第20話 役に立たなくたっていいじゃないか

 全身が暑くてならない。怒りだけではない。こんな重装備をしているのも余計に暑い。

「車で送るから、とりあえず家に帰るか?」

「うー。わたしは一体なにをしているんだろう」

「画材屋でキャンバス買う予定だったんです」

 空、勝手に。先生になんて教えてやることないのに。

「キャンバスって、小さいやつか?」

「一メートル一メートルくらい。だよなっ?」

 嫌だけど、うなづく。

「ダメだ、絶対車に収まらない」

 先生の車はコンパクト。荷物もいっぱいつまっている感じだ。

 わたしは真っ先に助手席に押し込まれた。油断していてまた宙に浮いてしまったらやっかいだからだ。空は先生を手伝って荷物を車に積み込んだ。後部座席は狭い。空は横向きに体を押し込んで車に乗った。先生が座席をもどして運転席に着く。

「乗り心地は悪いといわれることがあるが、ガマンしろ。舌噛むなよ。田んぼから道路にでるからな」

 盛り土をぶぉんとあがって、がったんと段差に乗り上げて道路にでた。車内はそのたびにかなり傾いた。わたしはドアの上の取っ手につかまっていたからよかったけど、空は体を車の壁やらシートの背やらにぶつけていた。うしろの荷物は大丈夫なんだろうか。先生の荷物だからへーきか。

「それにしても、あんなに高く浮き上がってたのに、のん気なものだったな、曽根は」

「のん気だったのは先生です」

「そうだったか?のん気につきあってたんだから、曽根だってのん気だと思うけどな」

 そんなわけがない。

「わたしは成層圏で燃え尽きるんじゃないかと本気で心配してたんですから」

「それはまちがってる」

「なにがですか」

「成層圏は熱くない。逆にマイナス何度とかで凍死するんじゃないか?」

「そうなんですか?でも、宇宙から帰ってくる宇宙船が落ちながらぼわっと炎に包まれるじゃないですか」

「それは帰ってくるときの宇宙船が高速だからだな。大気圏にはいってすぐは空気が薄いからはじめは宇宙船も燃えないんだろう。空気が濃くなってくると宇宙船の前にある空気を圧縮して温度が高くなるんだ。どのあたりから燃え上がるかわからないから、よく大気圏突入とかいってぼかしてるんだろうな。

 大気圏はもっと細かくナントカ圏とわけられるんだ。成層圏というのもそのひとつだな。

 さっきみたいにノンビリ上昇した場合は、成層圏あたりで凍死しそうだ。成層圏は気温がマイナス何十度とかじゃなかったかな。熱くなるのはもっと上の方に行って熱圏というのがあって、そこだろうな」

「へー、そうなんだー。成層圏が熱いから宇宙船が燃えるんだと思ってました」

「速度が速いと起きる現象だから、地球から宇宙にでるときは燃えないし、逆に地球を飛んでる飛行機でも高速で飛べば同じ現象が起きるんだ。マッハ三か四か、たぶんそのへんのスピードだな」

「マッハって。そんな速い飛行機あるんですか?」

「昔はコンコルドなんていう、旅客機で音速を越すムチャな飛行機があったぞ。料金がバカ高かったみたいだな」

「へー。その飛行機、地球何周するんですか?」

「ヨーロッパとアメリカの間だ。たしかマッハ二で飛んだんじゃなかったかな」

「でも、なくなっちゃったんですか?」

「ああ、いまは飛んでない。音速を越えるときに衝撃波ってのがでるんだ。そのときの騒音もすごかったらしい。ほかにもバカみたいに燃料を食う。乗客を多く載せられないとかな。最後は事故でとどめを刺されたみたいだ」

 日本の家電みたいなものだ。ガラパゴスなんて言われる。不必要にスペック高くて値段も高い。飛行機も、そこまで速い必要はないんだろう。

「でも、マッハ三か四となると、軍事目的だろうな。燃えちゃうから、その速度以上で飛ぶのがほとんど無理なんだ。操縦するのも無理そうだよな」

「へー、まったく役に立つ場面が想像できない知識でしたね」

「そういうな。絵だって役になんか立たないだろ」

「立ちますって。ケンカ売ってんですか」

「ケンカ売ってきたのは曽根だぞ」

「美術は人の心を癒します。それに、売ったり買ったりして経済にも貢献します」

「しないだろー。美術品の売買点数なんて大したことないから、経済に貢献したくても貢献のしようがない」

「くー。あったまきた」

「無理するな。役に立たなくたっていいじゃないか。ほら、心を癒すんだろ?」

「そうですよ?」

「数学や物理も人の心を癒すけどな」

「傷つけます」

「それをいったら、芸術の道をあきらめた人の心は美術品を見て傷つくかもしれない」

「数学やって癒される人なんているんですか」

「世の中には数学が好きな人もいるんだ。そういう人は、数学を勉強して幸せを感じるんだな」

「ド変態ですか」

「そうかもしれないな。美術も同じだろ?」

「わたしは変態じゃありません」

「そうか?何箇月もかけて絵の具まみれになって、中学生の女子ならもっと楽しいことがあるはずなのに、そんな楽しみを犠牲にしてやっと一枚の絵を完成させて喜んでるとか、ド変態にもほどがあるというものだ」

 キー。むかつく。先生が成層圏にあがって凍死すればいいのに。そのあと熱圏に行って燃え尽きればいいのに。

 ムカつくのは先生の話ばかりではない。なんだ、このサスペンションの概念を知らないような車は。ガタゴトと。木の車輪がついた馬車にでも乗ってる気分だ。わたしはモーツァルトではないんだ。ヘルメットが車の天井にぶつかる。

「あれ?どうした。急にだまっちゃって。怒ったか?その怒りをキャンバスにぶつけるんだ。芸術は爆発だぁー」

「いわれなくても、爆発させるつもりでしたよ。でも爆発が大爆発になりそうです」

「そうか、キャンバスのサイズに収めようなんてケチなことは考えるな。爆発ってのはそういうもんだ」

「覚えておきます」

「よし、ついた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る