第32話
※
「こんばんは、お兄ちゃん」
そう言って降りてきたのは、魔族同様に白いフードを被った羽奈だった。俺はしばし目を閉じて、彼女の魔力量を計る。
どうやら現在量は俺より少ないらしい。だが、一般の戦闘員には手に余る。ここはやはり、俺が説得を試みることにしよう。
「羽奈、大丈夫か?」
大声を出さず、ピンポイントで空気を震わせ、相手に呼びかける。
「大丈夫って、もしかしてあたしのこと心配してたの?」
「ああ。何せ、オウガなんていう何を考えてるか分からん奴に連れて行かれたんだからな。これも兄貴の務めだ」
「ふーん」
どうやら羽奈は、本当に大丈夫であるらしい。脅されたり、洗脳されたりした形跡はない。
俺は早速、本題に入ることにした。『あの人』を話題に出す時が来たのだ。
「なあ羽奈、お前、俺たちの母さんのこと、覚えてるか?」
「えっ?」
羽奈はきょとん、と目を丸くする。余程意外だったのか。
「覚えてるわけないよ、だってお母さん、あたしを産んですぐに亡くなっちゃったんでしょう?」
「お前はそのことに責任を感じているか? 自分のせいで母さんは命を落としたと?」
「そっ、そんなこと、お兄ちゃんには関係ないよ」
「あるさ。俺はお前の家族だ。だからはっきり言うけどな」
俺はしっかり羽奈と目を合わせた。
「母さんの死因は、急性心不全だ。お前を出産したこととは、何も関係ない」
「と、突然何言い出すの、お兄ちゃん?」
狼狽え始める羽奈。もう一押し。
「天国にいるお母さん、きっと今のお前を見たら、がっかりするぞ。魔界にいるのが悪い連中ばかりだとは言わない。けどお前は、『人殺しになっても構わない』なんて言ってからそっちの世界に行ったんだ。そりゃああんまりだろう?」
「……うるさい」
「どこの親が、自分の娘を人殺しにしたいと思うんだ?」
「うるさいっ」
「母さんがもし自分を見守ってくれていたら――なんてこと、考えもしなかったか?」
「うるさいッ!」
突然の下降気流が、俺たちに降り注いだ。ぶわっと膨張する空気そのものが、殺意を帯びているかのようだ。
「そんなこと言い出すなんて、お前はお兄ちゃんじゃない! あたしのお兄ちゃんは、あたしがお母さんのことを考えなくてもいいように、いつも気を遣ってくれた! なのにお前は!」
「気が変わったんだよ、羽奈」
俺はかぶりを振りながら言った。
「今のお前なら、母さんのことを受け止められる。逆に、これ以上『母さんの死』ってものから逃げ続けたら、お前は一生後悔する。だから今、その話をしたんだ」
はっと瞼を見開く羽奈。涙が溢れ、しかしすぐに暴風の一部に吹き飛ばされていく。
「そ、そん……な……」
「羽奈、こっちに戻ってくれ。現界へ帰ってきてくれ。お前は俺の、大事な妹だ」
すると、ふわりとローブの裾をはためかせながら、羽奈はゆっくりと着地した。俺はゆっくりと歩み寄り、俯いた羽奈の頭に手を載せる。フードを取り払ってやると、そこにはいつもの羽奈の姿があった。家族だからこそ、通じ合えるものがある。
「お前が母さんのことを考えるのには、まだまだ時間がある。だが、今迫っている戦いはすぐに片をつけなくちゃいけないんだ。俺は魔王の、父さんの力を借りるために、新しいワームホールを空ける。父さんなら、俺たちに協力してくれるはずだ。だから羽奈には、その間俺を守ってほしい」
「あたしが、お兄ちゃんを?」
俺は大きく頷いてみせる。
「兄貴として、情けない話だと思う。でも、自分の意志でワームホールを開くには、お前では魔力量不足なんだ。俺が開いて、父さんに魔力を供給してもらって、オウガを倒す。オウガにはあいつなりの言い分もあるけど、これ以上人が死ぬ事態は避けたいんだ」
羽奈はまだ呆けた顔をしていたが、『やれるか?』と尋ねると、
「分かった。お兄ちゃんが頑張るなら、あたしも応援する」
とのこと。俺はヘッドセットに手を遣り、ダンに通信を試みた。
「ダン博士、魔王直通のワームホールの展開位置は?」
《おお、まさにそこだ。やれるんだな、翼くん?》
「ええ。波崎隊長に、援護射撃要請をお願いします」
《了解だ!》
俺はすーーーっ、と深呼吸をして、目をつむってから両腕を前方に突き出した。もちろんワームホールの展開など、初めての経験だ。魔王の血が、脳みそに代わって身体に命じている。今はそれを疑うことなく、とにかく動くしかない。
バシュン、と鋭い音がして、光が走る。瞼の裏まで真っ白になりそうな、大きな光だ。自分の魔力量が、ぐんぐん減っていく。だが止めるわけにはいかない。
父さん、そこにいるんだろう? 力を貸してくれ、頼む。
俺がそう念じ、僅かに目を見開いた、その時だった。ドン、という聞き覚えのある音がした。同時に羽奈の悲鳴も。
強大な魔力が、まさに俺の頭上から降りてきている。間違いない、オウガだ。
「羽奈、無事か!」
「うん!」
振り返ると、次々に降って来る赤い雷撃を、羽奈が跳躍しながら弾き飛ばしている。バリアの応用か。
一気に周囲は騒がしくなった。銃撃と砲撃が始まっている。だが、バリアのみならず身体結界を有するオウガに、どれほど通用するものか――いや、こちらにだって作戦はある。
以前、身体結界が防いだのは、アパッチの機関砲とロケット弾だ。オウガはバリアよりも、身体結界を維持することに執着している節がある。
だったら、バリアを通常兵器で破り、目くらましを仕掛けて、その隙に魔力攻撃をしかければいい。効果の程は不明だが、やってみる価値はある。
(まさか裏切られるとは思いませんでしたぞ、羽奈様)
ふっと、言葉が脳裏に滑り込んできた。これは、オウガの言葉だ。テレパシーのようなものか。
(あれほどの魔力訓練を授けて差し上げたのに。これは魔界存続を望む者たちへの、立派な反逆行為でございます。すぐにお止めください)
羽奈は無言。代わりに俺は、オウガに向かって念じた。
(無駄だ、オウガ。羽奈は現界の存在に戻った。貴様の言いなりにはならない!)
(左様でございますか、誠に残念です。それでは)
すっと見上げると、オウガが手元でなにやら魔弾を生成している。いや、あれは魔弾なのか?
その魔弾らしきものは、ふっとオウガの手を離れた。前方へ、真っ赤な光を帯びながら宙に浮かぶ。そして、
(散れ、雑魚共)
俺はオウガの罵詈雑言を初めて聞いた。と同時に、無数の赤い、槍状の雷撃に分裂した魔弾が四散した。
赤い槍は、周辺の高層ビルの窓ガラスを破り、壁面を粉砕し、アスファルトに突き刺さって小さな爆発を連続させた。
いつもなら、ここで大きな被害が出るはずだ。だが、今回は違う。魔界で訓練を受けてきたという羽奈が、シールドを展開しながら駆け回ったからだ。
波崎の通信によれば、羽奈のお陰で、地上の戦闘員たちに死者は出なかったようだ。
(ほう、やはり年頃の娘さんというのは、扱いの難しいものですね)
淡々と告げるオウガ。
(仕方ありますまい、魔王を目覚めさせられては、こちらが不利。大変恐縮ですが翼様、今一度、わたくしに与するおつもりはございませんか?)
(あるか、馬鹿野郎!)
(かしこまりました。それでは、遠慮なく)
次の瞬間、俺の頭上から、特大の魔弾が降ってきた。あの生成速度、そこに秘められた破壊力、尋常ではない。
「ぐっ!」
俺は片腕でワームホールを開き、もう片腕でバリアを展開するという、完全なオーバーワークを強いられた。これではホールを開く前に、俺の身体が潰されてしまう。
膝が震えだし、ミシリ、とシューズがアスファルトに食い込む。
「こんなところでっ……!」
俺の魔力は尽きかけている。もうもたない。ここまでか。
その時だった。
「はああああああああっ!」
大音声を響かせながら、誰かがビル壁面の穴から飛び出した。
「夏鈴!」
あの馬鹿、一体何を考えている? と思った矢先、すぐさま魔弾の威力が弱まった。
(チッ、小娘が!)
どうやら、閃光手榴弾を見舞ったらしい。それも、直接オウガの顔にぶち当てるという、無茶苦茶な方法で。
夏鈴は俺のそばに降り立ち、がしゃり、と榴弾を装填。無理な体勢ながら、榴弾をオウガに喰らわせた。バリアに阻まれたが、やはりバリアそのものは簡単に破砕される。
次の瞬間、勢いよく跳躍した影がある。羽奈だ。翼を展開して飛び上がり、魔力で生成したと思しき短剣を振るう。
数回の雷撃を弾いた後、
「お兄ちゃんに、手を出すなあああああああ!」
という絶叫と共に、ぐさり、と短剣がオウガの腹筋に突き立てられた。
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