第7話【第二章】
【第二章】
俺の意識は、ゆっくりと戻ってきた。きっかけとなったのは、唯一無二の家族の声だ。
「お兄ちゃんは? お兄ちゃんは無事なんですか⁉」
「落ち着くんだ、羽奈さん。命に別状はないよ」
「で、でもっ……!」
羽奈? 妹の羽奈が、ここに来ている? どこだか分からないけれど。
俺はゆっくりと上体を起こし、カーテンを見つめた。きっと主治医は、カーテンの外側で羽奈を留めるのに必死なのだろう。
「羽奈か? 羽奈だな?」
「あっ、お兄ちゃん!」
カーテンがざわざわと揺れる。
「ちょっと、待ちたまえ!」
主治医の声を無視するように、カーテンがざっと開かれた。
そこにいたのは、案の定、俺の妹の黒木羽奈だった。十四歳で中学二年生。長めのツインテールと、リスのような大きな瞳が特徴だ。全く、その愛嬌の一割でも、俺に分けてほしいものである。
「お兄ちゃん、大丈夫? 夜中に突然電話があって、お兄ちゃんが交通事故に遭ったって!」
「こ、交通事故?」
いや違うぞ。俺は恐竜のような魔獣と戦って、ぶっ倒して――それからどうした?
「落ち着くんだ、羽奈さん」
そう重苦しい声を上げながら、もう一人がカーテンの内側に入ってくる。波崎だった。
ふっと波崎を見上げた羽奈が、『ひっ!』と息を詰まらせる。無理もない、俺だってビビったのだから。
「羽奈、この人は味方だ。俺を助けてくれたんだ。魔獣と戦って――」
と言いかけて、ぎょろり、と波崎の右目に睨まれた。黙っていろということか。
「魔獣? 何それ?」
警戒心をさっさと解いて、羽奈がこちらに向き直る。
「あ、ああいや、俺のクラスで流行ってるゲームの話だ。交通事故とは関係ない」
「じゃあ、何でそんな話を今したの?」
う。何だコイツ、随分食いついてくるな。
そんな彼女を引き離したのは、穏やかな男性の声だった。
「羽奈ちゃん、お兄さんは頭を打って、少し記憶があやふやなんだ。面会できるようになったらすぐに呼ぶから、外で待っていてくれないかい?」
「あっ、す、すみません」
羽奈はすぐに頭を下げ、『また後でね!』と俺に告げて去っていった。俺が生きていることが分かって、安心したのだろう。
代わりに入ってきたのは、背が低くて恰幅のいい、眼鏡を掛けた男性だった。
「何をしていたんだ、ダン。子供を入れるなと言っておいたはずだが?」
波崎は、今度は小太りの男性――ダンの方に目を向けたが、ダンは全く気にかけない。それだけ付き合いが長いということか。
「黒木翼くん、だね?」
「は、はい」
「波崎一佐から話は聞いたよ。まさか、あれほど凶暴な魔獣を仕留めるとは! 流石だ!」
「え?」
流石と言われても、あれが俺にとっては最初の戦いだった。何がどう『流石』なのか、さっぱり分からない。
話がややこしくなりそうだったので、俺は自分の周囲の状況把握から始めることにした。
「あの、ここはどこですか?」
「市民病院の個室だよ。ここにいれば、君は安全だ。ああそうそう、私は壇ノ浦。壇ノ浦修二という。ダン、とでも気軽に呼んでもらえればいい。階級は二佐だが、波崎とは飲み友達みたいなものでね。あまり上下関係のことは気にしないでくれ」
「は、はあ」
ダン博士とでも呼べばいいだろう。白衣を纏ったダンは、俺に人懐っこい笑みを向ける。
「ダン、後の説明は任せる」
「オーライ。任せてくれ」
そんな素っ気ない遣り取りをして、波崎は個室から出て行った。
「さて、と」
ダンはベッドわきの丸椅子に腰を下ろし、背負っていたリュックサックから飲み物を取り出した。
「翼くんは何を飲む? コーヒーも紅茶も炭酸もあるけど」
その時になって、ようやく俺は自分の喉が酷く渇いていることに気づいた。
「炭酸ジュース、適当に貰えますか?」
「ほいきた」
さも愉快そうに缶を取り出すダン。蓋を開け、三分の一ほどを一気に飲み干す。すると、自分でも意外なほど深いため息が出た。
「お疲れのようだね?」
「ええ、まあ……」
「だが、少し話を聞いてもらいたい。常識では考えられない内容だと思うが、考えてみれば君も納得してくれるはずだ」
俺は缶ジュースを両手で握りしめ、座った姿勢でダンの方に顔を向けた。
「君が駆逐した恐竜のような怪物……。あれは一体何だったと思う?」
「は?」
俺は思わず、間抜けな声を出した。あれが何だったか、だって?
「恐竜、じゃないんですか?」
「まあ、恐竜のような姿をしてはいたがね」
恐竜のような姿の怪物、怪獣、化け物。いろんな言葉が脳内を駆け巡ったが、結果的に一つの単語に落ち着いた。
「魔獣、ですか」
するとダンは目を輝かせ、
「その通りだ、翼くん! よく気づいてくれたなあ!」
と言ってばんばんと俺の膝を叩いた。
「あー、失敬! つい興奮してしまってね」
どうやら俺は正解したらしい。だが、その『魔獣とは何か』ということに関しては無知のままだ。どう尋ねたらいいものかと思案していると、ダンは眼鏡の向こうで目を細め、こう言った。
「君は悪魔の存在を信じるかい?」
今度は俺も無言だった。まじまじとダンの目を見つめ返す。
普通だったら、『そんなものあるわけがない』と一蹴するところである。だが、俺は現に『魔獣』と呼ばれるものと戦い、その強さを見せつけられた。だったら、一概に『悪魔』がいないとも言い切れないのではないか。
「何も即答する必要はない。ゆっくり説明させてもらうよ。体調はどうかね?」
「あっ、大丈夫です」
「では」
ダンは一つ咳払いをして、語り出した。
「この星には、主に二つの世界が存在する。『現界』と『魔界』だ。現界が我々のいる世界、魔界がもう一つの世界だと思ってもらえればいい」
「もう一つの、世界?」
「そう。現界ではあり得ない現象が起こり、存在し得ない者たちが巣食う世界だ」
この壇ノ浦というおっさん、バリバリ科学者の雰囲気を醸し出しているのに、随分とオカルトチックな話をするんだな。
ダンは続ける。
「その魔界は、今までは現界の生物たちには感知できない領域として存在してきた。端から存在していないに等しいならば、現界に生きる我々にとっても、何も問題はない。だが、そうとも言えなくなってきたんだ」
俺はふと思いつき、それをそのまま口にした。
「さっきの魔獣は、魔界から現界にやって来た怪物だった、ってことですか?」
「ほう!」
パチン、と両の掌を打ち合わせるダン。
「物分かりが早くて助かるよ、翼くん! そう、問題は、ここ十数年の間に、魔界に存在する生物や現象が、現界に影響を及ぼしつつある、ということなんだ」
ダンは缶コーヒーで喉を潤し、話を続ける。
「どうやら『魔界』には、全ての生物と現象を統べる『魔王』が存在していたらしい」
「そいつがこの世界を侵略しようとしてるんですか?」
「いやいや、逆だ」
カタン、と音を立てて、テーブルに缶コーヒーを置くダン。
「様々なリサーチを経た結果、魔王は『現界』に攻撃を仕掛けるつもりはなかったらしい、ということが分かってきた。問題は、彼が休眠状態に入ってしまったことだ」
ん? 流石にここから先の展開は読めないぞ。魔王が傍若無人のドS野郎ではなく、ましてや休眠したというのだったら、何も問題はないじゃないか。
「問題は、魔王直属の部下――側近とでも呼ぼうか――、彼らが現界に手を出し始めたということだ」
「側近が?」
「ああ」
ダンが苦々しい顔をしているのは、何も缶コーヒーのせいだけではあるまい。
「側近数名が、魔獣を連れて現界に戦争を仕掛けてきたんだ。我々は連中のことを、魔獣と区別して『魔族』と呼んでいる。魔族からすると、どうやら地政学的に、日本が最初の攻略目標として適していたらしい。これは立派な戦争だよ」
「せ、戦争……」
俺は先ほどの、コモドオオトカゲのような魔獣と特殊部隊との戦闘を思い返した。
機銃弾もミサイルも、まともに効いていたようには思えない。あれで一方的に攻められては、戦争ではなく蹂躙だ。
「魔獣は一体、どのくらいの数がいるんです?」
「分からん」
ダンは両の掌を上に向け、俯いたままかぶりを振った。
「今まで現界に現れた魔獣は、今日未明の個体を含めて十七体。主に日本の関東、中部、それに近畿地方東部に出現している」
「十七体、ですか」
俺は落ち着いた風を装いながらも、ぶるりと全身を震わせた。
「ダン博士、俺、見ました。多くの戦闘員が、その、殺されていくのを……」
「だろうね。波崎くんも、君のような若者に対して無茶を強いるものだな」
「で、でも!」
俺はがばっと顔を上げた。
「どうして俺を連れて行ったんです? それに、どうして俺は戦えたんです? 武器なんて何も持ってなかったのに!」
「それはね、翼くん」
ダンは眼鏡を外して拭き、掛け直してからこう言った。
「君が魔王の息子だからだよ」
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