第31話

「もしもし?」

《あっ、もしもし? 翼くん、だよね?》


 璃子だった。俺は口の動きだけで、隣にいる夏鈴にそれを告げる。


《この電話が繋がるまで、随分かかっちゃったけど、やっぱり秘密の軍事基地みたいなところにいるの?》

「ああ、そうだ」


 もう何を言われても構わない。化け物扱いしたけりゃ、勝手にしてろ。


《そう、なんだ》


 しかし璃子はそう言って、黙り込んでしまう。俺に難癖をつけるために電話してきたのではないらしい。


「おい、どうしたんだ、璃子? 用件を言えよ」


 俺はずけずけと話題を進める。すると、ふっと息を吸う気配がして、


《ごめんなさい!》


 という謝罪の言葉が響いた。俺は『は?』とか『え?』とか言ったと思う。


「一体どうしたんだよ?」

《私たち、酷いことを言ったよね、翼くんに。如月さんにも。でも、それが誤りだって、気づいたの。だって、あなたたちは聡くんと遥香ちゃんを助けてくれたんだもの!》

「まあ、そりゃあダチだからな」


 俺は何も考えられず、ぶっきら棒に言い返す。


「それは、あれだ。皆が俺を追い返したのは、俺が二人を救出する前だろう? 俺がお前らの、人間の味方なんだって、示す根拠はまだなかったんだ」

《でも、あなたは私や聡くんや遥香ちゃんの、大事な友達なんだよ? それなのに、私はあなたを守ろうとせずに、教室に来て早々に『帰れ』だなんて……。酷すぎるよね……》


 受話器の向こうから、鼻をすする音が聞こえてくる。

 嗚咽混じりの沈黙は、しばしの間続いた。


《ごめんなさい、翼くん。それと如月さんにも、私が、いえ、私たちが謝ってたって伝えてほしい。もし彼女がそばにいるなら》


 夏鈴が、俺のそばにいる。その事実を改めて認識させられ、俺はどきりとした。夏鈴は何事かと、俺の顔を覗き込んでいる。


「あ……、あー、悪いな、璃子。ちょっと俺、今まともに喋れないんだ」

《どっ、どうしたの? 怪物が襲ってきたの?》

「違う違う! ただ、何て言ったらいいのか分からなくて」

《それは、翼くんが気にすることじゃないよ》


 柔らかい声音で、璃子が告げる。


《今日は私が、あなたと如月さんに謝りたかったから。また会えるよね?》

「ああ。もちろんだ」


 思えば、『分からない』と正直に告げるべきだったのかもしれない。一週間後が最大の山場なのだから。その前に、一般人と出会う機会はないだろう。

 それでも俺は、璃子に、聡に、遥香に、安心していてもらいたかった。彼らは親友だ。俺を認め、気軽に接してくれた仲間だ。

 これは、『会えるか、会えないか』という問題ではない。『会うか、会わないか』という、俺の意志の問題だ。だからこそ、俺は肯定の言葉を重ねる。


「いろいろあるけど、俺は必ずクラスに戻る。もしよかったら、帰還記念パーティでも開いてくれ」


 その言葉に、再び璃子は感極まってしまったらしい。涙声を隠そうともせず、『必ずね』と告げて、通話を切った。

 俺も通信機を耳から離し、ボタンだらけのそれを見つめる。


「私が預かっておくよ」


 そう言ったのは夏鈴だ。


「これからも頻繁に通話されると、逆探知される可能性がある。私が通信部隊に預けておく」

「頼む」


 夏鈴は俺の手から通信機を受け取った。が、直後に思いがけないことが起きた。

 空いた方の手で、夏鈴が俺の手を握りしめたのだ。俺は驚きのあまり、ぴょこんと跳ねてしまった。


 夏鈴は大した力を込めてはいない。だが、そこには力では推し測れない温もりがあった。


「なあ、夏鈴」

「ん?」


 飽くまでも、落ち着いた態度を崩さない夏鈴。だがそれは、俺を安心させるためであって、胸中は震えているかもしれない。

 それでも、俺は問うた。確かめたかったのだ。夏鈴が俺を、どう思っているのか。


「ほ、本当に情けないことを言うようだけど」


 その声は、とても自分の喉から出たとは思えない。ひょろひょろだ。俺は『何と言ったらいいか分からない』と告げるつもりだった。

 しかし、夏鈴は思いがけないことを言葉にした。


「私はお前を諦めた覚えはないぞ。吊り橋効果だ、とあしらわれたくらいで」

「へ?」


 夏鈴は諦めていない? 俺を?


「何があっても、そばにいてやる。だから泣くな、翼」


 自分の身体ががたり、と揺らぐ。泣いている? 俺が? 夏鈴に手を握られたくらいで?

 疑問は尽きない。しかし、俺はもう立っていることすら大変だった。その場にひざまずき、夏鈴の手を自分の額に押し当てる。

 見る人が見たら、聖女を前にした迷える子羊の図に見えたかもしれない。窓側に立ち、逆光を浴びている夏鈴の姿は、まさに女神と言ってよかったと思う。


「夏鈴、俺、やっぱりお前が好きなんだ。一人にしないでくれ。一人で生きていけるほど、俺は強くないから――」

「だから、そばにいてやると言ってるじゃないか」


 やや笑いを含んだ声で、夏鈴は応じる。俺の格好は、それほど無様で滑稽なのか。だが、仮にそう思われていたとしても、不快感はない。


「じゃ、じゃあ」

「ん?」

「俺の訓練の相手、してくれるか?」


 俺は顔を上げ、夏鈴と目を合わせた。『もちろんだ』と言って、大きく頷く夏鈴。

 その瞬間を境に、俺のその日の記憶は途切れた。ただ一つ分かったこと。


 ――女って、強いんだな。


         ※


 一週間はあっという間に過ぎ去り、俺も心身および魔力の充溢を感じていた。

 これには少し語弊がある。前述したとおり、作戦は、魔王から譲り受けた力をチャージした俺が、オウガを倒すというものだ。

 本気のオウガの力がどれほどのものか、見当もつかない。しかし、それを上回るだけの魔力を、俺がチャージできればいい。

 現時点で魔力は十分量あるが、空きスペースもだんだん広がってきている。

 これを充填できたなら、十分勝てそうだ。否、勝つしかない。


 しかし、ここに不確定要素が一つある。羽奈のことだ。間違いなく、オウガの露払い役として現れる。

 作戦手順としては、まず羽奈を説得し、味方につけてオウガを牽制。その隙に俺が『魔界』へと続くワームホールを展開し、休眠中の親父から魔力供給を受ける。最後に、全身全霊を以て、オウガを叩き潰す。


 夕闇に染まる幌付きトラックの荷台で、俺は『羽奈』と何度か呟いた。口にせずにはいられなかった。

 説得材料は揃っている。『あの人』を引き合いに出せばいい。だが、羽奈が『あの人』のことをどう思っているかによって、戦局はがらりと変わる。


 さて、どうなるのか――。

 俺は自分を落ち着けるべく、現状把握に努めた。

 民間人の避難は完了している。不発弾処理という名目だそうだ。場所は駅前だから、カマキリと戦った場所にほど近い。

 しかし、戦場になるというのに、街はいつも通り煌びやかだ。電気や照明は点けっぱなし。俺たちの行動を円滑にするための処置である。


《目標地点到着まで、残り六十秒》


 運転手からの報告。あと一分か。

 こちらも律儀に時間を合わせ、午後八時ちょうどに市街地に到着するよう、計算しながら動いている。


 羽奈でもオウガでも何でもいい。来るなら来い。俺はぎゅっと、自分の拳を握りしめる。


「大丈夫だよ、翼」


 そう言って手を添えてくれたのは、言うまでもなく夏鈴だ。


「なんかごめんな、夏鈴」

「何だ、藪から棒に」

「スパイダー戦の時、俺が落ち着いて羽奈を引き留められていれば、手間が省けたんじゃないかと思って」


『気にするなよ』と告げる夏鈴。


「人生も戦闘も、必ず不完全要素は存在する。少なくともお前は、羽奈に攻撃される恐れはない。オウガだって、自分と翼の一対一での決闘を望んでいるんだろう? 勝てるよ、翼」


 俺が黙りこくっていると、夏鈴は言葉を続けた。

 そうだ。こういう時こそ希望を持たなければ。悲観的になっていては、勝てる戦も勝てやしない。


「ありがとう、夏鈴。でもさあ、お前」

「ん?」

「最近角が取れてきたっていうか、心に余裕が出てきたんじゃないか?」

「そっ、そんなことはない!」


 暗い荷台の中でも、夏鈴の頬が紅潮するのはよく見えた。


「ただ、頼りにされたのが嬉しくって……。私、男子に告白なんてされたことなかったし」


 それはお前が先にコクってきたからだろう。そうツッコミたかったが、俺は黙って肩を竦めるに留めた。いや、俺だって自分が赤面するのは感じていたが。


《現着! 総員降車、戦闘体勢に入れ!》

「よし、今日こそ片をつけるぞ、皆!」


 波崎に応じて、皆が声を上げた。

 あとはワームホールが開き、羽奈とオウガが登場するのを待つばかり。


 煌びやかなネオンの向こう、星の見えない夜空。そこに、その闇よりももっとどす黒いワームホールが展開されるまで、そうそう時間はかからなかった。

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