第18話


         ※


「夏鈴!」


 俺はカラオケ屋の外から呼びかけた。瓦礫の山を避け、時にはよじ登り、役割を果たさなくなった自動ドアをこじ開ける。


「夏鈴、無事か! 聞こえていたら返事をしてくれ!」


 と叫びながら、階段を上る。踊り場で百八十度曲がったところで、その姿が見えた。


「夏鈴っ!」


 横向きに倒れた姿勢で、夏鈴はいた。ここからでは、意識の有無までは分からない。


「しっかりしてくれ! 夏鈴……」


 これほどまで、他人の安否を必死に気に掛けたことはなかった。残りの階段を二段飛ばしで駆け上がり、夏鈴のそばにしゃがみ込む。


 防弾ベストやヘルメットを見た限り、彼女の身体に致命的な負傷はないようだ。だが、目を防護するバイザーにはひびが入り、頬には裂傷が走っている。

 それに、見えないところで骨折したり、脳にダメージが及んでいたりするかもしれない。

 下手に動かすのは躊躇われた。


 すると、やや遠くから機関砲の銃撃音が響き始めた。恐らく、魔力を失ったカマキリの身体はズタズタにされていることだろう。

 そう思った矢先、波崎から通信が入った。


《翼、大丈夫か?》

「波崎隊長、俺、一体……」

《魔力についての話は後だ。今、救護用の装甲車がこちらに向かっている。そちらに如月はいるか?》

「気を失ってます!」

《息はあるか?》

「い、息?」


 俺は夏鈴の顔を見下ろした。形のいい唇が、微かに開いている。ごくり、と唾を飲んでから、俺はそっと、彼女の唇に耳を近づけた。


《どうだ?》

「だ、大丈夫です、息はあります!」

《了解。場所は?》

「カラオケ屋の二階です。駅前からは、えっと、大体三百メートル!」

《分かった。救護班を送る。君はそこで待機してくれ》

「了解です!」


 波崎との通信が終わると、妙に静かな心境になった。外では相変わらず銃声が轟き、陸自の車両が瓦礫の山を蹴散らしながら何十台もやって来る。

 にも関わらず、この落ち着いた空気は何なのだろう。


 俺は、不思議な感慨に囚われていた。

 このまま、ずっとこの状況が続けばいいのに。


 夏鈴は目を覚ますことなく、戦いを強いられはしない。俺もまた、魔力がないため戦うことはできない。敵もやって来ることはなく、今この場にいない羽奈もまた、自分が内包している魔力に怯えずに済む。


「なあ夏鈴、こんな卑怯な言い分はないかも知れねえけど……。俺、お前のことが好きなのかもしれない」


 何の心構えもなく、告白とも言えない言葉を、俺は喉の奥から発する。

 当然、意識を失っている夏鈴に、この思いが伝わることはない。


 正直、それでよかった。魔王の息子と、魔獣に家族を奪われた少女では、あまりにも不釣り合いだ。

 だからこそ、せめて今くらいは穏やかな気持ちでいたい。自分にも夏鈴にも正直でいたい。それが、俺がこんな独白をした理由なのだと思う。


 その後、CSの衛生兵が階段を駆け上がってくるまで、俺は穏やかに気を失っている夏鈴の顔を見つめ続けた。

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