第3話【第一章】
【第一章】
数分後、昇降口にて。
「おっそーい! 二人共何やってたの?」
俺と聡が下駄箱からスニーカーを取り出していると、剛速球のような声が飛んできた。しかし俺は、それを悠々とキャッチする。
「待たせた、遥香。璃子もすまん」
「ううん、平気だよー。遥香ちゃんがせっかちなだけだよー」
最初の声に比べ、かなりおっとりした口調でもう一人の女子が声を上げる。
昇降口の廊下側で、その二人が並んで立っていた。
一人目は、紅野遥香。やや長身で、長めのポニーテールが特徴である。裏表のない明るい性格で、高校入学時、最初に仲良くなった生徒の一人だ。帰宅部ながら、運動部の助っ人に呼ばれることは日常茶飯事である。
二人目は、杉林璃子。こちらは小柄で、セミロングの髪に眼鏡をかけている。遥香の幼馴染で、俺を友人として巻き込んだ遥香と共に、俺の友人となった。ちなみに我らが二年五組の学級委員長でもある。
聡、遥香、璃子、それに俺。これが一応、いつもの顔ぶれ、仲良し四人組というわけだ。
「先週バレー部の助っ人に行ったんだけど、あたし大活躍しちゃってさー! 相手校のボール、バンバン打ち返して、いつの間にかストレート勝ち! さっすがあたしだよね!」
「遥香ちゃんってば、朝からその話ばっかりだよー? 私、もう百回は聞かされたよー」
「まあめでたい話だよな」
俺が素っ気なく言って目を逸らすと、
「ちょっと聡! あんたも聞いてよ、あたしの活躍!」
「お、おう」
ガタイに似合わず、やや小心者なのが聡の面白いところだ。そのギャップに惹かれる女子も少なくないとか。もっとも、彼には意中の女子がいる。そいつは、よりにもよって目の前で自分の活躍ぶりを喧伝している。人の恋路に口を挟む気はないが、まあ、面白い人間関係図ができているな。
「ってなわけで、本校バレー部の快勝を祝して! 美味いもん食べて帰るよ! ま、奢ってあげるつもりはないけどね! れっつ・ごー!」
「あ、待ってよ遥香ちゃん!」
「僕も一緒でいいのかな……?」
女子二人の背中を見つめながら呟く聡の肩を叩き、俺は無言で歩み出した。
※
駅前のファミレスにて。
俺たちは六人掛けのテーブルを一つ占拠し、他愛無い会話に興じていた。
話題を提供するのは、専ら遥香の役目。璃子がおっとりとした口調で返し、聡も楽し気に頷き、俺は俺で適当に口を挟んでいる。そこまでは、いつもの俺たちだった。
「ところでさあ、翼」
「んあ?」
安くて分厚いステーキを突いていた俺は、大口を開けたまま固まった。
「あんた、あの転校生と何かあった?」
「転校生?」
ああ、あいつのことか。
如月夏鈴。今年度になって転校してきた女子生徒。どうして三ヶ月経った今でも『転校生』と呼ばれてるのかというと、全くクラスに馴染もうとしないからだ。
ばっさりとしたショートカットに、小柄な体躯。璃子と同じくらいだろうか。整った顔立ちだが、いつも難し気に顔を顰めている。
何となく浮いてしまう存在というのは常にどこにでも存在するものだ。
夏鈴は、勉強はできるし、運動神経も抜群だが、人気者とはとても言えない。嫌味の対象にはされないまでも、よい話題に引用してもらえることもない。……小学校の頃の俺みたいだな。
「で、転校生が、どうしたって?」
俺はステーキを頬張りながら問うた。
「翼くん、ものを食べながら喋るのはお行儀が悪いよー?」
「いいって、璃子。そそ、転校生なんだけど、気づかなかった?」
「だから何だよ?」
ステーキを飲み込んでから、改めて尋ねる。すると、『だからさあ』と前置きして、
「あの転校生、帰り際にずーっとあんたのこと見てたよ? 睨んでた、って言ってもいいくらい」
「そ、そうなのか?」
俺は少しばかり狼狽えた。だって怖いんだもん、如月って。想像するだけでぞっとする。
何と言うか、あいつの存在は、そこに抜き身の日本刀があるような緊張感をもたらす。
「いや、だってさ――」
という言葉に続けて、思ったことを口にすると、
「それ、お前のことじゃないのか、翼」
ピザのチーズを切るように引っ張りながら、聡が呟いた。『どういう意味だよ?』と問い返そうとしたが、思い当たりがありすぎるので黙り込むことにする。その合間に、水を一口。
例えば、入学当初からこいつらとは同じクラスだったが、最初はビビらせてばっかりだった。特に聡は、俺が目を向けるだけで睨まれたと勘違いして、ピリピリしていたし。
まあ、それも昔の話で、今はそんなワルに見える俺のことをネタ要員として見ている様子だが。
「如月のことはよく分かんねえけど、まあ、遥香の言う通りだったとしたら、あんまり気分よかねえな」
「ねえ、翼くん」
「んあ?」
次に俺に声をかけてきたのは、璃子だった。
「如月さんと関係ないかもだけど、さっきは教室で何かあったのー? 聡くんと話してる時、顔色悪かったよ、翼くん?」
「ん、あ、ああ……」
こういう時の璃子の探りは深い。そしてしつこい。知的好奇心が旺盛だと言えば聞こえはいいかもしれない。が、単にゴシップ好きな気があるのは否定できない。一年ちょっとの付き合いだが、俺は璃子をそんな風に分析していた。
「まあ、皆食えよ。話はそれからだ」
※
それから約十五分後。
「あー、食った食った!」
自分の腹部をぽんぽんと叩く遥香。『遥香ちゃん、はしたないよー』と、璃子が注意する。
「気にしない気にしない! どうせあたしに色恋沙汰なんて関係ないからさ!」
俺の隣で聡が水を噴きそうになった。
「おい大丈夫か、聡?」
「あ、ああ……」
俺が聡の肩や背中を叩いていると、遥香がずいっと身を乗り出してきた。こいつ、何気にスタイルいいんだよな。軽く見下ろす形で遥香を見ていると、否応なしに胸元に目が行ってしまう。しかも夏服で薄着なものだから、薄っすらと下着の色が――。
おっと、俺が鼻の下を伸ばしてどうするんだ。
「で、何だよ、遥香?」
「何よ、心配してあげてるんじゃない! さっきのあんたの悪夢、だっけ? とにかく挙動不審だった、って話!」
「きょ、挙動不審って……」
酷い物言いだな。だが、遥香の隣で小動物のような瞳でこちらを見つめる者がいる。無論、璃子だ。こうなっては、話すしかあるまい。
「聞いてから後悔しても知らねえぞ? 俺だって、夢で済んで本当によかったと思ってるくらいなんだから」
「そんなあ、もったいぶらないでよー、翼くん」
俺はやれやれとかぶりを振って、夢の内容を語って聞かせた。後半、残酷な光景が展開されたことについては、話をぼかしたが。
「ふうん、そうかー。正夢にならないといいけどねー」
そう言ってから、璃子はメロンソーダのストローに口をつけた。
「あ、あのー、皆」
「ん? どうしたんだ、聡?」
おずおずと片手を上げる聡に、皆の目が集まる。
「僕たち、流石に長居しすぎじゃないかな……?」
「え? お前何言って――って、わあお」
時刻は午後九時を回っていた。四時間もたむろしていたのか、俺たちは。何だかこのファミレスに申し訳ないな。
「よし、俺も家で妹が待ってるだろうから、ちゃっちゃと帰ろうぜ」
「仕方ないねぇ」
「遥香ちゃんの家、門限厳しいでしょ? 私たちも帰ろうよー」
と、いうわけで、全員が席を立った。
俺は少しばかり席に残り、妹の羽奈にLINEで連絡を入れた。
「今から帰るぞ、っと……」
そうして席を離れた、次の瞬間だった。
「うおっ、いってえ!」
「あっ、すいません」
奥の席から歩いてきた人にぶつかってしまった。
「大丈夫ですか?」
「あぁん? 大丈夫ですか、だってぇ?」
げっ、こいつヤンキーか。鼻と耳にピアスをして、髪を鶏のとさかのように立たせている。
「おい、どうしたんだよ?」
もう一人のヤンキーが、一人目の背後から顔を出した。派手な銀髪を背中にまで伸ばし、片目に真っ赤なカラーコンタクトを入れている。
「このガキが突然飛び出してきやがってよぉ、足挫いちまった」
はん、嘘つけ。
「ありゃあ、そいつぁ見逃せねえな。あぁ? 兄ちゃんよ」
俺は思わずため息をついた。
こいつらが手を出してこないのは、恐らく俺が長身で目つきが悪いからだ。多少は警戒しているのだろう。ここで喧嘩するわけにはいかない、という思いもあるのかもしれない。
しかし、難癖をつけられて逃げ出せる状況でもない。
真っ直ぐにヤンキーたちを見つめ、どうしたものかと思案していると、
「ちょっとちょっとあんたたち!」
威勢よく声を上げたのは遥香である。一気呵成にまくし立てる。
「あたしは見てたんだからね! あんたらだって、スマホ片手に歩いてたじゃない!」
しかし、決定打に欠けるようだ。まあ、女子だしな。
「嬢ちゃんは引っ込んでな、怪我するぜ?」
そう言って、下卑た笑みを浮かべるヤンキー二人組。遥香は怯まなかったが、逆にこれ以上関わりを持たせるのは危険だ。
俺が遥香の腕を引き、下がらせようとしたその時、
「連れのもんが悪いことをしたな。すまない」
低く床面を震わせるようなドスの効いた声に、ヤンキーはぎょっとして顔を上げる。
俺には振り返らなくても分かった。聡が穏便に事を運ぼうとしているのだ。
聡の長身、それに肩幅や厚い胸板を見て、ヤンキー二人は目をパチクリさせた。
「わっ、分かればいいんだよ、分かれば……。邪魔したな!」
そう言うと、ヤンキーたちはそそくさと俺たちの横を通り抜けてレジに向かってしまった。
「ふう、助かったぜ、聡」
「気にするな、翼。僕だって、本当はお前が喧嘩に弱いのは知ってる」
はっきり言うなよ、そんなこと。
「ったく、何なのよあいつら!」
「気にしない方がいいよ、遥香ちゃん。夜も遅いんだし、早く帰ろ?」
璃子が遥香を宥めたところで、俺たちはさっさと店を出て、いつも通り駅前で別れた。
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