第14話 ヌード描かせてくれるの? それならそれで面白いからいいや、脱いで脱いで

「じゃあ、この二次関数のエックス軸との交点の座標な。答えたい人?」

 教室は静まり返っている。

「あれ?みんな遠慮してるのか?テストの点をあげるより簡単に成績をよくできるチャンスなんだぞ?そうか、じゃあこっちから指名しちゃおっかな」

 松本先生が明らかにわたしを見ながら話している。そうそう、こういうときは窓の外をみてれば、わかりませんの表明になるんだった。窓の外はくもっていた。なんか毎日くもってばかりだ。

「曽根」

「はい?」

「はい?じゃなくて、ここの座標」

 黒板に書いた図の二次関数とエックス軸が交わっているところを指す。わたしは抗議の視線を送る。

――窓の外見てたら、わからないって合図ですよ。

――それは曽根が却下しただろ。

 先生が視線を返してきた。

 くっ、そうだった。本気のお助けチケットをとったんだった。

 あきらめて席を立つ。

「えーと、ワイをゼロにして二次方程式を解くんですよね。わかってます、わかってますよ」

 みんながくすくすと笑う。汗が噴き出る。

「解き方は、あれです。笠懸け」

 先生はにやにやしている。

「カッコ、エックス引くイチで、カッコ、エックス引くサン、イコールゼロ」

 先生が黒板にわたしが言った式を書く。汗が頬をつたう。運動部で試合にでているような気分になる。次に点をとられたら負けって感じ。

「だから、イチのゼロ、サンのゼロが交点の座標、かな?」

「ガンバったな。でも、不正解だ。よく図を見ろ。左側の交点のエックス座標は負だぞ?」

「げ。笠懸けまちがった」

「そうだな、イチの前は引くじゃなくて足すだ。それからカサガケじゃなくてタスキガケな」

「笠じゃないんですか」

「曽根は群馬出身だったか?笠じゃ頭にかぶるやつになるだろ。それでどうやって計算するんだ?たすきってのは、着物の袖が邪魔にならないように背中でバッテンにして紐で縛るやつだ。だからこうやって上と下で斜めにかけ算して足すのをたすき掛けっていうんだな」

 先生は黒板にたすき掛けのやり方を書く。横に並べてイチとマイナス・イチ、これが上の段。下の段に行ってイチとマイナス・サン。バッテンみたいにして上の段と下の段の数字を線でつないだ。これがたすきか。上の段の一番右にマイナス・イチを書く。その下の段にマイナス・サンを書く。上下に並んだマイナス・イチとマイナス・サンの間に足す記号をつけて、一番下に縦に並べてイコールとマイナス・ヨンを書く。

「な?これがたすき掛け。でも、これだとエックスの一次の項がマイナス・ヨンになっちゃう」

 二次関数の式の一次の項、マイナス・ニの下に線を引いて、マイナス・ヨンじゃないと強調する。

「どうすればいいかわかるな」

 チョークを蛍光の赤に持ちかえた。

 上の段の真ん中のマイナス・イチのマイナス記号に赤で縦棒をいれてプラス記号にする。上の段の右のマイナス・イチも同じくプラスにする。計算結果のマイナス・ヨンは横棒で消して、下にマイナス・ニと書いた。

「これでよし。頭のなかでやると間違えるからな、慣れるまではたすきのところも紙に書いた方がいいぞ」

「はーい」

 脱力して席にすわった。袖が邪魔なら和服なんか着なければいいのに。和服が嫌いになりそう。

 恥をかいただけで無駄なあがきをしてしまった。恥ずかしいし、汗だくだし、もう帰ってシャワー浴びたい気分だ。


「どうもー、遥」

「いらっしゃい」

「いつもどおり、無関心な挨拶。わたしいま、時の人なんだよ?」

「人気者のおでましだから拍手でむかえろってか」

「ふふふ、サインほしい?」

「じゃ、限定三十枚いただこうか」

「なにそれ」

「校内で即売会するのはどう?」

「わたしのサインを売るの?だったら自分で売る」

「すごい自信だな」

「そうなんだよね。自分でも怖いくらい。空の影響かな」

「いや、生まれつきだよ」

「よし、バーンといっちょ傑作を描いちゃうか」

「やっと重い腰があがるか」

「体は浮いちゃうくらい軽いんだけどね」

「尻軽女」

「絵が進まないのはわたしのせいだけじゃないんだよ?」

「へいへい」

「本当だって。昨日は尾形の邪魔が入ったせいだし。一昨日だって、尾形が首謀者になって無視したせいだし」

「尾形をとっちめられてよかったね。せいせいした?」

「せいせいなんてしないよ。どんなに尾形をとっちめたって、わたしの貴重な二日を棒にふらせたのを取り消せるわけじゃないんだから。なんかまたイラついてきた。芸術は爆発だー」

「そうだその調子」

「ってまだなにもしてないけど」

 わたしはスケッチブックをとりだした。実はすでに準備をはじめていて、トイレでジャージに着替えておいた。

「遥、モデルになってくんない?」

「えー」

 遥は制服のベストを脱いで、リボンを外す。

「なんで脱いじゃうの」

「モデルになるから」

「ヌード描かせてくれるの?それならそれで面白いからいいや、脱いで脱いで」

「茜には冗談が通じないんだった」

 ブラウスのボタンをふたつばかりはずした。

「このへんで勘弁してくれる?」

「うーん。あとは想像で補うか」

「やっぱりヌードを描くことに決めちゃったのか?」

「まだ下描きだから大丈夫」

 わたしはさらさらと正面からデッサンをはじめる。

 正面からのデッサンの次は角度を変える。自分の角度もかえる。遥の左四十五度の位置をとる。さらに自分が左に四十五度傾く。さらにさらに上に四十五度の位置に移動する。遥の助けがないといけない。ウエイトは腰の三キロだけ。スケッチブックをいれて釣り合うみたい。でも、傾いた状態でスケッチブックを固定してデッサンするのはわりとむづかしかった。

 次はうしろ姿。遥の真上にしようかと思ったけれど、作品として見づらい気がしたから、すこし角度をつけた。わたしは真っ逆さま。遥とわたしで手を伸ばしあってどうにか真っ逆さま状態で遥の上部後方にこられた。デッサンはさらにむづかしくなった。気を抜くとスケッチブックを取り落としそうになる。

 最後は右後方四十五度の位置で、頭を下にして斜め四十五度。おお、パンツがのぞけそうでのぞけない微妙な位置。おっと、ヌードにするんだからパンツは関係なかった。本当は遥が浮いてくれるといいんだけれど。わたしは下四十五度から描きたいのだ。我慢するけど。

 今日はデッサンだけでタイムオーバーだった。

「遥、どっか寄り道していこっか」

 遥はわたしのスケッチブックを見て首をかしげていた。気持ちはわかる。足が下を向いていないと気持ち悪いのだ。

「赤城はまだ話してくれないのか」

 美術部終わりにいつも美月がやってきてくれて一緒に帰るのが、仲の良かった頃の習わしだった。

「うん。今度の美術展用の絵をドカーンとすごいのを描いてさ。美月が納得して、ひれ伏したくなるようにしたいんだ」

「へー、それ見てみたい」

「でしょう?」

 あの大人みたいなクールな美月が、ははーといってわたしにひれ伏すイメージを思い描いて、景気よく大きなエア扇子をぱぁさぱぁさとあおいだ。

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