第15話
※
今日も午前中で授業は終わりだった。しかし、こういう時こそ居残って仲間と語らってしまうのが、近年の若者の在り様である。俺も、聡、遥香、璃子と共に、そんな時間を満喫するはずだった。
俺が教室中央の自分の席から、後方の聡の席へ向かおうとしたその時。
「翼、ちょっと」
「おわっ!」
腕を引かれた。夏鈴だ。華奢な体躯からは想像もつかない勢いで、俺を教室の出口へ引っ張っていく。
「あれっ? 翼くん、どうしたのー?」
異常に気づいた璃子が声を上げる。合わせて聡と遥香もこちらを見遣るが、俺に応答する間は与えられなかった。
俺が夏鈴に何事かと尋ねる前に、夏鈴は大きく舌打ちをした。
「出遅れた」
「なっ、何が?」
「魔族の襲撃。夕方頃になると予測して作戦を立てていたけれど、もうすぐ奴は攻撃を開始する」
攻撃という言葉に、俺は背筋がぞっとした。
「こ、攻撃って、何を?」
「人類を。恐らく、ひとまずこの街の中心市街地を占拠して、ワームホールを造るつもりでしょうね」
「わ、ワームホール……?」
何とか夏鈴に歩調を合わせ、腕を解いてもらう。すると夏鈴は淡々と解説を始めた。
「ワームホールっていうのは、現界と魔界を強制的に繋ぐトンネルみたいなもの。一旦それが開いたら、魔獣共が大挙して現界にやって来る」
「マジかよ!」
俺は早歩きをしながら、自分の足が絡まりそうになるのを感じた。
ちらりとこちらに視線を寄越し、夏鈴は続ける。
「その魔獣共の指揮を執るのが、魔族。知性は人間とほぼ同じ。また、有している魔力も、魔獣に比べたら桁違い。これは全部、壇ノ浦博士の予測と計算に基づく話だけど」
予測と計算?
「ちょっ、ま、待ってくれ!」
「何?」
「予測と計算、って言ったよな?」
「ええ」
「ってことは、まだ実戦経験はない、ってことか?」
「そうよ」
俺は、言葉を失った。
波崎や夏鈴ですら戦ったことのない人型魔獣、すなわち魔族を相手にする。それは、何とも絶望的な事態に思われた。だからこそ、俺の出番というわけか。
昇降口を出ると、既に見慣れたCSの車両が校門前で待機していた。
その車両が視界に入ったと同時、俺の足は止まってしまった。ぎゅっと両の拳を握りしめ、俯きながら唇を噛みしめる。
『どうしたんだ、早くして』――夏鈴ならそう言うだろうと思った。しかし、そんな残酷な言葉は、俺に襲い掛かってはこなかった。代わりに真横からかけられたのは、思いがけない一言。
「私たちの実力を舐めないで、と言いたいけれど、厳しいな」
「そ、そんな! 俺はただ――」
「羽奈さんのことが心配になったんだろう?」
俺は一旦上げた顔を再び俯け、『そうだ』と一言。すると、不安が一気に溢れ出た。
「今度は未知の敵と戦うわけだろ、CSは? だったら、俺が死んだり、戦闘不能になったりする可能性は捨てきれない。そうしたら、今度は羽奈が戦いに……」
全て言い切る前に、バチン、といい音がした。堪らず俺は横転し、左頬を押さえる。
夏鈴にビンタされたのだ。
「なっ、何すんだよ!」
「私たちの戦闘力が心配になるのは分かる。でも、私のことは甘く見ないで」
「え……?」
夏鈴は声を荒げることなく、淡々と告げた。
「あなたは攻撃に集中して。私はあなたの盾になる。あなたを傷つけさせはしないし、増してや命を奪わせはしない。だから、羽奈さんのことは心配いらない」
あまりの発言内容に、俺は呆然と夏鈴を見上げた。
「あなたのことは、私が全身全霊を以て守る。たとえ私が命を落とすことになっても」
すっと手を差し伸べ、俺を引っ張り立たせる夏鈴。
俺は、確かに見入っていた。夏鈴の瞳の奥で燃え盛る、冷たい炎に。それは、『黒木翼を守る』という目的のためなら手段を択ばない、という決意の表れに思われた。
「行きましょう。波崎隊長たちと合流しないと」
「あ、ああ」
俺は夏鈴の後に続くようにして、校門へと歩み出した。
※
運転席に向かい、夏鈴が敬礼する。俺もまた、大きく頭を下げて、夏鈴に続いて後部座席に乗り込んだ。
ぎょっとしたのは、次の瞬間である。
「っておい、夏鈴!」
「何だ?」
「どうしてシャツを脱ぎだすんだよ! ここは更衣室じゃねえんだぞ!」
「知っている。だが、現場に到着してから装備を身につけるのでは遅い」
「ひっ!」
俺はさっとドアの方に身をよじり、夏鈴の着替えが目に入らないようにした。が、一瞬だけ、窓ガラスの反射で見えてしまった――夏鈴の今日のブラは、水色。
俺が後部座席でうずくまっていると、トントンと肩を叩かれた。そこにいたのは、足先から頭部まで、完全装備に身を包んだ夏鈴だ。
自動小銃を背負い、腰元には拳銃と手榴弾を括りつけている。俺は思わず、『おおっ』と声を上げた。
「翼、着せてやるから、お前も防弾ベストをヘルメットを装備しろ」
「お、俺もか?」
答える代わりに、空いている助手席から装備品を引っ張り出す夏鈴。
「お前が死亡する可能性は、どれだけ頑張っても零にはできない。できることはやっておくべきだろう」
先ほどの夏鈴の決意のほどを見せつけられては、反論の余地はない。俺は素直に、三つの装備品、すなわち防弾ベストとヘルメット、それにヘルメット内蔵ヘッドセットを取り付けてもらった。
「魔力反応の中心地まで、あと二分!」
運転手が叫ぶ。『了解』と応じる夏鈴につられて、俺も『了解!』と声を上げる。
それから三十秒もしないうちだった。運転手がぎょっとした顔で振り返り、
「二人共、耐ショック姿勢!」
と悲鳴を上げた。直後に訪れた、ふっと車体が持ち上がるような感覚。
それが、魔力によって車が宙に浮かされているのだと判断するのに、時間はかからなかった。
そして車は空中で横倒しになり、呆気なく落下した。
「ッ!」
歯を食いしばって、舌を噛み切ってしまうのを防ぐ。
グワシャン、と思いっきり金属がひしゃげる音が響き渡り、車は横に傾いたまま地面に激突した。
意識を失うことのなかった俺は、すぐに周囲を見渡した。まずは車から出なければ、格好の標的になる。
まず手をかけたのは、夏鈴のシートベルト。自分のベルトが邪魔だったが、どうにか夏鈴のベルトを外した。
「夏鈴、大丈夫か!」
「え、ええ。翼、あなたは?」
「平気だ、何ともない」
それから自分の横、つまり上側になっているドアを開けようと試みた。が、上手くいかない。ロックを外し、何度も蹴りつけたのだが、一向に開く気配がないのだ。
やはり、車全体のフレームが歪んでしまっているのか。
どうしたものかと思案し出した、その時だった。強力な魔力が、こちらに狙いを定めるのが察せられたのは。
「夏鈴、悪い!」
そう叫ぶや否や、俺は自分のベルトを外し、夏鈴と肩を寄せ合うような形で落下した。そのまま彼女の前方に回り込み、ぎゅっと抱き締める。
それからこの車体は、二度目の跳躍を余儀なくされた。今度は二、三回空中で横転し、そばにあった家屋に上空から落下。
完全に弄ばれている。
再び俺が夏鈴の安否を確認しようとすると、彼女は無言で頷いた。動けるということなのだろう。
気づけば、先ほど蹴りまくっていたドアが消し飛んでいる。車も横転姿勢から通常の体勢に戻っており、脱出は簡単だった。
しかし、運転手は息が細い。一段落してから、医療チームが駆けつけるまで頑張ってもらうしかないだろう。
夏鈴が自動小銃を構え、俺が拳を握りながら家屋を抜けると、外は大パニックだった。突然車が吹っ飛んだことに、一般市民は事態を把握できず、混乱の極致に追い込まれている。
犯人は、俺たちの眼前にいた。晴天の青空を背景に、真っ白い人影が浮いている。
二メートル近い長身に、フードを深く被り、日光に照らされているとは思えないほど陰影のはっきりした立ち姿、否、浮き姿をしていた。
右手をすっと前方にかざしている。そこから魔力を放ったのだろう。
《民間人をすぐに退避させろ! 最優先だ!》
波崎の絶叫が響き渡っていたが、俺と夏鈴は、それこそ魔法にかけられたかのようにその場に立ち尽くしていた。
人影はするりと右手を引っ込め、ゆっくりと地面に降りてくる。そして、アスファルト上の砂塵を軽く吹き飛ばしながら、片膝を着いてこう言った。
「お迎えに上がりました、魔王のご子息、黒木翼様! どうかわたくし共にご下命を、そして再びの栄光を!」
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