第39話 練りきりは、甘くて滑らかな舌触りで、ボリューム感も申し分ない。キングオブお菓子としてトロフィーを進呈したいくらいだ。

 お盆に墓参りにゆく。毎年のことだ。

 墓参りといっても、お父さんもお母さんも実家がすぐ近くだから、新幹線に乗って出かけるとか、高速道路で渋滞が大変なんてことはない。車で十分、自転車でも行けるくらい。楽と言えば楽だし、面白くないといえば、面白くない。

 今はお母さんの実家にきている。

「茜、いらっしゃい。茜のためにお団子いっぱいつくったからね」

 おばあちゃんは、わたしが墓参りで会いに行くとお団子をいっぱいつくって待っていてくれる。そして、いっぱい食べさせようとする。どうも、記憶がないくらい小さいときにお団子をいっぱい食べたことがあるらしい。それで、茜はお団子が大好きだということになり、今に至るというわけだ。

 お団子なんて味がなくて、ねっとりして、たいしておいしいものだとは思わないけど、わたしのためにと作ってくれるものだから、いっぱい食べなければならない。おばあちゃんを悲しませたくない。でも、太るし、おいしくもないしで、お団子を食べるときはおばあちゃんの目の前で食べることにして、無駄に多くのお団子を食べずに済ませるように心がけている。

 墓参りは暑くならない午前のうちに済ませるというわけで、すみやかにおばあちゃんの家をでる。でもこの時期、日がのぼればすぐに暑くなって、午前中でも外を歩くのはつらい。

 お寺は歩いて十分くらいのところにある。照り返しの厳しい舗装道路を提灯なんかをもってトボトボゆく。お寺が近づくと蝉の声がはげしくなる。お寺の敷地ぐるりに背の高い木がそびえていて、蝉がとまるし、その下から蝉の幼虫がのぼってきて羽化する。セミの抜け殻が簡単に手に入る。わたしは欲しくないけど。

 お寺の建物があるあたりは木陰があっていいんだけど、お墓の部分には墓石くらいしか日陰をつくるものがなく、墓石程度の日陰では涼むこともできない。

 アツい。そして、お団子。喉が渇いているときに、ねっとりのお団子を食べないといけないのだ。食いしん坊でもないわたしには苦行といってもいい。お寺にきて修行しているようなものだ。

 おじいちゃんがお墓にはいっていて、手を合わせてお祈りする。

――おじいちゃん。おじいちゃんの力でなんとか、高校に合格させてください。合格できたら、来年もお墓参りにきます。

 お墓参りは毎年くるんだけど、ちょっとした脅しもいれてお祈りしておく。お祈りのあいだ、暑いうえに汗が首筋を通って気持ち悪い。おじいちゃんのせいではないけど、その分のご利益を期待するというものだ。

 焦げるような日光の暴力に耐えておばあちゃんの家に帰りつくと、アイスが待っていてくれる。水分補給とばかりにアイスにかじりつく。冷たくて、かじりとったかけらを口の中でころがす。口が閉じない。エアコンの風がやさしく肌を撫でる。

 天国だ。

 食べ始めはアイスの表面に霜がついている。それが、食べ終わるころには溶けたアイスがしたたるようになる。のんびりしていられない。世界には競争が蔓延している。アイスとの競争に負けてはいけない。冷たいのをガマンして食べ切る。

 お昼は近所のそば屋から出前を取るのがならわしだ。カレー南蛮うどんがうまいお店だから、盛夏だというのにカレー南蛮を頼んでしまう。お店の人も、この暑いときにカレー南蛮なんて作りたくないとうんざりしていることだろう。けど、しかたない。おいしいんだもん。

 どんぶりには木のふたがついている。冷めにくくなっているんだけど、同時に、天井が平らになっていて、うえにドンブリを載せることができる。いっぱいのどんぶりを重ねて運びやすいようになっているのだ。

 カレー南蛮は、うどんのツユにカレー味をたしてとろみをつけたといった感じなんだけど、カレー味のつけ具合が絶妙なのか、とろみがマイルドにしているせいなのか、とにかくおいしい。麺は、コシがない。よく、グルメリポーターがコシがあっておいしいなんていうんだけど、このカレー南蛮にあっては、コシのあるうどんは相性が良くないと思う。このヘニャヘニャで噛まなくても食べられてしまうくらいがちょうどいいのだ。全体としてこのカレー南蛮は最高だと思う。

 昼ご飯を食べてしまうと、することがなくて退屈になる。縁側にすわってスイカといきたいところだけど、縁側は南向きだしエアコンがついていないから暑さに耐えられない。スイカもあまり好きではない。大人たちはテレビをぼーっと見ている。実家に帰ってきてなにもしたくないのかもしれない。

 勉強道具をもってきたから、居間のとなりの、なんというんだろう、仏間?仏壇がある部屋にちゃぶ台をだして勉強をはじめる。

 英語は毎日やっている。同じ文を何度も読むのだ。文字を目で追って読む。何も見ないで読む。読むといわないか、頭の中で発音する。これはお父さんが、聞いてもいないのに教えてくれた勉強法だ。英語で言う内容を日本語で言うときの気持ちで、でも英語で言うという、ややこしいことをしなければならない。英語を言うとき、聞くとき、日本語を使わずに、英語のまま言ったり理解したりする練習なのだそうだ。日本語で話すときに頭の中で日本語を言ってから口に出すわけではない。それと同じことを英語でもするんだともいっていた。日本語も英語も同じだと、わたしは理解した。

 勉強は一度にいっぱいできない。飽きてしまう。集中力が切れた。居間をのぞくとおばあちゃんがいるだけだった。

「おばあちゃん、みんなは?」

「買い物に行ったよ」

「おばあちゃんは留守番?」

「そう。偉い人は動かなくていいんだ。茜、お茶飲むかい?」

「うん。飲みたい。おばあちゃんがいれてくれるとおいしいんだよね」

「そうかい?うれしいね」

 おばあちゃんはポットとお茶セットを引き寄せて、急須のお茶っぱを捨てて新しくお茶をいれてくれた。掘りごたつにすわってお茶をすする。落ち着く。頭の疲れがとれるような気がする。日本人でよかった。

 おばあちゃんが仏壇からお菓子をさげてくれた。

「練りきり食べるだろ?」

「うん。大好き」

 わたしは子供のころ相当の食いしん坊だったに違いない。どこの知り合いの家にいってもすぐに食べ物をだしてもらえる。おてんばのわたしが、食べ物を与えるとおとなしくなったということなんだろう。小さいころのわたし、ナイス。

 練りきりは、甘くて滑らかな舌触りで、ボリューム感も申し分ない。キングオブお菓子としてトロフィーを進呈したいくらいだ。洋菓子のガトーショコラに匹敵する力をもっている。

 ガトーショコラがわたしは大好きなのだ。チョコ味がまず好きだし、しっとり、滑らかなのは練りきりと同じだし、ボリューム感がたまらない。二個も食べたら胃がもたれるんじゃないかというくらいなのがよい。

 練りきりを黒文字で削り取るようにして食べる。お茶との相性抜群だ。

「茜は受験生なんだろう?」

「うん。やっと受験勉強はじめたよ」

「そうかい。わたしも中学校に通っていたんだよ」

「そりゃ、通ってただろうね」

「わたしのころは戦争やって、負けて、日本がまだ貧乏だった。高校に行きたいと思っても、高校に行ける子なんて、多くなかった。お金持ちの子は貧乏な子をいじめたりね。

 わたしは親に高校に行きたいって言ったんだ。でも、親は女が勉強なんかしたって役に立たないって思ってるからね、反対された。友達もわたしの親と同じ考えで、ケンカしてしまった。高校になんて行っても、嫁いだら家庭にはいるんだから勉強したことを生かすことなんてできないっていわれてね」

「へー。江戸時代みたい」

「ははは。おばあちゃんは昭和生まれ。おばあちゃんの時代でもそんなだったんだよ」

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