第5章 宙に浮けない? 茜
第33話 大変! 空、わたし浮けなくなっちゃった――人間はもともと宙に浮かないものだ。わかったか?
翌朝、目が覚めると、腕がしびれていた。痛い。苦しい。血が通うように窮屈な布団の中で体勢をかえる。ふぅーと息をつく。
しびれがとれてきたと思ったら、目覚ましが鳴りだした。毛布から手を出して目覚ましの紐を手繰りよせる。目覚ましをとめて、今日こそは授業に身を入れて取り組み、美術部の活動もバッチリやるぞと思う。
部屋の中央のポールをつかむ。
うん?はじめからベッドにいたみたいだ。珍しい。
毛布のマジックテープをとって抜け出す。ベッドから床に足をおろす。手でベッドを軽く押す。
あれ?浮き上がらない。おかしい。
もう一度、こんどはしっかり押す。やっぱり浮き上がらない。ベッドに手をついて、よっこいしょと立ち上がる。足にずしーんと重さを感じる。
なんじゃこりゃあ。なんかおかしい。
ケータイをひっつかんで空にかける。
『どうした。茜。おれは朝練にでてないんだ。まだベッドのなかだぞ』
「大変!空、わたし浮けなくなっちゃった」
『なんだ、そんなことでいちいち電話してくんな。切るぞ』
ぷーぷーといって。もう通話が切れている。もう一度かける。
「寝ぼけてんじゃないの!わたし、浮けなくなっちゃったんだよ?」
『人間はもともと宙に浮かないものだ。わかったか?』
ぷーぷー。もう切れてる。
なんなの、もう!こっちは大変だっていうのに。もともと浮かないものだ?そんなの知ってるっつーの。あれ?わたしなんで怒ってるんだ?浮かなくなったってことは、元に戻ったということだ。正常になったのだ。いいことじゃないか。
ベッドから立ち上がる。体が重い。ダメだ。またベッドに腰かけてしまった。
今度は美月にかけてみよう。
『茜?モーニングコールなんて頼んでないよ?目覚めのキスならしにきてくれてもいいけど』
「なに寝ぼけてんの。起きなさい。そしてベッドから立ち上がってみて」
『やだよ。まだ眠いもん』
なんかいつもの大人っぽい美月じゃない。甘えん坊になっている。朝はこんな感じなのか。よし、気分を変えよう。
「美月、大変なの!わたし宙に浮けなくなっちゃった」
『本当?なにかヘンなものでも食べた?』
なぜ、みんな食べ物に原因を求めるんだろ。嫌になっちゃう。わたしが食いしん坊だと思っているから?
美月も宙に浮いちゃうといっていたから、わたしと同じように浮かなくなっているかもしれない。けど、わかってもらえてない。
「わからないけど、美月もすぐに起きて床に立ってみて?」
『わかった。いま立ってみる。うう、重い。ダメ』
やっぱり美月も浮かなくなっているらしい。
『床はかたいけど、しょうがない。おやすみ』
「おやすみ、美月。いい夢を」
通話を切る。
床はかたいって、床で寝てしまったのか。大丈夫か?
でも、ということは、遥が言っていたことが当たっていたってことか。原因は美月と仲違いをしたストレスだったのだ。それが、昨日おかしな解決の仕方だったけど解決して、ストレスが取り払われたことによって宙に浮いちゃう病が治ったということなのだ。
めでたいような、もう慣れたからあのままでよかったような。でも、現実をうけいれて前に進むしかない。美月との間に別のストレスが発生してまた発病しそうなのが心配だけど。
そういえば、美術展に出す作品はどうしようか。宙に浮いてしまうという自分を表現した作品なのに。でも、普遍性のあるテーマと言えば言えなくもないか。自分をいろんな角度から点検するという意味で。
それにしても、こんなに体が重くて普通に生活するのがおっくうなものだったとは。
よっこらしょっと。
やっと床に立ち上がる。クローゼットを開けて、パジャマを脱ぐ。当り前だけど、腕をちょっともちあげるだけのためにも力をいれなければならない。重たい。疲れてしまう。
はじめて体が浮くようになった朝、空に裸を見られたのを思い出す。あの時、二年以上の久しぶりに仲良く接したのだった。それまで恥ずかしくて親しくできなかったのが嘘みたいだった。体が宙に浮いちゃう病のおかげでまた親しくなれたし、お互いに子供のころから変わらず好きだという気持ちを確かめ合うこともできた。悪いことばかりでもなかったな。あれ?悪いことって、なにかあったっけ?思いつかないということは、宙に浮いちゃう病は治らない方がよかったということだ。ちぇっ。
学校に向けて家をでる。
それにしても、体が重い。これならウエイトをつけていても宙に浮く方が楽だったと思う。
「おす、茜。朝から電話で起こしてくれて、サンキューな。おかげであのあと寝付けなかったぞ」
空め、なんという嫌味。でも、ガマンだ。わたしだって、寝ているところに電話がかかってきたら速攻切ってまた寝るかもしれない。
「そんなことより、どう?宙に浮かなくなったんだから」
わたしは、足をあげ、ベストをめくって、足首にもウエストにもウエイトがないところを見せた。ウエイトがなくなったんだから、ベストを着なくてもいいのか。
「見せなくてもいいよ。疑ってないから」
「つまんない。おお、すごいじゃないかー、やったなー、くらい言ってもいいところだと思うけど」
「おお、すごいじゃないかー、やったなー。どうだ?」
「はいはい、つきあってくれてありがと」
「でも、よく治ったなー。ずっとあのままかと思ってたよ」
「ねー。体が重くて。ウエイトをつけてた時の方が軽くてよかったという気がしてくるよ」
「そうだな。寂しくなるな」
「寂しくはならないよ。でも、普通の人になっちゃった」
「そんなことはない。いまでも茜はサッカー部の女神だぞ?」
「それは引退します」
「茜の意思では引退なんてできないよ。だって、就任のときに女神に任命されました同意しますかなんて意思確認してないだろ?そういう地位をあとで本人の意思で退任することはできないのが道理というものだ。そんなことしたら、気に入らない女神には圧力かけてやめろっていうことができちゃう。あるいは、気に入らないことがあったら女神がわたしやめるっていって、脅しをかけるかもしれない。そういうことは女神の地位という特性から許されないんだよ」
「サッカー部の女神の話?」
「そうだよ」
「そんなむづかしいことだったの?」
「いや、シンプルだ。ただ、引退するなんていうと、むづかしくなるってことだな」
空が、通学路を逸れようとする。
「茜の電話で睡眠妨害されたおかげが巡り巡って、朝メシ食わずにでてきたんだ。弁当屋つきあってくれ」
体が浮かなくなった初日に、体が浮くようになった初日と同じように弁当屋に行くことになるとは。
弁当屋の入り口の横に、急募アルバイトという貼り紙がしてあった。前回きたときも貼ってあったかな。なかった気がする。急募だから、最近急にアルバイトがやめてしまったのだろう。
「何弁当にしたの?」
「とんかつ弁当。このまえうまかったからな」
因縁のとんかつ弁当。こいつのおかげで、わたしは差入れをすることになったのだ。それで、松本先生のお助けチケットをゲットできて、空と二人で空中散歩をしてしまったとき助けてもらえたんだった。でも、助けてもらえなかったとしても、地上に降りてこられたかもしれないんだけど。そのときに借りたサバゲーの衣装や小道具で、コンビニ強盗の校舎立てこもり事件から美月をたすけることができた。
今回もわたしが店員から弁当を受けとって、店をでる。
ん?あのコンビニ強盗どこかで見たことあると思ったのだった。もしかして、前回とんかつ弁当を買ったときにレジを打っていた弁当屋の店員か?そんな気がする。さっきの店員はお店のおばちゃんって感じで、あのときの店員はそうじゃなかったと思う。アルバイトがコンビニ強盗でつかまっていなくなったから、アルバイトを急募することになったのだ。きっとそうだ。あー、スッキリした。
「空、前回とんかつ弁当買ったときの店員おぼえてる?」
「覚えてるわけねーだろ、店員なんて。季節外れにサンタの格好でもしてたんなら覚えてるだろうけど。そうでもなけりゃ、店員なんて目に入らないってもんだ」
「あっそー」
あのときも弁当を受け取ったのはわたしだった。それで空の印象に残っていないのかな。でも、お金払ったのは空だ。やっぱり別人?
「なにかあるのか?」
「ううん。覚えてないならいいんだ」
あれ?ほかにもなにか弁当屋が気になった記憶が。なんだっけ?ま、いっか。
「あれ?公園に寄らないの?」
空は、公園の横を素通りしようとしている。ここで弁当を食べるんじゃなかったのかな。
「ああ、おれは男だからな、教室で堂々と弁当を食う」
そっか。あれは空が気を使って公園で食べさせてくれたのか。なかなか紳士なところがある。ベンチのほこりを手で払ってくれたし。
いや、差入れのとき、なんで差入れしてくれるんだって聞かれて、あっさりとんかつ弁当ってバラしたからチャラかな。
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