第9話 百合に男は必要ない⑨
帰りの電車の中で、僕は静かに瞳を閉じる。
電車の車輪がけたたましく吠えているけれど、そんな喧騒の中でもまぶたの裏には美しいショーが再生される。ショーというよりも、それを見る御形さんの嬉しそうな笑顔が、記憶に残っていたというべきかもしれない。その奥には同じように御形さんを見つめる女郎花。彼女もまた、僕と同じようにショーよりも御形さんの笑顔が見れたのが嬉しい様だった。
そして、僕は瞳を開ける。
御形さんはいない。この時間にしては珍しくこの号車には僕と女郎花しかいなく、だからと言って隣り合わせで座る訳でもなく。僕も女郎花も揃って気まずくそれぞれ座席の端を対面になるように座っていた。
『二人とも、今日はありがとう! 楽しかった! 二人の一生懸命で可愛いとこいっぱい見れたから、私は満足だよ! また学校でね!』
御形さんからそんなチャットが僕たち三人のトークルームに投げ込まれて、僕と女郎花の視線が交差する。
ふふ、と笑みがこぼれた。僕じゃあなく、女郎花の方から。
「今日は引き分けらしいが、それは薺が優しいからだ。実質あたしの勝ち。図に乗るなよ、四月一日」
彼女は、どや顔で、張りのない胸を張って言った。
ぽろり、と涙がこぼれそうになった。
そんな僕の顔を見た女郎花は、バツが悪そうに頭を掻く。
「なぁ、女郎花―――」
「四月一日」
女郎花の声が、僕の言を塞ぐ。
「あたしだって馬鹿じゃあない。お前が言いたいことくらい分かってる」
「ごめん」
「何で謝る?」
「何で、って……。だって僕はお前に酷いことをしたじゃあないか」
「もう5年も前の事だろ。そんな前のことを謝って何になるんだ。今のあたしが変わるわけでも、ましてや5年前のあたしが感じたことがなくなるわけじゃあない。ならお前が謝ることに何の理由があるって言うんだ、四月一日?」
トンネルに入り、煩わしい音が車内に反響して女郎花の声と混ざる。けれど、その声は確かに、一言一句はっきりと僕の耳の届いた。
「もし、お前が過去の謝罪をしたいって言うのなら、別に構わない。だがそれだけだ。お前が謝り、あたしが許す。それだけのことだ。悪い言い方になるが、今のあたしにお前は必要ないんだよ、四月一日。学校も、プライベートも、充実してる。薺の存在だって、昔のお前以上にかけがえのない唯一の存在だ。そこにお前が入る隙はないし、そのつもりもない。何にも期待することなく、ただ謝るだけなら、それで良い」
「違うよ、女郎花。確かに僕が謝ることは、僕にとっては『過去の清算』だとしても、お前にはどうでも良いことかもしれない。過去の僕がしでかした勝手を、自分勝手に償うだけだ」
「じゃあ、何が違うんだ。お前は何がしたい?」
「女郎花。僕は、
きょとん、とする女郎花。
電車はトンネルから抜けて一気に車内は静かになる。外の景色に光が戻ったせいで、彼女の隣の窓に映った僕の顔は消えてしまった。
「ぶッ、ぶはははははははッ!」
女郎花の笑い声が緊張の糸を切る。
「なんだ、珍しく真面目な顔をしてると思ったら、そんなことを考えてたのか」
「笑うなよ、照れるだろ」
「いやいや笑うだろ、これは。そんな神妙な顔をしてるんだ。お前のことだし、告白でもされるんじゃあないかと思ったぞ。どうこっぴどく振ってやろうか、考えてたところだった」
「眉間にしわ寄せてたの、そのせいだったのかよ! あと、僕は略奪愛は好きじゃアないし、ましてや百合に挟まろうと思ったことはない!」
「『あたしと友達になる』っていうのは、『百合に挟まる』のとは違うのか?」
「ち、チガウヨ。ソレトコレハベツダヨ」
お前って奴は、と女郎花は呆れる。
そして、カーブに差し掛かり傾く車内を強靭な体幹で耐えながら立ち上がった彼女は、僕の前に立つ。
「じゃあ、友達になろうか。よろしく、四月一日亞生くん」
女郎花は紳士的な笑顔で手を差し出してくる。
が、
「待ってくれ、女郎花。僕はまだ君に謝ってないし、和解もしていない」
「良いって、そんなこと」
「ダメだ。それじゃあ僕の気が済まない。僕の手前勝手を許すなら、自己満足にも付き合えよ」
また呆れた女郎花を前に、僕は立ち上がろうと……したけれど無理だったので結局彼女の手を借りてようやく立ち上がった。目線はまだ女郎花の方が高い。
「あの時は、君を見捨ててすまなかった。心から謝る」
「あぁ、許してやる」
気が抜けて、僕らは笑い出した。
電車がまた曲がって僕は態勢を崩したけれど、女郎花が腕をつかんで支えてくれた。
「悪い、助かったよ」
「良いよ。友達なんだからな」
そのまま僕は元の席に座った。
女郎花も、その隣に腰を下ろす。
少し驚いたけれど、彼女の何ともない顔を見たら気にはしなくなった。
「そう言えばさ、良くボーリング行くんだって? 御形さんから聞いたよ」
「まぁな」
「じゃあ今度、僕のところに遊びに来いよ。駅前のボーリング場で働いてるからさ、安くしとく」
「お前の奢りなら考えてやっても良い」
「なら今日の勝負の決着をつけよう。負けた方が3人分奢る」
「自分から負けにいくのか?」
「5年間練習し続けてたからな、遊び半分でやってる君よりは上手いはずだ」
「オタクが言うじゃあないか」
流れる時間を乗せて、電車が進む。
またトンネルに入って、車内の窓は再び暗闇の中の鏡となった。
窓には僕と女郎花の姿を映している。けれど、そこにある僕らの姿はかつての幼馴染の幻影ではない。
そこにあったのは、同じ女性を好きになった友人同士の姿。
百合に男は必要ない。
その考えを、僕は変える気はない。百合男子だって、やめる気はない。
けれど、御形薺と女郎花桔梗というカップルの間には、四月一日亞生という存在は少なからずともいて良いと思う。
一人のクラスメイトとして。
一人の友人として。
僕は、胸を張ってそう言い切れる気がした。
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