第6話 治らない。けど慣れた――慣れた?なんじゃそりゃ。

 目覚ましの音が聞こえる。

 そう思ったけど、目覚ましを止める操作をしても音が止まらない。この音は。ケータイの着信音だったか。

 天井を軽く蹴ると同時に手でも押す。すいーっと机に向かって移動する。掛け布団は体の上にのせたままだ。頭が下向きになって、背を反らして手を伸ばしたら、ケータイに手が届く。

「もしもし」

『茜、今日はどうだ?寝たら治ったか?』

「治らない。けど慣れた」

『慣れた?なんじゃそりゃ。今日も迎えに行くか?』

「んーん。大丈夫。じゃ、まだ寝てるから。教室で」

 ケータイを切って掛け布団にくるまる。自分が朝練で早いからって、わたしまでもう起きているとでも思ったのだろうか。気の利かない男だ。


 今度こそ目覚ましが鳴った。掛け布団の端に結び付けた紐を手繰り寄せる。紐の先には目覚ましがぶら下がっている。音を止める。

 掛け布団は体の上にかけているだけだから、体の下側が空間になっていて寒い。まだ朝晩は冷える。今日は掛け布団カバーにマジックテープをつけて、巻きずし状態で寝られるようにするつもりだ。

 普通に布団で寝ていると、体重が布団にかかって布団が体を押し返す。血行が悪くなるし、寝る姿勢が悪ければ肩や首に悪い。こうして浮かんだ状態で寝ていると、血は良く巡るし、首や肩への負担もゼロだ。快適に寝ることだけを考えれば、いまの状態は最高といえる。

 布団の中でこんなことを考えているうちにまた眠ってしまったら学校に遅刻してしまう。腕を伸ばしてポールにつかまる。軽く力をいれて体を移動させる。ベッドの上にもどってきた。寝はじめはベッドの上だった。朝はベッドから起き出したいというものだ。

 ポールは、昨日買ってきて部屋に設置した。押入れでハンガー掛けとして使うつっかえ棒をサイドテーブルと天井の間に渡したものだ。床と天井に渡すには長さが足りなかった。部屋の真ん中でないとポールに手が届かないなんてことになりそうだから、サイドテーブルは部屋の真ん中に移動してある。ちょっと邪魔だけど、床に立って生活することを考えなければ、それほどでもない。

 昨日寝る前は、ポールを使って自由に生活できるようにエクササイズした。すぐに慣れて快適に過ごせるようになった。ポイントは、自分中心の感覚から、部屋の床を下と考えた空間感覚に移行することだ。こんな豆知識はほかの人には役立てる場面がないと思うけど。

 天井から部屋を見下ろすと、普段見えない高いところが見えて、埃がたまっていたりするのが気になった。土日で掃除することに決めて、しばらくは見なかったことにする。

 ウエイトは、腰にだけつけることにした。足首につけると足が重たいし、ウエイトをつけていることがバレバレになってしまう。足首につけていたウエイトはカバンにいれることにした。カバンを持っていれば体が浮き上がることはないし。必要な時は足につけることもできる。

 今朝は朝ごはんを食べてから家を出ることができた。

 三キロのウエイトのはいったカバンはやっぱり重たくて、腕が太くなるー、肩がこるーと内心ぶつぶつ不平をたれながら登校した。顔はあげないようにして、下ばかり見て歩いた。ウエイトがあれば大丈夫と思っても、やっぱり空を見あげるのは怖い。


 校舎の玄関をはいっていく空を見つけた。朝練が終わって教室へ行くのだ。

 わたしも玄関にはいって、空に声をかけようとしたら、美月が上履きをはいて廊下に出ていくところだった。ちらと振り返って、空に気づいた。

「おす」

「」

 美月はじっと見つめてあいさつした。

 空が上履きをはく。

「今日もじめじめだな。湿度高いとピアノの音とかかわるんだろ?」

「かわるもんか。外で弾くわけじゃないんだ。文明の利器ってものがある」

「そっか。グラウンドもドームみたいにしてエアコンつけてほしいな」

 美月と空の話を聞きながら、あとにつづく。一年中快適に体育とか部活とかできたらいいだろうなと想像する。運動してる人は温度下げろっていって、見学したり応援したりしてる人は温度上げろっていったりして争いになるかもしれない。

 前をゆく美月が教室の自分の席にすわった。後ろから接近して横をとおる。

「おはよう、美月」

「」

 やっぱり無言。大きな瞳でわたしを見上げている。なんというか、意識を吸い込まれそうな気がする。

 美月は気の強そうな大人っぽい顔つきをしている。ロングの髪はまっすぐで、一本抜いて人に刺したら刺さりそうな感じだ。背は高いし、ほとんど大人。ちょっとしたキッカケでテレビや雑誌に取り上げられたら、リサイタルを開いただけでファンが押し寄せるんじゃないかと思う。

 美月は、でも男子に人気がない。人気がないというか、男子は美月にビビッて近づけないのだ。美月からやさしく男子に誘いをかけたら、絶対イチコロのはずだけど、そんなことはしない。まだまだ子供の男子には、大人の美月に自分からアプローチする勇気はない。そういうことだ。

 あれ?でも、空は美月と普通に話してる。小学校から一緒だったからかな。

 わたしは美月に甘えるからいいのだ。大人の美月には気兼ねなく甘えられる。でも、嫌われちゃったかもしれないんだけどね。もう、美月のバカ。

 話してくれないから、あきらめて自分の席につく。


 トイレに行くときは念のためウエイトを足首にも巻くことにした。体育の授業は体調が悪いと言って見学した。どうにか、今日も一日やり過ごすことができた。

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