第30話【第六章】

【第六章】


「一週間後の午後八時、市街地中心部か」


 ダンが呟いた。

 俺が魔波で魔王の居場所を察知した翌日、ちょうど昼食後のことだ。


 一晩休んだ俺は、何か発見はないかとダンの研究室を訪れていた。入室許可を得て研究室に歩み入ると、顔面蒼白なダンがそこに立っていた。

 通信機器と思しきケーブルの塊から、ヘッドフォンを引っ張り出して被っている。


 そして告げたのが、件の日程、時刻、それに場所だった。

 ダンがいつになく硬い表情をしているのを見て、俺は悟った。


「オウガから通信が入ったんですね」

「そうだ」


 唾を飲むダン。俺は速足でダンに歩み寄ったが、


「もう切れてるよ、通信途絶だ」


 と言って、ダンはヘッドフォンを外した。俺はさっと受け取って耳に当てたが、雑音しか聞こえてこない。

 

「翼くん……」


 沈黙が、研究室内に張り詰めた。

 ダンは悟ってくれていたのだ。決戦の日時や場所が定まったことで、俺の緊張が高まっていることを。

 それは、否応なしに打ち寄せる巨大な波のようであり、風のようであり、雷のようでもあった。


「ダン博士」

「何だい? 私にできることなら、何でも言ってくれ」

「波崎隊長に連絡してくれませんか。僕に軍事訓練を施してほしいと」


 ダンは両眉を上げた。


「しかし翼くん、君は魔力を復活させないと!」

「分かっています。魔力は使いません。体術を習得したいんです」


 俺は自分を落ち着かせながら、ゆっくりと話した。


「俺はいわば、器みたいなものでしょう? 親父の、魔王の力を引き受けて、オウガを倒すための。そうするためには、もっと身体を鍛えておかないと駄目なんです。キャパシティがないと、魔力が漏れて作戦が失敗するかもしれない」

「それは……実際に魔力を行使できる者にしか分からないな」

「だから、訓練を受けさせてください」


 ダンはしばし、腕を組んで俯いた。

 本来なら、波崎に判断を一任すべきところだ。だが、魔力に詳しいのはダンである。

 きっと彼は、半人半魔族の俺のような存在に、真正面からぶつかろうとしてくれているのだろう。

 だからこそ、自分の一存で決定しようとしているのだ。俺の要望、否、熱意に答えるべきかどうかを。


「了解した」


 たっぷり時間をかけてから、ダンは頷いた。


「今から波崎に連絡する。だが、もし彼が駄目だと言ったら諦めてくれ。今このタイミングで、君の身を危険に晒すわけにはいかないからな」

「すみません、博士。でも、それは余計な心配です。俺にだって、守りたいものはあるんです。口先だけで平和を希求するような、弱腰な高校生だと思われては困ります」


 さらに十秒、ダンは時間をかけて俺の目を覗き込んだ。それから再び『了解した』と一言。

 すぐに振り返り、受話器を取って波崎と二、三言葉を交わす。それから、大きく一つ頷いた。


「OKだ。君の要請は承諾された。すぐに案内人を寄越すから、ここで待っていてくれと」

「ありがとうございます」


 それから三分ほどして、研究室の前にやって来た。その『案内人』が。


         ※


『案内人』と共に、俺は廊下を歩いている。向かう先は、芝生の整備された屋外訓練場だそうだ。それはいい。いいのだが。


「……」


 波崎め。どうして、よりにも寄って夏鈴を寄越したんだ。

 俺が黙っている以上、夏鈴が無言なのは納得できる。しかし、俺と夏鈴が気まずい仲であることを察してはくれなかったのだろうか。

 

 いや、ここで波崎を責めるのはお門違いだ。彼には彼の、部隊を指揮するという責務がある。惚れた腫れたという子供じみた事態の進展に気を遣う余裕などないのだろう。


「夏鈴」

「何だ」


 おっと、いつもの調子だな。『何だ』と問い返された以上、何かを尋ねなければ。


「ほっぺた、大丈夫か?」


 すると、夏鈴は一瞬緊張を顔に走らせた。しかしすぐに唇を尖らせ、『平気だ』と一言。


「そうか。よかった」


 と言ってはみたものの、夏鈴は再び無表情になっている。怒っているのだろうか? まあ、仕方ない。俺が先に手を出したんだものな。


 そのまま渡り廊下をいくつか経ていくと、


「こっちだ」


 と一言。

 そこはちょうど中庭のようになっていて、青々とした芝生が眩しい。ここが屋外訓練場か。

 俺たちの他にも、格闘戦の訓練中と思しきグループが数組見受けられた。


 今更だが、俺も夏鈴もCS認定の半袖・長ズボンのジャージを着用している。

 夏鈴は俺に立ち止まるように手で示し、自分は三、四メートル離れた場所に立った。


 勝負の開幕は、夏鈴の深呼吸で始まった。

 一瞬で間合いを詰められた俺は、見事なミドルキックを腹部にぶち込まれた。


「がはっ!」


 数歩後ずさり、片膝をつく。さっと顔を上げると、回し蹴りが俺の側頭部に迫っていた。

 さっと片腕を上げて、これを防ごうと試みる。じん、と痺れるような痛みが上腕から手首にかけて走った。

 思わず身体を傾ける。すると、不安定な体勢だったところにローキックが入った。


「うあ!」


 体重をかけていた片手を弾かれ、俺は無様に転がった。


「いってぇ……」

「一本」

「ああ、見事な一本だ」


 悔しさに、奥歯を噛みしめながら俺は言う。しかし、


「そうじゃない。私が使ったのが片足一本だけだったという意味だ」

「なっ!」


 早すぎてさっぱり分からなかった。これまで繰り出された三本の打撃は、全て片足から発せられたものだったのか。

 その時の夏鈴を見上げて、ぞっとした。猛禽類のような、鋭い目つき。これが戦い慣れした人物の眼光というやつなのか。


「続けるか、翼?」

「あ、当たり前だ!」


 まだ痛みを引きずる片腕を庇いながら、俺は立ち上がった。


         ※


 結局というか案の定というか、俺は夏鈴にボコボコにされた。手加減されたのは分かっている。もし彼女が本気だったら、俺が致命傷を負っていたことは疑いようがない。

 薄っすらと浮かび上がる痣を見て、俺はその事実を察した。


 しかし、彼女への挑戦を諦めようという気は起きなかった。

 勝負に勝ちたい? 一矢報いたい? いや、違う。

 きっと、これは俺なりの償いなのだ。


 こんな人間紛いの俺に好意を向けてくれた夏鈴を泣かせたこと。挙句、無防備な彼女を引っ叩いたこと。男として最低じゃないか、こんなの。

 夏鈴には、俺に対して復讐する権利がある。それがたまたま、俺の身体技術の向上という場に割り当てられた。そういうことなのだろう。


 夏鈴の、家族を喪いながら生きてきた過酷な人生。それに比べれば、俺には羽奈がいてくれたぶん、幸いだったといえる。

 しかし羽奈も、自分の出生が原因で、心身共に癒えない傷を負ってしまった。


 そんな同年代の少女たちの過去。それに、俺は気づかなかった。

 だが、彼女たちに告げられる前から、俺は察してやるべきだったのだ。

 二人がどんなに酷い運命に翻弄されてきたのか。

 どれほどの気遣いと優しさを傾けてやればよかったのか。


 そんなことを考えつつ、俺は夏鈴と連れ立って廊下を歩いている。

 夕日に照らされた夏鈴の方を伺うと、軽く汗を流しながらも疲弊しているようには見えなかった。これもまた、訓練の賜物か。


 何故か俺は、その横顔に心臓を揺さぶられた。俺がこんな葛藤に囚われているというのに、当の夏鈴本人は、冷徹な態度を保っている。その精悍さ、芯の強さに、俺は自分の弱さをえぐられるような思いがした。


「な、なあ、夏鈴」

「何だ」


 こちらを眼球だけで一瞥する夏鈴。俺が何と言うべきか、脳みそをフル回転させ始めた、その時だった。


「あっ、黒木さん! こちらでしたか!」


 俺がよく顔を合わせる男性看護師が、こちらに駆けてくる。


「どうかしたんですか?」

「ご連絡です。ご友人からだそうで」


 俺は思わず、上半身を反らした。ご友人って、誰のことだ? 

 聡や遥香ならまだいい。だが、璃子や外のクラスメイトだったら? 何らかの罵詈雑言を浴びせかけられるのではないか。


 俺は恐る恐る、看護師から、スマホ代わりの通信機を受け取った。スマホは機密漏洩防止のために預けているのだ。

 普通なら、誰からかかってきたのかと尋ねるべきだろう。だが、その勇気がなかった。いや、知りたくなかった。

 きっと俺は、また化け物扱いされる。だったら相手が知人でない方がいい。


 俺が躊躇っていると、空いた片手にそっと温かいものが触れた。

 夏鈴の手だった。


「通話に出るんだ、翼。何か難癖をつけられるようだったら、私が相手にガツンと言ってやる」


 俺は思わず目を瞠り、夏鈴を真正面から見つめた。


「ガツンと、って、何を言うつもりだ?」

「いいから、さっさと出ろ!」

「いてっ!」


 勢いよく肩を叩かれ、俺はスマホの通話開始ボタンを押し込んだ。

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