第30話 先生は婚約者でもいるように横を向いて、ほっぺをぽりぽりかいて照れて?いる。

 予定したすべての色の水風船が割れて、今日の作業が完了した。あとは片づけをして帰る。まずは、キャンバスを美術室にしまう。

 見物人が駆け出してゆく。どんどん人がいなくなってゆく。作業が終わった途端にこれか。ゲンキンなものだ。

「茜、なにかあったみたい」

 キャンバスをはがそうとしているところに、遥がやってきた。急いで撤収していった見物人たちは、べつの見物すべきことができたらしい。

「みんな駆けっていったのはそのせいなんだね。わたしたちも行ってみる?」

 遥がうなづく。わたしもうなづき返す。

 みんなは、校庭側でない方、校舎の裏に集まっているようだった。知り合いの顔は、尾形がまず目に入った。

「尾形、なにがあったの?」

 みんな校舎のほうを見上げている。

「曽根」

 わたしの声を聞いて複雑そうな表情で振り返ったのが、顔と制服についた絵の具を見てさらに表情の複雑さを増した。わたしは、尾形より浜田が嫌いだと思ったから、あまりわだかまりをもっていない。

「音楽室にナイフもった男が立てこもったらしい。赤城が人質になってるみたい」

「美月が?なんで美月がこんな時間まで学校に残ってるの?」

「知らないよ。ピアノでも弾いてたんじゃないの?」

 空、空はどこにいるんだ。わたしが探すといつも姿が見えない気がする。

 みんながざわついて、全員校舎を見上げる。フルフェイスのヘルメットをかぶった立てこもり犯が窓から頭を出した。校舎のこちらがわにはベランダがなくて、たぶんそのせいで窓の位置が少し高い。犯人の胸から上あたりしか見えない。美月の姿がちらとのぞく。いつもの無言の表情だ。

「サッカー部ぅ、でてこぉい。特におれにボール蹴ったやつだぁ」

 どうやら、コンビニ強盗未遂の犯人らしい。振り上げた手にナイフが握られていた。

「バカだな、ノコノコ学校までやってきて。せっかく逃げたのに」

 空がいつの間にかわたしの後ろに立っていた。ティーシャツの裾をパタパタして空気を送り込んで涼んでいる。なんてのん気な。

「空、どうしよう。美月がつかまってるの」

「あいつ、なんでこんな暑いのにヘルメットなんてかぶってんだ?まさか逃げられるとでも思って顔隠してるのかな」

「わからないよ、そんなこと。それより、美月をたすけないと」

「うーん、敵に塩を送るってやつか?本人が望んでるかわからないけど、まあ、茜がそういうなら、やってみるか。水風船はまだ残ってるか?」

 空がぶつぶついってることは意味がわからなかったけど、美月をたすける気になってくれたみたい。

「うん、予備でつくったのが、まだ割ってないよ」

「そうか、ちょっともってきてくれるか。予備いれて三個」

「うん、三個ね。まだあったと思う」

「一年。ボール二個もってきてくれー」

 空が誰にともなく呼びかける。ティーシャツにサッカー部のジャージを着た男子が野次馬にまざっていた。

 校舎をまわりこんで、水道の壁のところに用意してあった水風船を三つ、胸に抱える。

「茜、悪い。ちょっと確認なんだけど」

 空が追いかけてきていた。

「なに?」

「体重いくつ?」

「教えるわけないでしょ、バカ」

「いや、マイナスいくつかってことだけど」

「ああ、そういうこと」

 すっかり自分の体重がマイナスになっていることを忘れていた。

「最近は落ち着いていて、マイナス三キロくらい?」

「なんだそんなもんか。じゃ、ダメかな。赤城をたすけるのは」

「うそ。そんなこといわないで。美月をたすけて」

「おれをおんぶしてもらって一緒に飛び上がれば、三階の音楽室までいけるかと思ったんだけど。マイナス三キロじゃ無理だ」

「そんなこと言わないで。空、美月をたすけて」

「そうだな、松本はどこにいるかな」

「こら、曽根、三浦。生徒は校庭に避難しろ。放送聞いてないのか」

 放送なんてあったのか。聞いてなかった。って、空の話を聞いていたかのようにタイミングよく松本先生が玄関から出てきた。

「聞いてません」

「飛んで火にいる夏の虫」

「なんのことだ」

「探そうと思ってたところです。自動小銃って、いまありますか」

「自動小銃か?まあ、あるな。車の中に」

「うそ、まだ返してなかったんですか?」

「茜、先生の話信じてたのか?あんなの嘘っぱちだぞ?サバイバルゲームの道具は全部先生のだ」

「そうなんですか?」

 先生は婚約者でもいるように横を向いて、ほっぺをぽりぽりかいて照れて?いる。本当らしい。

「お前らは、すぐに避難しろ」

「警察呼んだんですか?」

「いや、まだだな」

「なんで警察呼ばないんですか」

「うん。学校のことはできるだけ学校で解決したいんだ」

「そんな。ナイフもってて、美月がつかまってるのに」

「学校で手に負えないとわかったら、警察を呼ぶよ。そういうことに決まったんだ。それに、警察だって、人質がいたらなにも手を出せないさ」

「でも」

「茜、おれに助けろって言っただろ?警察なんてあてにするな」

 わたしは、どうしていいかわからなかった。

「おれと茜で犯人やっつけます。あいつ、コンビニ強盗の犯人なんです。おれに恨みをもってる。落とし前は自分でつけなくちゃ」

 先生がなにかを落とした。カチャンと金属の音がした。

「おれは、車のカギをどこかに落としたみたいだ。トランクに自動小銃を入れっぱなしだから、三浦に貸すことはできない。早く校庭に避難しろ?おれは避難した生徒たちの様子を見に先に行くけどな」

 松本先生は、走って校庭に向かって行ってしまった。コンクリートの地面にカギの束を残して。

 なんでこう男ってわかりやすいの?なのにやらずにはいられない。

「そういえばお助けチケットのことなにもいってなかったね。これはノーカンだね」

「よく覚えてんな。松本はとっくに忘れてんだろ」

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