第6話 百合に男は必要ない⑥


 さて、御形さんが向かったのは女郎花発案の「ショッピングと食べ歩き」だ。


 駅からさして遠くない複合ビルに真っすぐ向かい、僕に縁のないブティックやコスメショップに入る。つまり、僕は蚊帳の外というわけだ。

 女郎花がコスメや服を見繕い、試し塗りして試着する御形さん。そして、それを遠くから眺めているだけの僕。


 素晴らしいじゃあないか。


 これこそあるべき百合の姿。その片割れが女郎花だとしても十分尊く、愛でられる。あぁ、良きことかな。


「ちょっと君、何してるんだ?」


 そこに邪魔するものは一人……、いや警備員だった。

 周りにはひそひそとする女性たち。もしかしなくても、僕は不審者として扱われてるな。当たり前だ。女性用の店舗の並ぶこのフロアに女装する気もない男がニヤニヤしながら覗いているのだから、怪しくないわけがない。ここでしょっ引かなかれば誰をしょっ引くというのだ。


「えっと、僕は無実です……」


「何を言ってるんだ、君は。いいから来なさい」


 ぐいと雑に連行される僕。


「ちょいちょい待ってよ、警備の人」


 ちょうどよく御形さんが飛んできて助け舟を出してくれた。後ろにはしっかり女郎花の姿もある。


「この怪しい彼は、私たちの連れ……、いや、私たちの連れなのです」


「薺、あたしを四月一日この恥さらしと一緒にしないでくれ」


「じゃあ、私の連れってことで。彼は荷物持ちなのです。いなくなると困ります。主にこの桔梗ちゃんが」


 ニコニコと屈託のない笑顔に折れた警備員が僕の手を離す。

 どんな泥船だろうと船は船。僕の前科者にしないことは朝飯前ようだ。


「全く。亞生くんも気をつけてよ。場所も場所だけど、いるだけで警備の人呼ばれるとかそうそうあったもんじゃないよ」


「どうせ四月一日のことだ、この世と思えない下品な目で薺を見ていたに決まってる。このままお縄になった方がこいつのためだったのかもしれない」


「罪状は?」


「公衆わいせつ罪で仮釈放なしの終身刑」


「死刑じゃないんだ。優しい」


「死は救済だ、と偉い人が言っていた。四月一日に死は贅沢過ぎる」


 番の猫のように寄り添いながら恐ろしい会話をしている。

 眼福。

 間違えた。『憂惧ゆうぐ』というんだ。こういう状況は。

 とは言っても、会話内容さえ目をつむれば、もとい耳を塞げばタイプの違った美少女が寄り添って親しく会話している光景を間近で眺めているこの状況。『眼福』と間違えても仕方がないな。会話に『僕』という存在がいなければ文句のつけようがないのだけれど。


「もしもし、警察ですか」


 気がつけば、女郎花が110番をしている。


「おいおい待てよ、女郎花。さっきの話って冗談じゃあなかったのか!? 流石にマジもんの通報は洒落にならないぞ」


「いやだって、さっきのお前、かなり気色悪かったぞ」


 汚物を見つめるように僕を見る女郎花。

 すっ、と女郎花が見せた携帯にはつい一分前の僕の顔が映し出されている。

 そこにあったのは、今にも昇天しそうな満足げな顔。「ウソみたいだろ、生きてるんだぜ、それで」と言われても納得な百合を見た百合男子特有の顔。同士の中で見慣れたこの顔も、女郎花にとっては、見るのもおぞましい代物らしい。


「なんだ、僕の顔じゃあないか」


「それが気色悪いと言ってるんだ」


「ウソだぁ。御形さんもそう思う?」


 何とはなしに発した言葉だった。誰にも優しい御形さんなら、女郎花の独断と偏見に満ちた謂れを晴らしてくれるような気がしたからだ。

 けれど、現実はそう甘くはない。


「ちょっと、気持ち悪い……、かな」


 御形さんの美しい声と慣れてないであろう苦笑いが、僕の中で反芻する。

 この時、僕を乗せた泥船は音を立てて崩れ出す。

 助け舟を出してもらっても泥船は泥船に変わりなはい。予期しないところで沈んでしまった。




 というのは冗談で。


 結局のところ、僕の百合男子特有の気持ち悪い顔に関しては『今日一日荷物持ちをする』刑で手打ちになった。

 先程の御形さんの苦笑いや発言もその場のノリに合わせたというヤツで、一先ず僕のプロフィールは真っ白のまま。胸をなでおろした次第だ。


 それから僕は、右手に御形さん、左手に女郎花の買った物を持ち替えてついて行く。

 雑貨屋に行けば『優勝』『今回の主役』といった鉢巻きや『おじさん鼻眼鏡』などの面白パーティグッズの着せ替え人形にされて笑われて、ランジェリーショップに行けば外に追いやられてバツを悪くしながら待って(というより、経験値の低い僕にとってランジェリーが所せましに並ぶ店内をまじまじと見ながら百合を観察する高等技術は持ち合わせていなかったからだ)。

 そんな充実したショップ巡りは僕の貧弱な腕の限界と、可愛らしく唸った女郎花の腹の音に遮られた。


「なーに? お腹減ったの、桔梗ちゃん?」


「……こし」


「? ちゃんと言わないと分かんないよ」


「……少し、お腹が減った」


「じゃあ、クレープでも食べよっか。亞生くん、先に椅子取ってて」


 恥ずかしそうにぴょこぴょこと御形さんの後ろにつく女郎花。

 そんな女郎花の後ろ姿に、過去の彼女の姿が重なった。

 確か、母親が撮影していたビデオで見た光景だったと思う。

 当時、二人の母親は週末になるとまだ小学校に通う前のボクと女郎花を街のボーリング場に連れて行って、その最中にいつもは買わないアイスクリームやクレープを与えてくれた。僕は片方の手で引っ込み思案だった女郎花の手を引いて、もう片方には大事そうに母親から受け取ったお金を握りしめて、並ぶ姿を撮影されていたのだった。

 それを母親は、可愛い可愛いと言って、事あるごとにそのビデオを取り出してみていた。中学に入って僕と女郎花の関係が悪化すると、それを察して大っぴらには見せなくなったけれど、彼女は思い出すようにしてみていたのを鮮明に覚えている。

 何とはなしに女郎花の背中を追っていた僕は、瞬きをする度に、忘れていた昔の後ろ姿がストロボのように浮かび上がってくるのに感傷していた。その記憶を懐かしむ度に、僕の心には罪悪感が芽生えてくるのを同時に感じていたけれど、冷静に蓋をした。


「亞生くん、お待たせ」


 考えている内に二人が帰ってきた。


「おかえり……って、4つ?」


 帰ってきた二人は、両手にそれぞれクレープを持っていた。運動している女郎花は納得だけれど、線の細い御形さんがそんなに食べられるのは意外だった。


「亞生くん、なんか失礼なこと考えてない?」


「いんや、何にも。意外と御形さんは食い意地が張ってるんだな、とか思ってないから。全然」


「私がこの『レモンから揚げマヨネーズトッピング増し増しコショウ魔人クレープ・特大』を平らげた後に『イチゴスペシャルクレープ』を完食するフードファイターだと思ってたんでしょ」


「流石にそこまでは思ってねぇよ! てか何ッ? そのめちゃくちゃデカいクレープ、次郎ラーメンの注文みたいな凶悪な名前なのかよッ!?」


「冗談、冗談。私は1個しか食べないよ。これは亞生くんの分。荷物持ちしてくれたしね、私の奢りだよ」


「この殺人的なクレープは冗談じゃあないのね……」


 ケラケラとした御形さんの笑い声の横で、女郎花は黙々と2つのクレープを頬張っていた。

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