


「読書家でもないのに紙の本はなぁ」


「知識に貴賤はないんだよ、桔梗ちゃん」


「桔梗ちゃん?」


「あ、ごめん。下の名前嫌だった?」


「いや、別に嫌ってわけじゃあ……。ただ、久しぶりで」


「じゃあ、私のことも『薺』って呼んでいいよ」


「遠慮しとく。流石に会って間もない人をすぐファーストネーム呼び出来るほど、あたしはフレンドリーじゃない」


「いいから、いいから。ほれ、言ってみ」


「……」


「言ってみ」


「……な、薺」


「よろしい。苦しゅうないッ!」


 にぱッと笑う彼女。

 再び貴女の胸の中でふわふわとした快感で満ちてゆく。


「んで、何の話だったっけ?」


「紙の本うんぬん、って話」


「そうだった、そうだった。知識に貴賤はないってところね。私はね、どこで何からどうやって知識を得ようが関係ないって思うの」


「だったらあたしが紙の本を読まなくても良いじゃないか」


「それでも、敬遠する理由にはならない。画面ディスプレイがダメでも、紙なら読めるかもしれないでしょ。それでもダメなら、多くお金を出して朗読版を買ってみてもいい。私を知りたい気持ちが欠片でもあれば、そこまでしてくれてもいいんじゃない?」


「もしかしなくても、薺はナルシストだな?」


「そうなっても仕方ないって思わない? こんなに可愛いんだもん。自分の顔に見とれて湖に沈んでも納得しちゃう」


 呆れた貴女は歩き出す。

 高根の花のような存在と思えた彼女のイメージが想像以上に違っていて(それでも掴みようのない泡のような美少女には違いないが)、貴女は安心していた。

 彼女は、特に変わりのない15歳の女子高生で、自分の見てくれを謙遜するわけでもなく、それでいて嫌味なく自身にしているというのだから感心までしていた。


「それで、今日はどこに行くんだ、薺? 本屋ならまだ閉まっていないところが一軒あった気がする」


「別に、どこもないよ。桔梗ちゃんが行きたいところなら、私はどこでもいい」


「どこもないのか? そっちが誘ってきたのに?」


「だって桔梗ちゃん、誘って欲しそうだったから。違ってたらごめんだけど、間違ってないでしょ?」


 全くの図星で、貴女は困ってしまった。

 そんな貴女を見て、彼女は何を思ったのか手を伸ばして、そのまま固く貴女の手を握る。


「……!」


「ささ、私をエスコートして。桔梗ちゃん」


 あざとく笑う。

 休日一緒に街へ繰り出すような関係の女子同士の距離感なら、別に特別なことではない。ただ、貴女にとっては初めてのことだったので、どうにもどぎまぎしてしまう。


 そんな貴女の視界に、ボーリング場の看板が飛び込んできた。

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