第5話

 バルルルルルルルッ、という鋭い音が響き渡った。耳をつんざくような音。これが機銃掃射に伴う轟音なのか。俺は一時的に聴覚が麻痺してしまった。


 波崎は俺の双眼鏡を指差し、覗き込むような動作をしてみせた。俺に、地面を見下ろしてみろと言いたいらしい。

 全く、一体何が起こっているんだ。俺は再び振り返り、狭い窓から視線を下げる。そこには、先ほどの白い物体がいて、しかしあっという間に砂埃を被っていくところだった。噴水のように舞い上がる砂埃、そして草木。

 やや開けた場所に出てきた白い物体は、今度こそその容貌がよく見えた。


 四足歩行動物だ。前足も後足もがっしりして、肩を張っているようにも見える。

 長い尻尾に、大木を横倒しにしたような太く強靭な体幹を持っている。顔のあたりの造作は判然としないが、舌をちらちら覗かせているのは分かった。


 そうか。こいつは爬虫類の化け物だ。敢えて実在の動物に喩えるなら、コモドオオトカゲ。動物ドキュメンタリー番組でよく見かける、世界最大級の陸上爬虫類。


 しかし、こいつの特徴はそれだけではない。デカい。とにかくデカい。頭部から尻尾の先端まで、十メートル近くはありそうだ。

 恐竜の生き残りとも称されるコモドオオトカゲだが、これではまるっきり恐竜である。怪獣と言ってもいいかもしれない。


 そんな標的に、情け容赦なく弾雨が叩き込まれていく。先ほどから濛々と立ち昇る砂煙。その時になって、俺はようやく自分たちがどういう立場にいるのかを理解した。


 俺たちのヘリ部隊は、四機編成だ。一機目、エコー1は先遣隊。怪物の姿を捉える。エコー2とエコー3が本命の攻撃機で、空中で静止することなく、怪物の上空をゆっくり回転しながら機銃弾を撃ち込んでいる。恐らくアパッチだろう。

 最後に、俺たちの乗っている人員輸送ヘリ。こちらの機種は、おそらくチヌークか。理由はまだ判然としないが、恐らくは俺に怪物の姿を見せつけるために、戦闘空域を飛んでいるのだろう。


《エコー0、上昇しろ。奴の射程には絶対に入るな》

《了解》


 俺は自分が、いつの間にかヘッドセットを装着されていることに気づいた。同じキャビンにいるとはいえ、この爆音の中ではまともな会話は成立しない。

 だからわざわざ、ヘッドセット越しに会話しているのだ。ああ、エコー0というのがこのチヌークのことか。


 俺は息を飲んで、眼下の戦闘を見守った。淡く白く輝く怪物の姿は、草木の間からもよく見える。そこに弾丸――人間相手なら一瞬でバラバラになるであろう凶弾が、これでもかと言わんばかりに降り注ぐ。


 しばしの間、土煙で怪物の姿はぼんやりと靄がかかった。だが、この夜闇に真っ白、それも薄っすらと輝いているので、怪物がずっと動き回っているのは見て取れた。

 って、待てよ。俺はヘッドセットのマイクを口元に遣り、叫んだ。


「おい、これ効いてないんじゃないか?」


 無言の波崎。


「あいつは一体何なんだ? まともな生き物じゃねえよな?」


 すると、やはり俺の質問を無視して、波崎はエコー1と通信した。


《こちら波崎、再度確認するが、民間人の避難は完了しているな?》

《はッ、確かであります》

《全機、誘導弾の使用を許可する。ただしここは山岳地帯だ。焼夷弾は使用するな》


『了解』という返答が、エコー2、3から返ってくる。その直後のこと。


「んっ?」


 俺は窓の外、怪物の姿に釘付けになった。口を大きく開いている。しかしそれは、目の前のものを捕食するためではない。殲滅するためだ。

 何故それが分かったのか? それは直感としか言いようがない。強いて言えば、殺気を感じたのだ。

 怪物が息を吸い込むようにして、のっそりと後足で立ち上がる。そして見えた。口内で、青いスパークを纏った真っ黒な球体を生成しているのが。


《目標より魔力反応!》

《エコー2、3、上昇し退避せよ!》


 しかし、この波崎の言葉に、今度は『了解』とは返ってこなかった。ゴウッ、という重い風切り音と共に、怪物の口から球体、魔弾が発せられたのだ。

 それは、寸分たがわず、チヌークのやや下方を飛行していたアパッチを直撃した。突然昼間になったかのような爆光が、一瞬空を染め上げる。


《エコー2、撃墜されました!》

《止むを得ん、我々も降下する。総員、対魔物用戦闘準備! 近接戦闘に備えろ!》


 波崎の声が響き渡る。そこに含まれた一言に、俺は違和感を覚えた。『魔物』とは一体何だ?


《波崎よりパイロット、着陸可能地点は?》

《ここから二百メートル先、開けた土地があります》

《了解。我々はそこに降下する》


 すると、その言葉を待っていたかのように、戦闘員たちは肩の高さのラックから自動小銃を取り外した。

 警察や軍隊が使っているものより、だいぶ太い印象を受ける。ああ、そうか。通常弾の発射口に合わせ、小振りの榴弾発射機もついているのか。


 既に弾倉が装備されていた自動小銃を手に、ガシャリと初弾を装填する戦闘員たち。波崎も同様だ。

 その光景を見ていた俺の鼓膜を、バシュン、バシュンという発射音が震わせた。


 すぐさま振り返り、窓に頬をくっつけるようにして見ると、アパッチがミサイルを発射するところだった。連続して放たれる、橙色の光弾。着弾したそれらは、一瞬眩い光を発したが、すぐに黒煙に切り替わる。


「す、すげえ……」


 呆然とする俺。こんな戦争みたいなことが、日本で起きているとは俄かに信じられない。

 しかし、信じるしかない。これは劇でも映画でもないのだ。

 試しに自分の頬をつねってみる。痛い。どうやら夢でもない。


 しかし、ミサイル攻撃をさらに上回る衝撃的光景が、俺の目に飛び込んできた。

 怪物が、跳んだ。思いっきり跳躍し、アパッチに噛りついたのだ。


「ッ!」


 あれだけの機銃掃射とミサイル攻撃に耐えきった、ということか。そしてあの跳躍力。まさに怪物だ。

 真正面から牙を突き立てられたところを見るに、パイロットは即死だろう。一瞬空中で止まったように見えた怪物は、すぐに重力の為すままに落下。地面に叩きつけられたアパッチからは、真っ赤な炎が噴き上がり、夜空を照らし出した。


《エコー3、撃墜されました!》


 チヌークのパイロットが叫ぶと同時、波崎が吠えた。


《全員降りろ! 対魔用の榴弾は余るほど持っていけ!》


 すると、やや乱暴な衝撃が臀部から伝わってきた。チヌークが着陸したらしい。後部ハッチが展開し、回転翼の風に吹かれながら、戦闘員たちが颯爽と降りていく。


「黒木くん、君はここで待て」


 俺にずいっと顔を近づけ、波崎が言った。


「残念だが、見学ツアーは終わりだ。我々はあの魔獣を駆逐する。君は民間人だ、ここを動かないでくれ」


 そうは言われても、一つ気になることがある。


「あの、『魔獣』って何ですか?」

「すまんな、説明は一段落ついてからだ。なるべく早急に片づける。いいな、黒木くん?」

 

 俺は頷くしかなかった。他の戦闘員たちが降りたのを確認しながら、波崎もまた自動小銃を手に、地面に駆け降りた。

 だが、あれだけの戦闘を見せられてしまっては、俺としても事実確認をしておきたい。

 ハッチが封鎖されないのをいいことに、俺はパイロットに気づかれないよう、こっそりとチヌークのキャビンを降りた。


         ※


 木々の隙間を、ゆっくりと歩いて抜けていく。チヌークの着陸場所から、怪物のいる空き地まで、そんなに離れてはいないはずだ。皮肉なことに、撃墜されたヘリから燃え盛る炎が、ちょうど視界を明るくしてくれた。


 やがて、最後尾を歩く戦闘員の背中が見えてきた。明るくなったとはいえ、恐怖心がなくなったかと言えば、そんなことはない。警戒を怠ってはいけないのだ、と戦闘員の背中が語っているように見えた。


 その直後。

 バシン! と何かが打ちつけられるような衝撃音がした。戦闘員を真似て、咄嗟に伏せる。

 顔だけ上げてみると、周囲の木々がへし折られていくところだった。そして、


「うわっ!」


 俺は再び頭を下げる。何かが前方から吹っ飛ばされてきて、それが木の幹を折りながらこちらに突っ込んだのだ。

 這ってそこから距離を取り、木の幹に叩きつけられた『何か』を見る。そしてすぐさま後悔した。


 吹っ飛ばされてきたのは、戦闘員のうちの一人だ。あの怪物にやられたに違いない。

 腰の部分から綺麗にくの字に身体を曲げ、頭部から足元まで裂傷だらけ。口元からは、どくどくと鮮血が溢れ出ている。最早絶命しているのは確実だろう。


「撃て! 互いを援護しながら銃撃しろ! 榴弾用意!」


 波崎の大声が木霊する。それに呼応するように、銃声が響き出したのは直後のことだ。

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