第2章 ヤバいんじゃないのと言われちゃう茜

第8話 大の大人の本気を利用できるチケットだぞ?けっこうな価値だと思うけどな

 体が浮いてしまう症状がひどくなることもなく、かといって症状が軽くなることもなく日曜日をむかえた。

 わたしは朝からはりきっていた。ちょっとしたイタズラをしようと思っているからだ。

 準備には朝から取りかかったけれど、午前中のいい時間までかかってしまった。お母さんに学校まで送ってもらう。車を降りて、お母さんが帰っていくのを見送る。

 さて。

 わたしは大きな荷物を提げて、よいせよいせと掛け声をかけながら学校のグラウンドへ向かう。

「茜。なんだその荷物は。しかも今日は日曜日だぞ。学校は休みだ」

「そのくらい知ってるっつーの。空はサボり?」

「いや、ちょっと花壇をたがやしに」

「バカなこといってないで、これもってよ」

「大丈夫か?浮き上がらないだろうな」

「足首のウエイトに腰のウエイトを通してるから六キロ。大丈夫」

 空がひょいと荷物をかわりにもってくれる。あんなに重たかった荷物をほんとうに軽々ともつ。中学生になると、女子より男子の方が力が強くなるのだ。小学校のときは絶対空と同じくらい力が強かった自信があるのに。ちょっと不思議。

「で、どこ行くんだ?」

「サッカー部のベンチかな」

「なに、サッカー部はいるのか?」

「バカなの?差入れに決まってるでしょ?」

「まじか!すげー。ありがとう。この間いってたやつだ。本当に差入れつくってくれたんだ。あ」

 なにか思い出したみたいだ。

「もちろん、空には特別なのを用意したよ?」

「今日は防弾チョッキ着てねえぞ?」

「大げさな」

 ベンチに空ときた。サッカーグラウンドの真ん中のラインと横のラインがぶつかるあたりだ。

「曽根だ」

 同級生の部員がわたしに気づく。顧問の先生もわたしを見つけた。顧問は松本先生だ。部員が勝手にわたしのところに集まってしまったから、しぶしぶ先生もやってきた。

「曽根、どうした。見学か?チアリーダーでも大歓迎だぞ」

「そんなんじゃありません。差入れです」

 部員たちがみんなよろこぶ。

「おにぎり作ってきました。休憩のときに食べてください」

 大歓声だ。

「なんで曽根が差入れしてくれるんだ?」

「それは、空に借りがあるからだけど、どんな借りかは聞かないで」

「とんかつ弁当な」

「こらー」

 空があっさりバラしてしまった。よりによってとんかつ弁当。もっと、弁当くらいでぼかしてくれてもよかったのに。食いしん坊丸出しではないか。みんなも笑った。

「じゃ、休憩までもうひと踏ん張りだ!」

「おう」

 先生の言葉に部員全員で答える。男っぽい低い雄たけび。近くで聞いて、なんかしびれてしまった。

 わたしは、ベンチにすわって練習を見学する。

 練習は、攻めと守りにわかれて試合にちかい形式の練習をしている。使うのはグラウンドの半分だけ。攻める人はずっと攻め、守る人はずっと守っている。空は攻めのチームだ。ゴールに遠い真ん中あたりのポジションをやっている。センターハーフという。攻めチームのリーダー的ポジションだ。

 ボールが空の足元にある状態で試合形式の練習がはじまる。シュートしたり、守りがボールをグラウンドから蹴りだしたりすると中断する。ボールが空にもどってきて再開という練習だ。これを何度も繰り返す。

 レギュラー以外の人たちは別のメニューの練習を残りの半分のグラウンドとグラウンドの外のスペースでやっている。

 飽きてきた。見ているだけはつまらない。

 空がボールを足元において、プレイ再開。まわりを見ながらドリブルしてゴールに近づいてゆく。誰も空のボールを奪いにこない。空はゆっくりした動作でボールを蹴る。シュートだ。ゴールキーパーが飛び上がる。その上をボールが越えてゴールにはいった。

 すごい。ロングシュートが決まった。

「なにやってる、ツメ遅い」

 先生が大声をあげる。そのまま休憩になった。

「曽根、おにぎり食わしてやってくれ」

 きました、この時が。部員たちは手を洗ったりうがいをしたりしに走っていってしまった。わたしは取り残されたけど、すぐにまた走ってもどってくる。重箱のふたをとって待ちかまえる。詰めてきたおにぎりを、もどってきた部員に配ってまわる。

「空はこれ。約束どおり特別製」

 ヒューと冷やかしの声がかかる。

「うーん、なんか余計なことを、としかいいようがない」

 空が手にしたおにぎりは、のりを五角形に切ってサッカーボールの模様に貼りつけてある。空がみんなに見せる。うらやましがる声が上がる。そうだろうそうだろう、大変だった。

「実は、全部おなじにしようと思ったんだけどメンドクサくて、一個で挫折しちゃった」

「失敗作ってわけじゃないんだな?」

「ちがうよー。失敗作は自分で食べました。そうだ、少し塩を多めに加減したんだけど、どうかな。塩気が濃すぎたりしない?」

「んん!」

「え?ちょっとなに?ヘンなものいれてないよ?」

 心配して空に歩み寄る。腰を折って苦しそうにしている空の肩に手を置いて顔をのぞきこむ。ひょいと空が顔をあげる。

「うまい!塩加減といい、握り具合といい、ちょうどいいじゃないか」

「もー、やめてよ。驚いたでしょー」

「うん、うまいよ。曽根」

 みんなも口々に褒めてくれる。

「いやー、どうもどうも」

 みんながあんまり褒めてくれるものだから、気をよくして登るべき木を探してしまった。具は、不公平がないように全部豚の焼肉にした。これも好評だった。

 しめしめ。作戦成功だ。中学生の男子の胃袋なんてちょろいものだ。

 二年生や一年生は遠慮していたけど、かまわず配った。全員に一個づつ渡るように作ったのだ。

「お昼はお弁当もってきてるんでしょう?」

「そうだよ」

「いま食べちゃってお昼食べらんなくならない?もっと軽いものがよかったかな」

「全然大丈夫。いまから弁当食っても全部食い切っちゃう自信あるから」

「本当?男の子はいっぱい食べるから大丈夫かな」

「へーきへーき。休憩のあとまだ練習して、そのあと昼メシなんだし。おにぎりの分多く走れるよ」

「そっかー、よかった。大会はいつ?」

「六月から。応援きてくれるのか?」

「うーん、余裕があったら。わたしも美術展用の絵を描かなくちゃ」

「そっか。そのときは差入れいいから。くれぐれも差入れなんていいから。手ぶらできてくれれば歓迎するよ。まあ、もし差入れをもってきてくれても歓迎するけどね」

「よくいった三浦」

「もー、わかりました。そのかわり、負けたら承知しないから」

「まかせておけ、食ったもの勝ちだ」

「負けたら持って帰るよ?」

「そんな、せっかく作ったのがもったいないじゃないか」

「そしたら、ほかの部にもってく」

「なんじゃそりゃ」

「どうせほかの部も同じ時期に大会でしょ?野球とか、バスケとか、バレーとか」

「くそっ。おい、絶対勝つぞ」

「あったりめえだー」

 なんか気合いがはいったみたいだ。よかったよかった。今度はなにかもう一品つくるかな、大会だし。

「あれ?あと一個残ってるじゃないか。食っていいか?」

「だめだめ。人数分作ってきたんだよ?食べてない人いる?」

 しんとしている。

「一年生と二年生もだよ?」

 反応がない。

「わかった、先生の分だ。どこいっちゃったの?」

 二年生が指さした。そっちを見ると、体育館のドアの下にある階段にすわって、日陰で涼んでいた。世話が焼ける。

「せんせぇー」

 わたしはお重をもってちょこまかと走って先生のところへ向かう。先生が気づいて立ち上がった。こちらにやってくる。

「もしかして、おれの分もつくってくれたのか?」

「そうですよー。仲間はずれにしたらかわいそうじゃないですか」

「うん、かわいそうだ」

 最後の一個をつかんで食べた。

「先生、食べましたね」

「うん、うまいじゃないか」

「満足いただけたなら、わかってますよね」

「うん、また頼む」

「そうじゃなくて!」

「なんだ」

「恩返しとか?」

「まさか、おにぎり一個で教師を買収するつもりか?」

 先生は数学教師なのだ。

「そんなことはいいませんよ。いいませんけど、成績をつけるときに自然にわたしにもらったおにぎりのおいしさがよみがえって、つい甘い点をつけてしまうってことも、人間なら誰しもあることじゃないかなーと思うわけです」

「ないない」

「がっくり」

「じゃあ、授業のときできるだけ曽根を指してやることにしよう」

「勘弁してください」

「ダメか。じゃあ、こういうのはどうだ?自信があるときは、おれの顔を見ろ。で、自信がない当ててほしくないときは窓でも見るんだ。こういう合図を決めておく」

「そうすると、窓の外を見てたら授業中あてられることがないんですか?」

「いや、合図をうけるだけで、当てるかどうかはそのとき次第だな」

「意味ないじゃないですか」

「よし、大負けに負けて、これならどうだ?なにか困ったことがあったら、おれのところに連絡してこい。なんとかしてやる。いや、できないかもしれないけど、最善は尽くす。ベストエフォートってやつだな」

「本当ですか」

「一度だけだぞ?」

「それはいつでもいいんですか?」

「いますぐか?」

「いや、そうじゃなくて逆です。卒業してからでも?」

「もちろん、いつでもオッケーだ。きっと曽根も忘れてしまう」

「ひどい。いい加減な」

「まあ、そういうな。大の大人の本気を利用できるチケットだぞ?けっこうな価値だと思うけどな」

「じゃあ、いいです。それで」

「もっとありがたがってくれよ」

「わたしのおにぎりは価値があるんですよ?」

「恐れ入りました。それで、帰りは?迎えがくるのか?」

「ああ、どうしようかな。お母さんを呼べば迎えにきてくれると思うんですけど、おにぎりがなくなってお重が軽くなったから歩いて帰ってもいいかな。みんながお昼になるまで見学してます」

「三浦に送らせてもいいぞ」

「いいですよ。練習させたほうがいいし」

「そうか」

 グラウンドへ歩きながら先生はおにぎりを食べきってしまった。

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