第16話

「な、何を言ってるんだ?」


 俺は思わず、白い人影――魔族に問いかけていた。俺のそばでは、ガシャリ、と音を立てて夏鈴が銃撃に備えている。


「ははあ、そうでいらっしゃった! 翼様、あなた様はしばらく、この下賤な現界にいらっしゃったのですな! ああああっ! なんとご不憫な!」


 魔族はフードをばさりと脱いで、髪を掻きむしった。小さな突起が二つ生えている。日本でいうところの、鬼の親戚みたいなものなのだろう。


「これでは、お父様の――魔王様の為した栄光の軌跡をご存じないのも無理はない!」

「お父様?」


 その言葉に、俺は意表を突かれた。


「親父が何かしたのか?」

「なさいましたとも!」


 魔族は立ち上がり、腰を折って深々とこうべを垂れた。


「とりわけここ十年少しの間、様々な栄光を、わたくし共にくださった!」

「何をくださったっていうんだ?」

「地震、台風、火山噴火、洪水、その他諸々でございます!」

「ッ!」


 俺は息が詰まるのを感じた。こいつらは――。


「お前らは現界の人間たちの不幸を糧にしている、とでもいうのか?」

「仰る通りでございます、翼様!」


 そんな、馬鹿な。

 俺は僅かばかりに残った、両親の記憶を引っ張り出す。そして思いっきり反論した。


「俺の親父は、他人の不幸を糧にするような畜生じゃない!」


 すると、ぱっと魔族は顔を上げた。


「何を仰いますか、翼様! ここ十数年、わたくし共の感覚ではごくごく短い期間ではありますが、様々な災害を引き起こし、わたくし共に糧をくださったのは魔王様でございます! 少なくとも、我らが側近中の高官、オウガはそう申しております!」

「側近……?」


 俺は、詳しいことは知らない。父が魔王であったことだって、つい最近知らされたばかりなのだから。

 だが、眼前の魔族の言うことと、俺が父に対して抱いている印象を組み合わせると、一つの仮説が成り立つ。


「それはその側近が――オウガが独断で行ったことなんじゃないのか? そもそも、親父は今も存在しているのか?」

「は?」


 慇懃な口調と間抜けな吐息が混ざり合い、妙な声が魔族から発せられる。

 その態度に、俺は猛烈な苛立ちを覚えた。


「繰り返すが、俺の親父はここが現界だろうが魔界だろうが、他人の不幸を望むような奴じゃねえ!」


 片足を持ち上げ、思いっきりアスファルトを踏みつける。

 すると、魔族はすっ、と目を細めた。


「つまり翼様、あなたは我々魔族よりも人間の肩をお持ちになる?」

「お前らが破壊活動を止めない限りはな」


 よくもまあ、こんな啖呵が切れたものだと思う。だが、言うべきことは言わなければ。誰が黒幕であるにせよ、これ以上死者が出る事態は避けなければ。


「左様でございますか……。致し方ない。さすればこの不肖『カマキリ』が、下賤な奴らめを蹴散らし、あなた様を再び『魔界』にお連れする他ありますまい」


 魔族がゆっくりと腰を伸ばす。その直後、


「翼ッ!」


 どん、と鈍い衝撃が走った。夏鈴が俺を突き飛ばしたのだ。まさにその直後、カマキリの背後から、凄まじい勢いで弾丸や爆薬が飛んできた。


 自動小銃、機関砲、手榴弾、ロケット砲、とにかくありったけの火力が注がれているのは間違いない。

 俺は目を上げてその様子を見たが、しかし、カマキリは微かに頬を持ち上げていた。


「フッ、雑魚共が」


 そう言うが早いか、ドドドドドドドドッ、と凄まじい爆音が響き渡った。が、それらは全て、カマキリの背後でくぐもっている。

 まさかこの魔族、いつの間にかバリアを張っていたのか? もしかしたら、魔獣と同じ魔力を発揮しているのかもしれない。


 だが、だとすれば俺の攻撃は通用するはず。


「あっ、翼!」


 夏鈴の声に振り向くことなく、俺はカマキリに向かって勢いよく接敵した。魔力が満ち満ちてくるのを感じる。こいつも魔族なら、俺の攻撃が通用するはずだ。


「うおらあああああああ!」


 そのまま右手を握りしめ、俺はダッシュした勢いそのままに、右フックを繰り出した。

 そして、唖然とした。

 カマキリは、悠然を俺の拳を掴み込んでいたのだ。


「なっ……!」

「おやおや、次期魔王ともあろうお方が、そんな無粋な攻撃を……。これは少しばかり、礼儀作法をお教えした方がよさそうだ」


 今度こそ、カマキリはにやりと口の端を吊り上げた。そして、俺は無造作に放り投げられた。


「うあっ!」


 そこには乗り捨てられた小型自動車があった。ボンネットとフロントガラスがクッションになって、俺は致命傷は避けられた。


「いってぇ……」


 半ばずり落ちながら、俺はカマキリの方を見遣った。振り返りざまに、右手をすっと差し出すカマキリ。俺たちの乗った車を揺さぶった、あの右手だ。

 するとそこに、以前のコモドオオトカゲが繰り出したようなソニックブームが発生した。


 あれよりリーチはないかもしれない。だが、威力はずっと上だった。

 振り返りざまに、ザン、と一閃。何も起こらない。しかしそう見えたのは、あまりに切れ味が鋭かったからだ。

 二、三秒ほど経って、急に銃撃が静まり始めた。と思ったら、戦闘員たちの、腕が、足が、頭が、胴体が、次々に斬り落とされた。


「ぎゃあああああああっ!」

「お、俺の腕! 腕が!」

「皆、落ち着け! 衛生兵、来てくれ! 戦える者は衛生兵を援護!」


 波崎が叫ぶ。これもまた、カマキリの作戦だった。


「あれだけ自分たち同士で争いをしておきながら……。人間は、歴史から学ぶということをしないのか?」


 満足気な笑みを浮かべたまま、カマキリは言う。そして、前方の負傷者を救おうと出てきた衛生兵に向かい、再び右手を振るった。

 今度は一瞬だった。衛生兵たちは、あっという間にその首を斬り落とされた。


「ああっ!」


 俺は思わず叫んだ。

 もちろん、目の前で大勢が負傷させられたということもショックだ。

 だが、同時に俺は、事態の深刻さに戦慄していた。衛生兵が一人倒される度に、十名近い戦闘員が道連れになると聞いたことがある。

 加えて、前線は完全にパニック状態にある。負傷者が多すぎるのだ。これでは、まともな後方からの支援射撃などできやしない。


 すると、何事もなかったかのような足取りで、カマキリは俺に近づいてきた。


「いかがでしょう、翼様? この魔界の力は? 素晴らしいでしょう?」


 両腕を広げ、近づいてくるカマキリ。


「やや強引ではありますが、わたくしめが翼様のためにワームホールを開いて差し上げましょう!」


 両の掌を合わせ、握り込むような所作を取る。そして『はっ!』と再び腕を広げると、唐突に暴風が吹き荒れ出した。


「うっ!」


 細かい瓦礫や砂埃から、腕で顔を守る俺。剥き出しの肘から先に、チリチリと痛みが走る。


「さあご覧なさい、翼様! これがあなたが統べるべき、真の魔界なのです!」


 そこに現れたのは、巨大な円。その淵には紫色の静電気のようなものが走り、中心へ行けば行くほど、紫色は紺色に、紺色は漆黒にと変わっていく。

 正直、カマキリが何を見せたいのかは分からなかったが、足を踏み入れてみろとでも言いたいのだろう。


 もちろん、俺はそんなところに行きたくはない。だが、今はCSの戦闘員たちを人質に取られているような状況だ。一体、どうしろってんだ。


「さあ、翼様!」

「うおっ!」


 これまた突然、俺の足が地を離れた。カマキリの念動力だ。ゆっくりと、しかし確実に、俺の身体は円、すなわちワームホールへと引っ張られていく。

 俺に選択肢はないのか。俺に戦うことはできないのか。そもそも、戦うことを避けることなどできなかったのか。


「羽奈、ごめん……」


 お前を戦いに巻き込まないために戦うつもりだったのに。俺はぎゅっと目をつむり、全身の力を抜こうとした、その時だった。


「ぬっ!」


 カマキリが息を詰まらせるのが聞こえた。同時に、ワームホールが急速に小さくなり、シュッと音を立てて閉じ切った。


 何が起こったのか。

 俺は辛うじて膝を着き、転倒を免れる。その視線の先にいたのは、夏鈴だった。


「夏鈴!」


 夏鈴は、硝煙の立ち昇る自動小銃を構えていた。カマキリの隙を突き、榴弾を叩き込んだのだ。


「おのれ、小娘がッ!」


 さっとカマキリは右腕を振るう。しかし、夏鈴には当たらない。

 夏鈴が機敏に動いて回避したこともある。しかしもう一つには、カマキリの右腕が焼け爛れていたことがあるだろう。


「人間ごときが!」


 慌てて振り返ったカマキリ。その背部に向かい、俺は両腕でチャージにチャージを重ねた魔弾を放った。

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