第26話 爆発だーっ ―― 芸術のためだよ。犠牲はつきものだと思って

 また屋外で体が浮き上がってしまった。

 でも、あわてない。きっと大丈夫だ。成層圏は熱くない。それに、しばらく待っていれば、地上にもどれるだろう。

 下を見ると怖くなるから、遠くを見るようにする。地平線とは言わないだろうけど、空との境界が建物になっているところがある。山になっているところもある。海は、見えない。

 海が近くにあるという生活はどんなものだろう。わたしの描く絵もかわるのかもしれない。

 まだ高くあがってゆく。

 風船はどのくらいの高さまであがるのだろうか。成層圏というのは氷点下の寒さだと松本先生が言っていた。そうすると、風船の中の気体はしぼんでしまう。浮力を失って下にさがることになるのかな。ということは、風船もある一定の高さまでしかあがらないのかもしれない。それか、気圧がさがってふくらみすぎて、わりとすぐに破裂してしまうか。機会があったら松本先生に聞いてあげよう。きっとよろこんで説明するに違いない。

 地球が丸いのが実感できるくらいまで高くのぼってきた。空と一緒に外を飛んでしまったときは、ここまで高くなかったと思う。先生は百五十メートルより下だと言っていた。本当かどうかわからない。法律で制限されているから、その高さより低いといっただけだ。もしかしたら何百メートルもの高さだったかもしれない。スカイツリーは六百メートルを超える。いまなら、そのくらいの高さにきているんじゃないかな。

 あぁあ、ひとりで飛んでいることに飽きてきた。ただ浮いているだけで、遠くの景色を見ることくらいしかすることがない。

 うん?すこし下降をはじめたかな。やれやれ、地上にもどれそうだ。

 スカートが膨らむ。手で押さえないと、パンツ丸見えで地上に降りることになってしまう。手でスカートを押さえる。

 あれれ?

 すこし傾いて、頭が下を向く。

 まあ、これならスカートがめくれ上がることはなさそうだ。

 でも、安心してもいられない。下降の勢いがついてきた。ああ、つり合いがとれるようにドローンで上に引っ張ってもらわないと加速がついてしまうのだ。もうずいぶん速く落ちるようになってしまった。

 わっ、怖い。

 ゴン。

 わたしは、額に衝撃をうけた。額を打った反動で、壁にバウンドしてベッドにもどった。額の衝撃は、部屋に設置したポールにぶつけたものらしい。毛布から手を出して、額をなでる。

「いったーい」

 誰が聞いているわけでもないけど、口に出さずにはいられない。

 朝からツイてない。


 いやな予感がして、一日おとなしく過ごす。なにごとも起こらないうちに、どうにか放課後を迎えることができた。数学の授業で急に指されるということもなかった。

 空をつれて美術室にはいる。

「あれ?今日はデート?」

「デートでこんなところにこないって」

「わたしに向かって失礼じゃないか」

 遥はいつも先にきている。友達がいないというから、授業が終わるとすぐに教室を出て美術室にきてしまうのかもしれない。

「今日はね、とうとう作品の試作に取りかかるのだよ」

「ほー、サッカーのやつね」

「そうだよ。きっとおもしろいよ」

「なんだよ、サッカーのやつって」

 空が、自分のことだと思って割ってはいってきた。

「えっとねー。壁にキャンバスを張っておくでしょ?で、空がボールをキャンバスに向かって蹴る。できれば真ん中がいいけど、すこしくらいはズレるでしょ?そこに偶然の面白さがあるわけ。で、ボールが当たって撥ねた絵の具をいかすように爆発だーって感じを表現するの」

「それって、どうやって実現するつもりなんだ?サッカーボールに絵の具をつけておくのか?足は絵の具まみれになるし、しぶきでそこいらじゅうひどいことになりそうだぞ」

「芸術のためだよ。犠牲はつきものだと思って」

「芸術のために脱げと言われる女優の気分だな」

「うん」

「でも、おれはサッカー部であって、芸術とは関係ない。犠牲になる義理はないはずだけど」

「まさか、とんかつ弁当だけで、あの数々の差入れがちゃらになるとでも思ってたの?おめでたすぎるというものじゃない?」

「きったね。自分ですすんで差入れもってきたくせに」

「空が差入れをもっていかないといけない状況をつくったからでしょう?」

「はいはい。夫婦喧嘩は犬も食わぬといいまして、よそでやってくんない」

「ごめんごめん、遥。じゃあねえ。キャンバスに絵の具を塗りたくっておいて、ボールをそこにあてるってことでどう?ボールにはスーパーの袋をかぶせればよごれないでしょ?」

「なら、それで」

「よし、決まった。場所はどこがいいかな。ボールを当てても大丈夫な壁って」

 わたしはこうやって物事が進んでいくのが好きだ。

「学校にはないんじゃないか?」

「部室棟の壁は?」

「嫌だよ。ボールぶつけるの禁止されてるところじゃないか」

「ああ、そうなんだ。当てたくなるからね。先手を打たれていたか」

「学校の外がいいよ」

「あった。玄関でたとこの水道の背中の壁。背が低いけど、ボール蹴るくらいのスペースはあるし、いいんじゃない?学校の外にサッカー部のボール持ち出すのは、ちょっとクレームがはいりそうな気がするんだよね。壁とか地面とか絵の具でよごれるかもしれないし」

「なるほど。それ試してみるか」

「うん」

 わたしはキャンバスを木枠からはずしにかかった。

 空にはサッカーボールを借りに行ってもらった。遥はスーパーでアイスを買って、買い物袋をもらってくる係。わたしは、ほかの準備をする。絵の具、ガムテープ、筆、新聞紙。

 外の水道まで行くと、先に空がいてリフティングをしていた。余計なことにサッカー部のジャージに着替えている。

「引退したのにまだ部活のジャージ常備してるの?」

「そうだよ。服が濡れたときなんかに着替えられるだろ?」

「あ、そう」

 きっと練習に乱入しているんだ。迷惑かけてなければいいけど。

 水道の背中の壁の頭にガムテープで新聞の端を貼りつける。新聞は壁に垂らして、コンクリートの床にも新聞紙を貼りつけておく。どのくらい絵の具が飛び散るかわからない。

 新聞紙に布だけになったキャンバスの四辺を、やっぱりガムテープで貼りつける。

「空、このくらいの高さでいい?」

「できるだけ真ん中だな?」

 リフティングしていたボールを靴の裏で地面に止める。前に転がしてボールを蹴るフリをする。

「うん、たぶんここらへんから真ん中あたりに当てられると思う。その高さで大丈夫だ」

 空が蹴るフリをしたのは、五メートルくらい離れたところだ。わたしはもっと近くを想像していた。でも、真ん中あたりに当てられるなら、距離があった方が偶然性が増していい。

 さっきからピアノの音が聞こえてくる。外にいるとよく聞こえるのかもしれない。美術室では気づかなかった。いつぞや遥と追いかけっこをしたときも、廊下に出たときにピアノの音がしていた。

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