第21話 うら若き貴女の悩み⑫
クレープを完食して腹を満たせば午前の予定は終了。次は四月一日亞生が提案した『水族館の特別展』である。女性をもてなすには中々良いチョイスだ、と貴女は感心していたが、
『奇天烈な生き物ども展』
飛び込んできたのは文字通り奇天烈な特別展と魑魅魍魎が描かれたポスターたち。彼の驚き方からしてこの特別展のことは知らなかったようで、謝罪の念も込めてチケット代を奢らせて、貴女は水族館へ入る。
ベクトルの吹き飛んだ進化を辿った生物たちが、貴女を迎える。
銃弾と同じ威力で殴りつけて貝を割る化け物―――モンハナシャコ。
鼻水を垂らしたおじさんのような間抜けズラの魚―――バットフィッシュ。
ひらひらと深海で光る提灯―――ユメナマコ。
何としても貝を食べたがる貝―――タガヤサンミナシとアンボイナ。
何とも言えない、奇天烈としか言えない生態を持った生き物たち。気持ち悪いとも意外とかわいいとも言えず、ただただ「生き物ってすごいなぁ」と薄っぺらく感想を並べるしかない展示だった。
「ねぇ、桔梗ちゃん。あっちのコーナー行ってみようよ」
意外にも、彼女は気に入っている様子。
彼女に付き合おうとした貴女の足が止まる。
「『奇天烈なう〇こ共』……?」
あまりにも強烈、いや奇天烈なコーナーに貴女の脳みそは固まった。
いかにも小学生男子が好みそうな展示に、貴女の恋人は興味津々。まだそれは許せる。高校生になって精神的に成長すれば、童心に帰って一周回った面白さに気がつくこともある。が、流石に一周回っても生き物の排泄物を嗅ぐ気にはなれなかった。
「ちょっと、これは……、遠慮しておこうかな」
「えー、なんでー」
「お、どうした女郎花? 怖気づいたのか?」
「怖気づくわけないだろう、馬鹿たれがッ! 好き好んで生き物の……、その糞を嗅ぎたがる奴がいるかッ!」
「桔梗ちゃん、桔梗ちゃんッ。ここに一人いるよー」
「むッ」
「よし、決まりだ。御形さん、女郎花なんて放っておいて行こうぜ」
「薺ッ、四月一日に何かされそうになったらすぐにあたしを呼ぶんだぞッ。良いなッ!」
「はいはーい、じゃあ行こっか、亞生くんッ!」
彼の勝ち誇った顔を見送って、貴女は一人になる。
糞の種類と列の長さ、流れから考えて二人が帰ってくるのは5分もいらないだろう。貴女は他の水槽には行かず、邪魔にならないデッドゾーンに寄りかかって二人を見守ることにした。
今日がクリスマスなこともあって、特別展は繁盛。周りの話し声で二人が何を話しているかは分からないが、彼女の表情、瞳、口の動かし方で何となく何を話しているかは分かる。一年以上恋人として付き合ってきたおかげだ、と貴女は得意げになっていたが、もう何年も口をきいていなかった四月一日亞生も彼女と同じく読唇ができてしまった。
彼がどう話題を振って、どう冗談を言うのか。彼女がどう答えて、どう笑うのか。全て分かる。貴女に特別な才能が芽生えたわけではない。ただの経験則として、二人の会話を理解することができたのだ。
『そういえば、亞生くんもボーリング好きなの?』
『まぁね。昔はよく親が連れて行ってくれてたし、今はボーリング場でバイトしてるくらいだし。僕が平均より上手い遊びってそれくらいだから』
そんな会話が読めた。
やはり彼女は糞に対して関心があるのではなく、貴女を交えずに彼と話したかったのだ。学校では話しづらい、プライベートなここでしか話せないような内容。
『昔の桔梗ちゃんって、どんな子だったの? 前からあんな感じ?』
貴女についてだった。
貴女と彼の過去について。
『180度違うよ。全くの別人。昔のあいつは、何ていうか、大人しかった。今みたいな寡黙って感じじゃあなくて、もう少し根本的な、根暗な感じだった。よく転ぶし、何かとあれば泣くし、何かとうまくいかない奴だったけれど、僕といれば不思議と事がうまくいくようになったんだ』
貴女について語る彼の顔は、真剣だった。
神に自ら犯した罪を懺悔しているような顔。明るく振舞おうと、どうでも良いと能天気を演じていようと、彼の心の奥には貴女への罪悪感があるのだと分かった。貴女と彼は、同じ方向を向いているのである。形は違えど、同じ過去を見て同じ物を引きずっていたのである。
『僕と女郎花が疎遠になった理由は聞いてる?』
話さなくて良い、貴女はそう割って入りたかった。
彼がどう悩もうと、貴女には関係がない。知ったことではなかったからだ。
「おい、なに狼狽えてるんだ。四月一日」
気がつくと、貴女は2人の前に立っていた。
「ちょっとからかっただけだよ。ジェラシー感じないで、桔梗ちゃん。私は桔梗ちゃん一筋だよッ!」
と。彼女が抱きついてくるも、嬉しい感じはしない。
終わったことを掘り返されそうになって、貴女の心の波は荒れ狂っていた。威嚇するつもりで彼を睨むも、先程みたいに狼狽える様子はなく、まっすぐ貴女に向き合おうとしている。それにまた、腹が立った。
「桔梗ちゃん、屋上でアシカのショーやるんだって。座席の抽選に行ってきてくれる?」
「そんなの、四月一日に行かせれば良いだろう」
「亞生くんはチケット代出してくれたでしょ。今度は桔梗ちゃんの番だよ。付き合ってても、そういうのは平等にいかないとダメ」
だが、彼女から席をはずせと言われてしまう。
「……、分かった。急いで戻ってくる」
素直に従う。
彼女の遠回しな頼みには、どうにも断れない魔力めいたものがあった。
貴女は、会場で許される限りの速さで走る。ふと振り返ってみると、彼女は四月一日亞生と向き合って何か言っているようだった。貴女に向かって背になっているので、何を言っているかは読めない。何を考えているかもわからない。
そこにない深淵を覗いているようで、彼女の背中には漠然とした不安と不気味さがあった。
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