第35話【エピローグ】
【エピローグ】
俺は、自分の身体を俯瞰していた。いわゆる幽体離脱というものだろうか。
着ていたジャージはボロ布同然であり、胴体が一部不自然に凹んでいる。意識はない。って当然か。今こうして宙に浮いている俺そのものが意識なのだから。
人工呼吸器をあてがわれた口元。顔もまた、ボコボコに腫れ上がっている。四肢もいくらか不自然な方向に曲がっているようだ。
さて、ここはどこだろう。って、なんだ、CSの医療棟か。またまた厄介になるわけだな。
すると、誰かが駆けてきた。夏鈴だ。聴覚が鈍って、何を言っているのか分からない。だが、相当喚き散らしているのは分かる。看護師が必死に取り押さえ、落ち着かせようと必死だ。
ふと気づいた。彼女の脇腹に、ファントムの柄が差さっている。ああ、ちゃんと回収してくれたんだな。
(随分と無茶をさせてすまなかったな、翼)
今度は明瞭な声がした。というより、これもテレパシーか。そちらに振り返る。
(ああ、やっぱり父さんか)
何とはなしに予想はついていたので、特に驚くべきことではない。彼がここにいるということに。
その姿は、淡く透明度のある青色をしていた。姿や格好は、ワームホールの先で出会った時と変わらない。
(本当はな、翼。オウガはお前ではなく、俺が誅を下すべき相手だったんだ。戦力から言っても、道義的に言っても。奴の独断や暴走を招いたのは、俺が原因なんだからな)
(一つ考えがあるんだけどさ、父さん)
(何だ?)
俺は少し口元をもごもごさせてから、言葉を紡いだ。
(俺、父さんと一緒に、あのワームホールの先で暮らしたい)
親父は腕を組み、黙って俺を見つめた。
(だって考えてもみてくれ。俺には現界に対する未練がないんだ。だったら平和主義者の魔族として、のんびり暮らしたいと思う)
俺は首を傾げてみせる。それでも親父は姿勢を崩さず、ゆっくりとこう問うてきた。
(つまり、現界においては死亡者扱いされても構わない、と?)
(ああ。あいつ――如月夏鈴のことは心配だけど、俺はやっぱり魔族なんだ。現界の人間たちから見たら怪物だ。彼女の幸せを願うなら、俺は身を引くよ)
そう言うと、ぴくり、と親父の頬が痙攣した。青筋を浮かび上がらせ、ふっと息を吸い込む。そして、
(この馬鹿!)
という怒声が響いた。ただし、俺の背後から。
驚いて振り返る。そこにいたのは、
(は、羽奈!)
(お兄ちゃんのヘタレ! 卑怯者! 甲斐性なし!)
(おいおい、突然どうしたんだよ?)
そう尋ねると、羽奈の目から見る見る涙が溢れ出した。
(あたしは死んじゃったけど、お兄ちゃんはまだ助かるんだよ? 生きていてもいいんだよ? それなのにどうして……!)
一瞬動揺した。それから『やはり』と思わされる。羽奈は現界では死んでしまったのだ。俺は何とか言葉を絞り出した。
(お前なしで、どうやって俺に生きていけっていうんだ? お前は俺の存在を肯定してくれる、唯一の存在だったんだ。それがいなくなっちまったら、俺は何を支えに――)
バゴッ、と音がした。羽奈にぶん殴られたらしい。
(お兄ちゃんは分かってない! 分かろうともしていない! 夏鈴ちゃんがどれほどお兄ちゃんのことを想っているか!)
(あ、あいつが、俺を?)
(見れば分かるでしょう!)
俺は夏鈴と看護師たちの戦いに見入った。
数名の看護師に押し留められながらも、夏鈴は俺の運ばれた集中治療室に入ろうとしていたのだ。
その手はスライドドアの片方に当てられ、スライドドアを封鎖させまいとしている。
両腕と肘、それに肩を押さえつけられながらも、夏鈴は前進を試みる。いや、実際に前進している。
それほど俺のことが大切なのか。
(だからね、お兄ちゃん。あたしの分も生きて。そして分けてあげて。あたしにくれるはずだった愛情とか、未来とかを、夏鈴ちゃんに)
俺が喉を鳴らすのと、夏鈴が落涙し出すのは同時だった。
親父と一緒に魔界に籠るって? 何を言ってたんだ、俺は。そんな弱気でどうする。しかし――。
(で、でも、やっぱり羽奈、お前がいてくれないと、俺は……)
(仕方ねえなあ、随分と不甲斐ない兄貴になっちまったもんだ)
やれやれとかぶりを振る親父。すると、さっと羽奈の頭上に手をかざした。俺に魔力炉とファントムを授けてくれた時と同じだ。
たちまち羽奈の姿は光に包まれ、そしてすぐに元に戻った。
(親父、今のは?)
(羽奈が現界にいられるようにしたやったのさ。お前となら、魔力炉を通じていつでもテレパシーで会話ができる。これならいいだろう、シスコン翼?)
(ぶふっ⁉)
親父の斜め上を行く発言に、俺は身体をくの字に折った。
(だっ、だだだ誰がシスコンだ!)
(お前しかいねえだろう、翼。んじゃ、俺はそろそろ魔界に戻る。翼、お前はゆっくり休め。羽奈は……そうだな、兄貴が無茶しないように、見張り番でもやっててくれ)
(分かったよ、お父さん!)
(見張り番って……。はあ)
(じゃあな、またいつでも遊びに来いよ)
肩を落とす俺の前で、親父は踵を返し、ふっと消え去った。どうやら彼もまた、意識だけを現界に投影していたらしい。
(それじゃお兄ちゃん! 意識体と本体は、一緒にいた方が回復しやすいんだよ! ささ、早く身体に戻って!)
(お、おう)
(話したい時は、テレパシーで念じてくれればいいから!)
そう言う羽奈に背を押され、俺は仰向けになって、そのままゆっくりと傷だらけの身体に戻った。
※
しばしの間、俺の記憶は跳ぶことになった。
気づいた時には、大方の負傷は痣程度になり、痛みは引いていた。それを自覚しながらゆっくり目を開けると、
「ここは……」
初めて見上げる天井に、俺はしばし逡巡する。最早軽傷といってもいいくらいだから、一般の病院に移されたのだろうか。
軽く痛みを訴える全身の節々。その感覚を意識しながら、上半身を起こす。四方はカーテンに囲まれているが、何となく雰囲気は掴める。やや古いが、清潔な病室。周囲の静けさから、個室であることが分かる。
それと同時に、来客があることに気づいた。
「黒木さん? ええ、もう起きてると思いますよ」
女性の声。俺についてくれている看護師だろう。ノックに続き、『黒木さん、入りますよ』という呼びかけがある。
「ええ、どうぞ」
意外なほど、俺の声ははっきりしていた。
「失礼します」
「失礼しまーす。あっ、聡、大丈夫?」
「ああ、平気だ」
「ほら、璃子もちゃんと挨拶しなきゃ!」
「……失礼します」
数人分の足音。それに、床を固いもので打つコツン、コツンという音が混ざる。
俺は音の方に顔を向け、カーテンが引き開けられるのを待った。ささっと音がして、見舞いに来た人物たちが現れる。聡、遥香、それに璃子だった。
「お見舞いに来たよ、翼。大丈夫? ほら、これ」
「あ、ああ」
最初に言葉を発したのは、遥香だった。彼女が差し出した籠には、林檎山盛りになっている。
「思ったより元気そうだな」
「おう、聡。お前も来てくれたのか」
と言って、俺は思わず息を飲んだ。
「聡、お前の方こそ大丈夫なのか?」
聡はといえば、額にバンダナのように包帯を巻き、頬には絆創膏がいくつも貼っている。腕にも力が入りきらないようだし、何より片足が完全に脱力している。松葉杖が痛々しさに拍車をかけていた。
「僕は、まあ。完治しないわけじゃないからな」
すると、彼の背後で話し声がした。こそこそしている。俺にかけられた言葉ではないようだ。
「……ほら、璃子。あんたが言い出したんでしょ」
「うん……」
何かを察したように、聡が俺のそばを離れる。そこに歩み出てきたのは、璃子だった。
「翼くん、今まで本当にごめんね。あなたを腫れ物みたいに扱って……。電話だけじゃ謝り切れないと思って」
「ん」
俺は何と言ったらいいのか分からない。『気にするな』と言うのは簡単だが、ある程度の隠し事をしたままで告げるには、無責任すぎる言葉だ。
「そう、だな」
俺はじっと天井の一点を見つめ、しばし黙考した。ここは正直に言うしかあるまい。
「確かに、クラスで皆に拒絶された時はショックだったよ。でも、もういいんだ。俺には守りたい人がいるから」
「守りたい人?」
微かに目を見開く璃子。俺は視線を合わせ大きく頷いた。
「皆が仲良くしてくれるなら、それに越したことはない。だけど、皆に無理はしてほしくない。一人一人が、自然に俺を捉えてくれればいいよ」
『ありがとう、璃子』と告げると、璃子は小さく頷いた。その時、
「ああ、あなたも黒木くんにお見舞い? ええ、大丈夫よ」
先ほどの看護師の声がする。がらりとドアが開く。そこに立ったいたのは、学校の制服に身を包んだ夏鈴だった。
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