第22話 うら若き貴女の悩み⑬
アシカのショーの抽選は、このご時世に珍しく直接会場に行って発券機で行うものだった。そのため、貴女は順路に則って屋上の最奥にあるアシカの展示まで行かなければならなかった。
この水族館における屋上の展示は目玉とされていて、一般的な魚ではなくジュゴンやペンギンなどの大型な海獣がバラエティ豊かに暮らしている。
当然、人も多い。都会から解放された高層ビルの屋上に設けられた水槽トンネルからペンギンたちが飛ぶように泳いでゆき、海獣への大胆なエサやりやふれあいコーナーを目当てに客が集中しているのだ。あの変な特別展のせいで活発な小学生も右往左往。どちらが動物かも見分けがつかない。
貴女の中で過去が完結しているとはいえ、昔を思い出させる活発な小学生男子を見るのは少し胸を締め付けるものがある。貴女は気を紛らわせようとペンギンの展示で足を止めた。
『ペンギンという動物はとても愛情深いです。カップルが成立し子供ができれば、一生涯添い遂げます。離婚率はなんと3%未満ッ! 人間の方がよっぽど浮気性ですね』
ポップな説明に笑みがこぼれる。
説明の横には水槽にいるペンギンたちの相関図。ペンギンたちはその通りに分かれて、毛づくろいしたり、横並びに泳いだり、子供の世話をしている。独り身のペンギンもその中に割って入ろうともせずに生き生きと暮らしている。
『雄ペンギンの
貴女からまた笑いがこぼれる。
この良輝の恋事情は、今まさに貴女が再挑戦中の『若きウェルテルの悩み』そのもの。良輝は「良い=
今はまだ笑い話であっても、事情を知る人間からしてみれば手放しに笑える話ではない。『若きウェルテルの悩み』は恋に破れたウェルテルの自殺で幕を閉じるからだ。そして、出版されたこの物語を読んだ者がウェルテルに影響され次々に命を絶った、という逸話もある。
「もしお前が死ねば、一緒に死んでくれる奴はいるのだろうか?」
良輝というペンギンに向かって、貴女は言う。
「あたしとあいつ、どっちがウェルテルなんだ?」
同時に唇から疑問が漏れる。
唐突に湧いてきた疑問に戸惑った。カップルの片割れに恋をする哀れな男……、それがこの雄ペンギンの良輝であり、ウェルテルであり、四月一日亞生だ。ならば、シャルロッテは御形薺で、アルベルトが貴女になる。それだけなら、まだ単純な悲劇のはずだった。ただ良輝が、失恋すれば良いのだから。
だが、貴女の場合は少し話が違う。悲劇の元であるカップル、つまりシャルロッテとアルベルトとなる彼女と貴女はカップルであっても番ではないのだ。
同性同士であっても結婚して、法的に夫婦として暮らせることもできる。しかし、貴女にはその未来を彼女と歩む想像がつかなかった。勿論、彼女のことが『好き』だ。彼女と遊べば楽しいし、話すと安心するし、隣にいるとドキドキが止まらないし、想えば胸が締め付けられる。しかし、そこに性的な興奮はない。一年以上恋人関係をしているのに、今まで何回もそういった状況になってきたというのに、貴女は彼女とキス以上の行為をする気は起きなかった。
彼の言葉を借りるなら、
「女性同士のカップルでも、百合とレズビアンは別物だ。明確な区切りは分からないけれど、この二つは全くの別物ということは宣言できる。この二つはラグビーとアメフトと同じように違うんだ」
ということ。つまり、貴女は百合であるがレズビアンではないのだ。それは彼女にも同じことが言える。
貴女の年頃にもなれば、そう言った方面の欲求の発散方法の心得はあるし、特に親しい友人(貴女の場合は御形薺に当たる)との話の肥やしになることもある。が、彼女からはそう言った話題はないのだ。部屋を探しても全くの痕跡も見当たらない。そんなあり得ない状況に疑問を持った矢先に、先週の事件、四月一日亞生の告白があった。そして、彼を『ペット』にするという話。
貴女の不慣れな推理はこうして迷走してゆく。
恋人であるはずなのに、彼女のことがてんで分からなかった。貴女の性分のせいなのか、一人きりでいるときは悪い方向に考えが進んでしまう。あり得ないことであっても妙に現実味を感じてしまう。「四月一日亞生が彼女を奪う」という突拍子もない考えも、今に貴女には十分あり得る話に思えた。
「ダメだダメだ。そんなこと考えるな」
貴女は考えるのをやめて目的に戻ろうとする。
「あたしが、ウェルテルのはずがない」
アプローチと拒否を繰り返す良輝の姿を見て、貴女はそう思うのだった。
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