第28話 彼女は輪廻の蛇を見る⑤
「好きです。どうか私と付き合ってください」
夜、薺の頭を支配していたのはそんな言葉だった。
指示されたわけではなく、かといって事前に計画して論理的な考えの元導き出した行動というわけでもなかった。その場の気分と言ってしまうのは簡単だ。前日まで絵本に書いたような妄想話に浸かってきたせいもあって薺の脳内は真っピンクの恋愛脳、『好き』とは何かを話して言ううちに桔梗の顔の良さに酔っぱらってしまったのだ。
無論、桔梗と恋人になることには不安はない。一片の後悔のなく心の底から満足している。だが、あの男がこのことにどう言ってくるか考えると、一気に気が滅入ってくる。「これも予想通りだ」とまたどや顔を見せつけてくるにしろ、「冗談のつもりだったんだがな」と馬鹿にしてくるにしろ、面倒くさい反応を見せるに決まっていたからだ。
『そうか。上々の出だしと言って良いだろう。良くやったな、薺』
しかし、電話口から聞こえてくる男の反応は予想していなものとは違った。非常に淡白で、事務的に思えた。
「あれ、驚かないの?」
『驚いて欲しかったのかね?』
「いや、いつもなら変に冗談言ったり馬鹿にしてくるなりしてくるから、意外で」
『意外と思ったのはこちらの方だ、薺。『お前と女郎花桔梗が恋人になる』という
声からどや顔と馬鹿にする顔が見える。
嫌な予感が両方とも当たって薺は複雑な顔をした。
『だが、失敗の痕跡は何一つない。ここまでくれば才能としか言いようがない』
「褒めてるの、それ?」
『褒めているさ。お前にではなく、自分の先見性をな』
「あっそ。もう話がないなら切るよ」
『待て、本題がまだだ』
薺は姿勢を正してメモを取る準備をする。
『とは言っても、次に行う訓練は一年以上先、2029年12月17日だ。その訓練を行うに当たっての人物関係整理をやってもらう。今日、お前が恋人関係になった女郎花桔梗はもちろん、彼女の幼馴染として会話で示唆した四月一日亞生を対象に行う。前者は明日から、後者は来年度、つまり高校2年生になってから行うように』
「じゃあ、明日から『未来』の一部を教えてもらえるの? 私だけに?」
『期限である2029年12月17日までにやるべきことに関する事柄だけ、しかも誤解のない程度の最低限度だ。だが一括して送る。漏れないように厳重に保管して、お前の判断でスケジューリングしてやりたまえ』
「分かった。それが来るのは?」
『もう届いている』
呼び鈴。示し合わせたように(実際そうなっている)、配達ドローンが一つのファイルを渡してきた。
「これだけ?」
『お前のような赤ん坊には充分過ぎる量だ。これだけの未来でも慎重に扱わないと大変なことになる。まぁ、ベテランになればその程度の量を適当に紡いだって簡単に修正できるがね』
「分かった。補助輪付きで自転車を漕げってことね」
『正確には違うが、訂正はしないでおこう。危なくなればこちらかが出向くが、音沙汰ない場合はそのまま突き進め。健闘を祈る』
通話を切る。
薺はベッドに寝そべって、未来の事柄を書かれた資料とまぶたの裏を行ったり来たり。女郎花桔梗の恋人として、タイムキーパーの見習いとして、彼女の秘密の生活が明日から始まる。緊張はするが、楽しみで仕方ない。
薺は遠足を待つように胸の高鳴りをしまって眠りについた。
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