第29話

 ざわめきが下火になった頃、上方に座っていた戦闘員が手を上げた。ダンが頷き、質問を促す。


「魔王に協力を願い出るとして、受け入れられる可能性は? そもそも意思の疎通は可能なのですか?」

「それは自分が保証します」


 場所を空けてくれたダンに代わり、俺が答える。


「彼は魔王ですが、同時に一組の兄妹の父親です。彼が現界への侵略を望んでいないとすれば、自分や羽奈の要請に応じて、必ず協力してくれます。意思の疎通も問題はありません。彼は日本語が達者ですし」


 次に手を上げたのは、最前列窓際に座していた医療班の女性だ。


「魔王の現在位置と、彼を復活させる方法は?」


 今度は再び、ダンがマイクを取った。


《翼くんの魔力をソナーとして使う。血の繋がった翼くんが探知魔法を使えば、魔王の意識の有無に関わらず反応があるはずだ。そのための器材も、もうじき完成する》

「そんな悠長な!」


 誰かが叫んだ。しかし、僕は即座に言い返す。


「オウガは、魔力をフル充填した自分との戦いを望んでいます。父を探すために魔力を総動員し、消耗している間、派手な行動は起こさないでしょう」


 こればっかりは、実際にオウガと言葉を交わした俺にしか分からないだろう。

 そして、俺が覚悟していた質問が、次に投げかけられた。


「黒木羽奈を味方に連れ戻す方法は?」


 俺は一つ咳払いをし、再びマイクの前に立った。


「スパイダーとの戦闘後に、自分は羽奈に大切なことを伝え忘れていました。だから羽奈が魔界へ行ってしまうのを止められなかったんです。こればっかりは、自分に一任してもらう外ありません。家族には、その家族にだけ通じる『思い』があります。たとえ半人・半魔族だったとしても」


 羽奈を俺たちの味方として連れ戻す。その説得には、『あの人』を話題にするしかない。

 正直、それは俺にとっても恐ろしいことだった。しかし幸い、この場でそれ以上問いを重ねられることはなかった。


         ※


 大会議室での議論の後、俺はダンの後について、彼専用のラボへと向かっていた。CS研究棟の地下へ降り、薄暗い廊下に足を踏み出す。医療棟のようにリノリウムの床。ただし色は紺色だった。何か理由があるのか否かは分からない。

 設置されている照明も最低限で、スタッフも最小人数であるようだ。廊下ですれ違った白衣の人物は一、二人しかいなかった。


 俺は先行するダンの背中に呼びかけた。


「あの、ダン博士」

「何だい、翼くん」

「親父――魔王を見つけるために、俺の魔力を展開する、って話ですけど。その……」

「ああ、心配しないでくれ。痛みはないはずだ」


 ダンは振り返り、後ろ歩きで前進しながら『ここだ』と一言。

 そこには廊下に面したスライドドアがあり、ダンはずいっと顔を近づけた。どうやら、網膜認証を使うつもりらしい。

 すぐに短い電子音がして、ストッ、とドアが開いた。


「さあ、入ってくれ」


 そこは一種の手術室を連想させる部屋だった。高校の教室一つほどの広いスペースがあり、中央に寝台、頭上に特殊な照明器具がある。

 寝台を挟んで反対側には、様々な電子機器が雑然と並べられていた。心電図測定器、ヘッドセット、何が入っているか分からない冷蔵庫状の箱などなど。


「では、始めようか。翼くん、こちらに座ってくれ」


 俺がいざなわれたのは、寝台の頭部の方に置かれたソファだった。革張りで高級感漂うそれは、何だか場違いにも見える。


「座ればいいんですか?」

「それ以外に何をする?」


 という奇妙な問答の後、俺はゆっくりと腰を下ろし、上半身をそのソファに預けた。肘掛に両腕を載せ、機材をいじくるダンを見つめる。何やらケーブルをあちらこちらに接続している様子だ。

 決して整頓されているとは言えない室内で、ダンは迷いなく準備を進めていく。天才肌の人間というのはこういうものなのか、と勝手に納得した。


「よし、接続完了だ」


 それからダンは、壁に備え付けられた大仰なレバーをがちゃん、と下ろした。


「では翼くん、これを」


 渡されたのは、一種のヘッドギアだった。ケーブルが張り巡らされ、それぞれがどう繋がっているのか、そもそもどっちが前なのかも分からない。

 俺が手元でじろじろ見つめていると、


「ああ、すまない。貸してくれ」


 と言ってダンがヘッドギアを持ち上げ、迷いなく俺の頭に被せた。


「これから君の魔力を使って、一種の波を展開する。魔波とでも呼ぼうか。魔王がいれば、そこに魔波の反響が察知できる。君はただ、座っていてくれればいい。やや疲れるかもしれないが、生命の危険はない」


 と説明しながら、ダンはその間も、機器の調整やヘルメットの操作に余念がなかった。

 

「準備完了、っと。さて、覚悟はいいかね、翼くん?」

「は、はい」

「では、いくぞ」


 ダンは大きなボタンに掌を押し当て、カウントダウンを行った。


「三、二、一、零!」


 直後、俺の視界は真っ暗になり、代わりに複数の真っ赤な円が、同心円状に広がり始めた。これが、俺の魔力を可視化したものなのか。

 縮尺は、基準がないので分からない。取り敢えず、そこはダンに任せておけばいいのだろう。俺は円が消えてしまわないよう、深呼吸して気持ちを落ち着けた。


 しばしの沈黙の後、俺が自分の魔力の消耗を感じ始めた頃だった。

 ふっと、円が歪んだ。訝しい思いで、俺はそれを観察する。すると、続いて広がっていた円もまた、ぐにゃりと凹むように変形した。

 そうか。きっとここには何かがあるのだ。魔王の――親父の現在位置を示しているに違いない。


 しかし、次の瞬間だった。全ての円が、一斉にブレ始めた。微振動を伴い、輪ゴムのように伸び縮みをする。


「なっ、何だこれ?」


 俺は思わず声を出していた。いや、そう思っただけかもしれない。俺の意識は、このヘッドギアに集中しているからだ。


 だが、それでも違和感、いや、不快感は感じ取れた。始めに円が歪んだ時、すなわち親父の位置を把握した時は何ともなかったのに。

 やがて俺の視界は真っ白に切り替わり、それから極彩色に輝きだした。


 普段なら、それは美しい光景に見えたのかもしれない。しかし、俺が得たのは、ひたすら不快な感覚だった。一体何なんだ、この光景は?


「落ち着け、翼くん!」

「ッ!」


 突然声を掛けられ、俺ははっとした。視界が一度暗転する。不安のあまり、俺は瞬きを繰り返す。ようやく見えてきたのは、先ほどのダンの研究室だった。


「大丈夫か、翼くん!」


 ゆっくりとヘッドギアが俺の頭部から外される。そして、俺は自分の現状に気づいた。

 全身が小刻みに震えている。ひどく寒い。吐き気と頭痛が同時に襲ってくる。


「ぐほっ! がっ、かはっ……」


 何とか酸っぱいものを飲み込み、額に掌を当てる。

 

「寒そうだな、クーラーを切ろう。今毛布を持ってくる」


 迅速に、しかし落ち着いた様子でダンは俺を介抱してくれた。寝台に横たえられる。それでも、全身の不快感はなかなか消え去ろうとしない。


「ダン博士、今のは一体……」

「ああ、どうやら君が探知したのは、休眠中の魔王だけではなかったようだ」

「は?」


 どういう意味だ?


「我々が魔王の居場所を突き止めたことが、オウガにも察知された可能性が高い。君を襲った不快感は、君とオウガの魔力が共振して、身体に影響を与えたものだろう」

「って、ことは……!」


 ダンは腰を折り、俺と目線を合わせながらこう言った。


「君が全快するタイミングを推し測るのは、オウガにとっては朝飯前だ。今すぐにでも、果たし状を突きつけてくるかもしれない」


 果たし状。それはつまり、俺の魔力が充溢している時に手合わせするという、決戦に向けての通告か。

 俺はすぐさま顔を上げ、ダンに訴えた。


「早く親父の、魔王の位置を特定しないと! 協力要請ができなくなる!」

「分かっている! 計測完了まであと十五秒!」


 十五秒? 長いんだか短いんだか、さっぱり分からないぞ。

 しかし、確実に時間は流れ、俺たちを運命の決戦へといざなってゆく。


「ロックオン! 座標を地図と合わせて表示する」

「俺にも見せてください!」


 俺はまだ足元が覚束なかったが、それでも何とかダンのそばにまで歩み寄った。

 そして、彼が手をついて覗き込んでいるディスプレイを見て、ぞっとした。


「これって、中心市街地ですよね」

「ああ、早急に住民に避難勧告を出さなければ……! 私は波崎一佐に報告する! 君は少しでも安め! 今、看護師に休憩室まで運ばせる!」

「わ、分かりました!」


 俺はその場で膝を着き、未だに脱力しきりの自分の身体に腕を回した。

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