第33話

 やった。初めてオウガに、俺たちの攻撃が通用した。

 しかしオウガは、刺された瞬間こそ怯んだものの、すぐに姿勢を立て直した。ぶすり、と短剣を抜き、手先で弄ぶ。


(致命傷には遠かったようだな、羽奈。今度はこちらの番だ)


 最早俺たちに礼節を尽くす気もなくしたらしい。オウガは、魔力でできた短剣の柄を握りしめ、こちらを見もせずに投擲してきた。


「がっ!」


 頭上からの魔弾が消えたことで、俺の片腕は自由になっている。俺はその手でバリアを張った。しかし。

 俺は息を飲んだ。短剣が、変形し始めたのだ。シンプルなコンバットナイフの形状だった短剣は、巻貝のようにぎゅるぎゅると回転し、俺のバリアを穿ち始めた。

 そして、


「ぐあぁあっ!」


 俺の掌の中央を貫通した。未だ味わったことのない激痛が、俺の手先から上腕、上半身、そして全身へと駆け巡る。

 形態維持ができなくなったのか、短剣はふっと消え去った。と言っても、俺の片腕の傷が埋まるわけではない。

 あまりの激痛に、俺はワームホールの展開をしていたもう片方の手を逸らしてしまった。幸いなのは、ホールが勝手に消滅することはない、ということか。


 もう一度手を翳せば、休眠中だという親父に至る道はすぐに開かれるはず。だが、今のバリア展開と負傷によって、俺は完全に戦力外だ。

 魔力が勝手に、貫通された片手の修復に回されている。これ以上、俺の力でホール展開を続行することは困難だ。


「ぐっ、がはっ……」

(残念だったな、黒木翼。素直に我輩に付き従っていれば、こうはならなかったであろうものを)

(だ……誰が貴様なんかに……!)


 その時、短く冷静なテレパシーが、俺の脳内に反響した。


(お兄ちゃん、どいて)

(羽奈? 何をするつもりだ?)

(ワームホールを空けるんでしょう? あたしだってできる。途中まではお兄ちゃんがやってくれたから、あたしの残りの魔力を全部注ぎ込めば)


 そうだ。何も、ホール展開が俺一人の役目だという決まりはない。


(あたしを守って、お兄ちゃん)


 その言葉に、俺は腹の底がゆっくりと温められるような感覚を得た。そうだ。俺には守るべきものがあると、認識したばかりではないか。

 羽奈に了解の意を伝え、俺は波崎に声を入れた。


「隊長、俺が囮になって、オウガの気を惹きます。羽奈がワームホールを開くので、それまで援護を頼みます」

《私は翼と行動を共にします》

「夏鈴?」


 突然、俺と波崎の通信に割り込んだ夏鈴。しかし波崎が異を唱えることはなかった。


《黒木、如月、二人の考えはよく分かった。ただし、必ず生還しろ。羽奈ちゃんもな。以上だ》

(末期の言葉は選ぶべきだな、人間も)


 オウガの重苦しいテレパシーが、直接脳を震わせる。


(黒木翼、羽奈両名の奪還作戦は中止。抹殺する)

(だからそうさせないって、ちゃんと言っただろうが!)


 俺は先ほど、夏鈴が使った閃光手榴弾をイメージしながら片手で魔弾を生成。思いっきり、オウガ目がけて投擲した。


(ふっ、二度も同じ手段に――)


 そう念じかけて、オウガの言葉は途切れた。頭上から、殺傷性の極めて高い退魔弾頭の爆弾が次々に叩き込まれたからだ。


(ぐっ! 何だ、この威力は⁉)


 今回の作戦は航空自衛隊との共同任務だった。ダンが開発し、速やかに量産された退魔弾頭は、F-2戦闘機に搭載されてオウガの頭上から襲い掛かった。

 市街地でこんな無茶な戦闘を行えたのは、一重に、住民が既に避難を完了していたからである。いつも通りの魔獣や魔族の出現時だったら、こんな作戦は取れなかった。


 弾頭部分はオウガのバリアを粉砕し、爆風はその皮膚を焼いた。無論、すぐさま治癒してしまうのは事実だ。だが、オウガに回避しきることは不可能だった。

 そもそも、今までの戦闘で使われた機銃弾やロケット弾と、今回の空爆とでは、威力が全く違う。オウガの余裕が招いた、自業自得とでも言うべき事態だ。


 その時だった。ざわっ、と空気が震えた。あらかじめ設定されていた、空爆回避ポイント。そこにいる俺の頬を、一凛の風が撫でていった。


「お兄ちゃん!」


 羽奈の声のした方を見ると、ワームホールが完成していた。しかし、今までとは色が違う。紺色から黒に染まっていたはずのワームホールの先は、穏やかな緑色に包まれていた。


「これは……」


 呆気に取られる夏鈴をよそに、俺は一歩一歩、ワームホールに近づく。この先に、親父がいるのか? そう思いながら目を細めた、次の瞬間だった。


(最早血肉の一片たりとも残さんぞ、人間共!)


 これまでにない圧力のテレパシーが、俺と羽奈の脳を揺さぶった。魔族ではない夏鈴にも届いたらしい。


「行け、翼!」


 俺は思いっきり背中から突き飛ばされた。それに爆風までもが混じって、その勢いは凄まじいものになった。


「うわああああああっ!」


 そうして、俺はワームホールを抜け、魔界の入り口に踏み入った。


         ※


 そこは、小さな部屋だった。壁と天井は翡翠のような、穏やかな緑を基調として、オーロラ状に波打っている。そして部屋の向こうには、一人の男性が立っていた。


 やや白いものが混じった髪に、安っぽい眼鏡。無精髭の生えた顎は細く、肩幅もない。ひょろりと背が高く、これまた安っぽい半袖のシャツにダメージジーンズという格好だ。


「ふああ……あ……」


 大きく伸びをする男性。その、あまりにも見慣れていたはずの姿に、俺は感動すら覚えた。


「父さん……」

「ん? よう、翼。元気か?」


 片手をポケットに突っ込み、もう片方の手を上げてみせる親父。本当なら時間はない。早く用件を伝えなければ。だが、一つだけ俺は親父に尋ねた。


「父さん、どうしていなくなったんだ?」

「んあ?」

「俺と羽奈を置いて、休眠状態に入ったそうじゃないか。どうして俺たちを裏切ったんだ?」


 親父は俺と視線を合わせ、その目をパチクリさせたが、すぐに大きなため息をついた。


「すまなかったな、翼。羽奈にもそう伝えてくるか? 父親がひどく反省していたと」

「だから、どうして休眠に――」

「耐えられなかったんだ。幸音の、お母さんのいなくなってしまった現界に居続けるのが」

「じゃ、じゃあ父さんは」

「詫びの言葉もない」


 そう言って、魔界を統べていたかつての王は、深々と俺に頭を下げた。


「この休眠部屋から出なければ、俺はずっと幸音との思い出に浸っていられる。大切な人を喪った事実から目を背けていられる。そう思っていた。が、現実はそう甘くはなかったようだ」

「そう、そうなんだよ父さん! オウガって奴が現界を征服するとか言うから、今戦ってる最中なんだ!」

「オウガが俺の許しもなく現界に?」


 大きく頷く俺。


「そうか。だが生憎、俺はここから出ることができないんだ、翼。現界に進出するだけの魔力は、今の俺には――」

「分かってる。だから見てくれ、父さん」


 俺は両腕を広げ、とうせんぼうをするように親父の前に立った。


「翼、お前、その魔力量は……」

「ああ。残り僅かだってことは知ってる。でも、容量はあるだろう? 父さん、俺に力を分けてくれ。俺にも守りたい人がいるんだ」

「守りたい人、か」


 親父はじっと、俺の目を覗き込んだ。そしてふと、ニヤニヤと口元を歪めた。


「何かおかしいのかよ!」

「いいや? お前も年頃の男子になったんだなあと思ってな。幸音もきっと、一緒にお前や羽奈の成長を見たかっただろうに」


 寂し気な色を浮かべながらも、笑みを絶やさない親父。


「まあ事情は了解した。お前のキャパシティを満たす魔力を、今から送る」


 そう言って、親父は大股で近づいてきた。片腕を俺の頭上にかざす。

 すると、不思議な感覚に陥った。片手に空いた穴が、急速に塞がっていく。そして、全身に力が漲る。自分の心臓が二つになって、猛烈な勢いで血液を循環させているかのようだ。


「翼、お前には『魔力炉』を託した。魔力の自然回復を早め、循環効率を飛躍的に向上させるものだ」

「ま、『魔力炉』?」


 大きく頷く親父。


「ああ、あとそれからこれな」


 俺の頭上からどかした腕を、今度は床面に向ける。そこから、一筋の光が現れた。


「これは、かつて俺が愛用していた魔剣。魔力を断じる強力な武器だ。名前は何でもいいんだが、俺は『ダーク・ファントム』と呼んでいた。まあ、現界で使うなら『ダーク』ってのは縁起が悪い。『ファントム』とでも呼べばいいさ」


 そう言って、親父は魔剣を引き抜き、柄の部分を俺に握らせた。


「母さんはずっと俺を愛してくれた。俺が魔界の王だと知っても。まあ、どっちが先に惚れたかなんざ、分かりゃしねえが」

「父さん……」

「世界を救ってくれ、翼。俺と母さんが愛した世界を」


 俺は大きく頷き、踵を返した。振り返ることはなかった。

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