第14話【第三章】

【第三章】


 翌日。

 登校時間は平常通りだった。市街地の物騒な感じは相変わらずだったけれど。

 変わったのは天候だろうか。やや晴れ間が覗くようになっている。


 俺が機動隊員に挟まれた校門から一歩踏み込むと、ぐっと腕を掴まれ、木陰に引っ張り込まれた。


「どわっ! か、夏鈴、何するんだよ?」

「静かに」


 さっと人差し指を唇に当てる夏鈴。


「こっち。ついて来て」


 俺は夏鈴に引っ張られるようにして、体育館裏にやって来た。木々が生い茂り、体感温度がやや下がる。草木の匂いがぶわっと嗅覚を支配した。


「で、何だ? また魔族や魔獣が出たのか?」

「これから出現する。魔力反応が観測された。早ければ今日の午後にでも」

「む……」


 俺は俯き、額に手を遣った。

 また戦わねばならない、ということか。


「なあ夏鈴、情けないことを言うようだけどさ」

「何?」

「俺、死ぬわけにはいかねえんだ。妹に――羽奈に釘を刺されちまってな。俺としては、羽奈を戦場に送るようなことにはしたくなかったから、死にたくないと思ってた。でも、羽奈は違う。俺が死んで、自分が独りぼっちになるのが怖いんだって」


『昨日は泣きつかれて大変だった』とまでは言わなかった。羽奈にしても、あまり他人に知られて気分のいいことではないだろうから。


「そう」


 夏鈴は短くそう言い放ち、背を向けてしまった。ああ、軟弱者だと呆れられたのか。

 しかし、夏鈴はそんなことは言わなかった。逆だ。


「黒木翼、あなたは勇敢だ。妹さんのために、つまり誰か大切な人のために戦おうとしているんだから。それに比べて私は……」


 木々が風でさわさわと触れ合い、木陰が揺らめく。夏鈴の顔に、一際暗い影が落ちるのを、俺は認めた。


「少し、私の話に付き合ってもらえるか? 遅刻するだろうけど」

「ま、まあ、構わねえよ」


 俺はさり気ない風を装ったが、正直、驚いていた。あの夏鈴が、積極的に自分の身の上話を? 好奇心半分、緊張感半分で、俺は夏鈴の話に耳を傾けた。


         ※


 九年前の十二月。地下鉄のホームにて。


「おっ、今日はご機嫌だな、夏鈴!」

「パパがプレゼント買ってくれたものね」

「うん! パパ、ありがとう!」


 如月家の三人は、冷え込みの激しい外気から逃れるように、地下へと続く階段を下りてきた。


「帰ったらママが、お前の代好きなビーフシチューを作ってくれるからな! パパも楽しみだ!」


 父と母に挟まれるようにして、夏鈴は満面の笑みを浮かべていた。

 今日は、一足早いクリスマスパーティを催す予定だった。夏鈴は名前に似合わず、十二月上旬の生まれである。

 たとえ周囲が冷え込んでも、温かい心を持った女性に育ってほしい。夏鈴という名前には、そんな願いが込められていた。


 間もなく地下鉄が車両がホームに入る。そんなアナウンスが流れた直後のことだった。

 ゴゴッ、と揺れた。床が、壁が、天井が。ぱらぱらと砂塵が降ってくる。


「何? 地震かしら?」

「何だろうな」


 周囲の人々も、訝し気に周囲を見遣る。

 次の衝撃がやって来たのは、数秒後のことだ。ガタン! と床と空気が揺れた。あちらこちらから悲鳴が上がり、照明が点滅する。


「おい、地震じゃないぞ!」


 キイイイン、と甲高い音を立てて、車両が緊急停車を試みる。しかし、手遅れだった。

 夏鈴の眼前のレールが、ゆっくりとひしゃげ出したのだ。ギシギシと音を立て、捻じれていくレール。そこに、減速しきれなかった車両が突っ込む。

 車両は予想以上の勢いで下から持ち上げられ、砂礫と共にこちら側に吹っ飛ばされてきた。


「夏鈴!」

「きゃあっ!」

「おい、大丈夫か!」


 咄嗟に伏せた如月家三人の頭上を、満員に近い車両が吹っ飛んでくる。ズガシャン、という金属の曲がる音。それに肉質なものが潰れていく異音が、三人の鼓膜を否応なしに叩いた。


 しかし、振り返っている場合ではなかった。線路の下から、何かが這い出てきたのだ。

 長い髭。太い前歯。真っ黒に近い瞳。あれは、モグラだ。ただし、人間よりずっと大きい。毛並は真っ白に輝き、全身が明滅を繰り返している。

 それは戦闘中であることのシグナルだ。しかし、当時の夏鈴に知る由もないことである。


 だがとにかく、その魔獣の出現で、狭いホームはパニックに陥った。


「怪物だ! でかい化け物がいるぞ!」

「警察に電話しろ! 誰か、早く!」

「おい、怪我人がいる! 医療関係者はいないのか!」


 非常事態用のスプリンクラーが、ざっと構内を水浸しにした。だが、そんなことにはお構いなしに、モグラは迫ってくる。ホームに前足を載せた途端、ミシリ、といってコンクリートの床面がひび割れた。


 馬鹿でかい図体をしたまま、モグラはひくひくと髭を震わせる。そして見つけた。小さくて動きの鈍い、格好の獲物を。

 走るまでもない、数歩前に出るだけで、獲物に噛り付くことができる。ゆっくりとモグラが口を開いた、その時だった。


「夏鈴‼」


 絶叫が響き渡った。無論、モグラにその意味は分からない。

 しかし、呼びかけられた方――夏鈴は、はっと正気に戻った。が、できたのは、尻餅をついて後ずさり、悲鳴を上げるくらいだ。


 その時、多くのことが同時に起こった。

 まず、視界が揺らいだ。父に突き飛ばされたのだ。そうと知る前に、既に父の上半身はモグラに齧り取られていた。眼前の光景に目を白黒させていると、びしゃり、と鮮血が夏鈴の顔面を真っ赤に染め上げた。

 それからモグラは、父の下半身を振り回し、勢いよく放り捨てた。その先にいたのは、恐慌状態にあった母だ。凄まじい速度で父の遺体の衝突を受けた母は、腹部の臓器を一気に破裂させられ、ほぼ即死だった。


 それからゆっくりと、モグラは夏鈴の方へと振り返った。捕食が目的ではない。蹂躙こそが、彼ら魔獣の本分だった。また夏鈴をその牙にかけようと歩を進めた、その時だった。


「撃ち方始め!」


 この騒がしい構内全体に響き渡る怒号。続けて、ズタタタタタタタッ、という轟音が、一時的に夏鈴の聴覚を奪った。

 

 ここからは、夏鈴が後に聞かされた言葉も含まれる。


「波崎隊長、民間人が残ってます! 子供が一人! 生存者です!」

「了解、俺が行く!」


 そう言って、波崎三佐、後の波崎一佐は、スライディングの要領で夏鈴のそばに滑り込んだ。


「お嬢ちゃん、大丈夫か?」

「……」

「おじさんたちは、お嬢ちゃんを助けに来たんだ。抱っこしてやる」


 あまりにも軽々と持ち上げられる、自分の身体。その時になって、夏鈴ははっとした。


「ま、待って! パパは? ママはどうしたの?」

「今は黙っていてくれ。総員、撃ち方再開! 後退しながらリロードするのを忘れるな!」


 モグラ型魔獣は魔力が小さかったこともあり、陸自の標準装備で駆逐された。

残されたのは、ひしゃげた線路、ひびだらけのホーム、血の滴る地下鉄車両、砕け散ったモグラの残骸、強烈な死臭、といったところだ。


         ※


「それから私は自衛隊の病院に入院した。身体は何ともなかったんだが、心の方がな」

「悪いこと、聞いちまったな」


 俺は素直に頭を下げた。


「いや、聞いてくれとせがんだのは私の方だ。本当にすまない、不快な思いをさせて」

「不快だなんてそんな! でも、もう一つ訊かせてくれないか」


 首を傾げる夏鈴。


「どうして俺を勇敢だなんて言ったんだ? ただ能力が少し使えるだけの、何の訓練も受けてないヒヨッコだぞ?」

「あなたには、守るべき人がいる」


 ふっと、涼風が俺たちの髪を軽く乱した。


「羽奈のことか」


 大きく頷く夏鈴。


「しかし私はどうか? 誰かのためではなく、両親を殺されたという私怨のために戦っている。こんなの、正義じゃない。ただの歪んだ復讐劇よ」

「そんなことはない」


 俺は言い切った。が、夏鈴は


「ある」


 と断じて揺るがない。


「なあ夏鈴、お前が戦ってくれたお陰で、俺はこうして生きていられるんだ。お前の気持ちがどうあれ、実際に多くの人を救っているのは確かなことなんじゃないか?」


 俺は何とか、夏鈴に自己肯定をしてほしかった。自分は復讐鬼ではなく、正義に基づいて戦っているのだと思ってほしかった。それが、夏鈴の幸せに繋がるのではと、俺は勝手に思っていたから。


 しかし、夏鈴は軽く肩を竦め、視線をそらしたままだ。その目には、何も映っていないように見える。まるで西洋人形みたいだ。

 それでも、俺の提案、というか懇願に対して、否定的な考えを持っているらしいということは伝わってきた。


「私、最近考えるんだ」


 突然口を開いた夏鈴に、俺は『なっ、何だ?』とつっかえながら応じた。


「私の名前には『夏』が入ってる。これはきっと、熱い復讐の炎を燃やせ、っていう、両親からのダイイング・メッセージなんじゃないか、ってね」


 そこに浮かぶ、力のない笑み。今の夏鈴に心変わりを促すだけの力は、俺にはなかった。

 何て無力なんだろうな、俺。

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