第24話【第五章】

【第五章】


 結局のところ、俺はまたベッドに横たわっていた。

 クラスでは暴力者扱いされ、夏鈴とは仲違いし、そして羽奈は俺の手の届かないところに行ってしまった。失うものは何もない。


 意外なことに、涙は出なかった。うつ伏せになった俺は、完全に四肢を脱力させ、クーラーに冷やされるがままになっていた。視界も焦点が定まらず、何も見えていないのと同義。


 スマホが鳴っている。ふと目を上げ、やっとのことで焦点を合わせた。スマホに手を伸ばすが、手先は空を掴む。自分の身体じゃないみたいだ。


 何とかスマホを握りしめた。やたらと眩しい。そう思っていたら、日がだいぶ傾いてきていた。

 俺はスマホをのっそりとした動きで引き寄せ、誰からの通話なのかを確認した。

 まさか、夏鈴だったとはな。


「もしもし」

《翼、落ち着いて聞いて》

「落ち着いてる」


 いや、『落ち込んでる』の間違いか。


《紅野さん、紅野遥香さんが、魔族に誘拐された》


 俺は自分の両眉が引っ張り上がるのを感じた。


「遥香が? 生きてるのか?」

《そうでなかったら、誘拐する意味がないだろう?》


 確かに。


「悪いが、俺にはもう何もできねえぞ。あんたら現界の連中にも、魔界の魔族共にも飽き飽きしてるんだ。お前と波崎隊長たちでどうにか片づけろよ」

《語弊があった。人質は二人》

「二人?」


 僅かに言い淀む気配の後、夏鈴はこう言った。


《多田島くんが……聡くんが後を追ったらしい。一人で》

「何?」


 今日一番の驚きだった。上半身を起こし、身体を回転させて足をベッドから下ろす。


「どうして止めなかったんだ?」

《二人で連れ添って教室を後にしたから。私は学校周辺の警備状態を確かめるのにバタバタしていて、二人がいなくなったのに気づかなかった。状況からして、遥香さんは聡くんの目の前で誘拐されたようだ》

「それを聡が追っかけた、って?」

《ええ》

「あの馬鹿!」


 俺は思いっきり拳を枕に叩き込んだ。

 だがその瞬間に、俺は自分の身体に力が漲ってくるのを感じた。きっと、聡に共感した部分があったのだろう。

 大切な人を守りたい、別れたくないという気持ちが、彼を動かしたに違いない。

 そんな彼の行動を、俺は否定しきれずにいた。となれば、やることは決まっている。


「俺もお前らに合流して、聡と遥香を救出する。うちの前に車を回してくれ」

《えっ、大丈夫なのか、翼?》

「協力しないと言ったが、前言撤回だ」


 俺はすっと息を吸い、言った。


「俺と同じ境遇の人間を、これ以上作りたくない。それに聡と遥香は、俺と夏鈴が責められている時も弁護しようとしてくれていたからな」


 そう。思い返してみれば、あの二人はクラス中央で、戸惑いながらも皆を鎮めようとしてくれていたのだ。借りがある。


「俺はこの前と同じようなスポーツウェアで構わないな?」

《ええ》

「よし、準備する。急いでくれよ」


 俺はスマホの通話終了ボタンに触れようとして、呼び止められた。


《翼》

「何だ?」

《ありがとう》


 それだけ聞いてから、今度こそ俺は通話を切った。

 馬鹿野郎、感謝の言葉なんてのは、二人を救出してから言えってんだ。


 俺は自分でも信じられないほどの機敏さで、着替えを終えて玄関前に待機した。


         ※


 車はすぐさまやって来た。いつも通り後部座席のドアが開く。そこには夏鈴が、完全武装をした上で乗っていた。


「翼、早く!」

「ああ!」


 ドアが閉まるや否や、車は発進。薄暗い車内で、俺は背中をシートに押しつけられる。


「聡や遥香がどこにいるのか、分かってるのか?」

「壇ノ浦二佐がすでに特定した! 隣町にある裏山だ! 魔力反応が増大している!」

「分かった。敵の規模は?」

「反応が増大中だから、今は何とも言えない。だが、翼が最初に遭遇した魔獣、コモドオオトカゲ数体分の魔力だ!」


 俺は思わず、うげっと潰れた声を上げた。

 最初の魔力戦となったあの時、俺はビビリにビビっていた。あれと同じ体験をするのは、正直勘弁願いたいところである。だが。


「翼、大丈夫か?」

「もちろん。あの二人には借りがあるからな」


 それを聞き、夏鈴がふっと笑みを漏らす。

 

「俺もいろんな戦いをして、魔力のバランスが取れるようになってきてるんだ。俺が斬り込むから、夏鈴たちCSの戦闘員は周囲の雑魚の相手を頼む」

「了解。波崎隊長に伝える」


 道路封鎖が行われていた関係で、車はあっという間に件の裏山に到着した。既にCSの先遣隊が山に入り、上空には十機近い監視・観測ヘリや戦闘ヘリが飛び交っている。


 俺たちは車を降り、臨時の作戦指揮所となっているテントに足を踏み入れた。


「如月三尉、入ります」

「く、黒木翼、入ります」


 軽く腰を折ると、波崎が頷いた。彼は何も言わずに、俺の肩を軽く叩いて、テント中央へと俺をいざなった。そこのテーブル上には地図があり、対面にはダンの姿もある。

 現状説明を開始したのはダンだった。


「よく来てくれた、翼くん。で、早速だが――」


 先遣隊と監視ヘリの情報を統合し、ダンはテンポよく説明を進める。


「コモドオオトカゲの亜種と思われる魔獣が三体、それにワームホールを展開可能なだけの魔力反応が頂上付近に見られる。凄まじい数値だ」

「魔獣の方は、俺が片づけます」


 その一言に、驚きの波が広がった。波崎やダンのみならず、テント内の周囲の戦闘員にも。


「自信はあるんだな?」


 波崎は腕を組み、じっと片目で俺を見つめてくる。俺は応じるように、大きく頷いた。

 その時、無線通信が入った。


「こちら本部、どうぞ」

《こちら先遣、目標位置を確認。送信し、直ちに撤収します。どうぞ》

「本部了解」


 すると、ただのテーブルだと思っていた台が光を帯びた。いくつかの赤い点が、地図上に現れる。


「これは……」

「地図に連動した、敵性地域の監視システムだ」


 驚く俺に、夏鈴が告げる。早い話、今の先遣隊の報告にあった魔獣の位置が示されているらしい。


「聡と遥香の位置は?」

「まだ分からんな」


 俺の問いに、口をへの字に曲げる波崎。


「だが、魔獣に人質を取るほどの知性はない。三体の魔獣を倒して、さらに進んでみるしかないだろう」

「了解」

「了解」


 俺と夏鈴は、声を合わせて答えた。

 その直後、先遣隊撤収完了との報告が入った。


「よし、皆聞いてくれ」


 波崎は襟元のマイクに声を吹き込む。


「今から敵性勢力図を、各員のバイザーに転送する。各自把握してくれ」

「あ、あの」


 俺が慎重に声をかけると、波崎の代わりにダンがこちらを覗き込んだ。


「どうかしたかね、翼くん?」

「俺はヘルメットなしでもいいですか。動きづらいし、魔獣と本気でやり合うなら、ヘルメットの有無は重要じゃありません」


 ダンはちらりと波崎の方を窺った。通信を続けながら、頷く波崎。


「隊長の許可が出た。取り敢えず、ヘッドセットだけは付けていくことを勧めるが、どうかね?」

「分かりました」


 テントを出ると、新調装備に身を包んだ戦闘員たちが整列していた。ざっと三十名はいるだろうか。一人一人が大振りの自動小銃を手にしている。


 波崎が前に歩み出て、全員に敬礼した。返礼されるのを待って手を下ろす。


「情報と作戦概要は既に伝えた通りだ。今回の目的は、第一に民間人二名の救出、第二に魔獣の駆逐である。各員の奮闘を期待する」


 ザッ、と地面の擦れる音と共に、再び全員が敬礼する。


「如月三尉」

「はッ」

「黒木翼の近接支援の任を命ずる。彼もまた民間人だ。何としてでも守ってくれ」

「はッ!」


 最初よりも勢いのある敬礼。それに頷いてみせてから、波崎は俺に目を遣った。


「頼むぞ、翼」

「はい!」


 こうして、紅野遥香、多田島聡両名の救出作戦が始まった。

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