第11話

 慌てた俺は、逃げるべく立ち上がってしまった。すぐさま後方に倒れ込む。その滑稽な姿は、間違いなくカラスに捉えられたはずだ。

 戦闘員の胸元にくちばしを突き立て、止めを刺そうとしていたカラス。そのうち一羽が、ひょいっと赤く染まった顔を上げ、こちらに近づいてきた。

 最早飛行する必要すらない。そう思われていたのだろう。現に、俺の両腕には力が入らない。魔弾や魔線を使いすぎたのだ。


 意識が朦朧としてくる。そういえば、コモドオオトカゲを倒した直後もこんな感じだった。魔力を使いすぎたに違いない。


「くそっ……」


 せっかく上空にいたカラスを全滅させたというのに、最期がこんな様だとは。

 俺は後ずさりすることも叶わず、その場に大の字に横たわった。


 それでも、俺には一つの意志があった。言うまでもない、羽奈のことだ。ここで俺が死んだら、次は羽奈が戦いに駆り出される。それだけは、何としてでも避けなければ。


 残る力を総動員してカラスを倒すか、あるいは司令官たる波崎を殺すか。いや、波崎を屠るのは無理だろう。俺の力はほとんど残っていないし、そもそも、魔族や魔獣相手にしか通用しない力なのだ。


 再び悪態をつき、足をバタつかせる。カラスが寄ってこないようにするつもりだったが、効果は皆無。やはり、駄目なのか。


 五感が異常を感知したのは、まさにその直後だった。

 ドドドドッ、と地を揺らすような勢いで、装甲車が一台、横合いから突っ込んできた。

 跳躍したカラスのくちばしは、見事に装甲板に突き刺さる。

 幸いだったのは、低空にいたカラス共が、揃って俺を狙っていたことだ。装甲車の片側にくちばしを突き刺したはいいものの、抜くことができずに羽をバタつかせる。


 すると、運転席から小柄な人影が転がり出てきた。夏鈴だった。


「翼くん、すぐに木陰に入って! それから目を閉じて、耳も塞いで!」

「お、お前はどうするんだ⁉」

「この装甲車ごと、カラスの群れを吹っ飛ばす!」


 聞けば、この装甲車の荷台の片側は、動く弾薬庫として使用されているらしい。それで、装甲車を内側から爆破し、カラスをまとめて駆逐するという。

 そういうことなら、俺が手を下さずともカラスを倒し切ることができるだろう。随分と派手なやり方だが。


 俺に肩を貸すようにして、夏鈴もまた、木陰に避難した。

 

「翼、耐ショック姿勢は取ったな?」


 と、夏鈴が言ったような気がする。耳を塞いでいたのでよく分からなかったが、俺はぶんぶんと首を上下に振った。

 

「三、二、一、爆破!」

 

 と言って、夏鈴は手元のスイッチを押し込んだ。直後、巨大地震に揺さぶられるような凄まじい振動が、俺の全身を襲った。何か絶叫していたかもしれないが、それすら判然としない。

 振動はすぐに収まった。次に感知されたのは、異様な焦げ臭さ。それに、カラス共が焼け死ぬ悲鳴のような声も聞こえてくる。


 夏鈴はさっと立ち上がり、背中を木の幹につけたまま、装甲車のあった方を見遣った。

 俺も意識を集中してみる。どうやら、この周囲にはもう魔獣はいないようだ。

 夏鈴が俺を見下ろしてきたので、大きく頷いてみせた。

 すると、夏鈴は自動小銃を構え直し、カラス共にとどめを刺し始めた。そこには、波崎他数名の、命拾いをした戦闘員たちの姿も見える。


《状況終了。手の空いている者は、死傷者の運搬に備えろ》


 その言葉を聞いて、俺はどっと肩から力が抜けた。医療ヘリと幌付きトラック、それに救急車が十台近く集まってくるのに、五分とかからなかった。


         ※


 その日の午後、CSの本部にて。

 案の定俺は、わざわざ用意されたらしい一般車両に乗せられた。スモークガラスの入った、外が見えない車両だ。ひどく場違いにも思えたが、仕方がない。


 それはさておき、今はもっと大事なことがある。

 俺はCS司令官室にいる。波崎の居城だ。コンクリート打ちっぱなしの壁、床、天井に、装飾は何もない。天井の照明だけが、馬鹿に明るい印象を与える。


 俺は波崎の執務用デスクのわきにいた。ダンの隣だ。ただし、俺は疲労の度合いが強いということで、特別に椅子が用意されていた。

 有難いが、だったらベッドに収容してもらいたかった。しかし、こうやって事後報告会に参加するのも、生存者としての務めか。

 執務用デスクには波崎が腰を下ろし、その正面には、無表情に戻った夏鈴が立っている。


「答えてくれ、如月三尉。何故あんな無茶をした?」

「……」

「装甲車が一台、お釈迦になったんだぞ。申し開きはあるか?」

「……」

「それだけじゃない。お前の行動で、新たな死傷者が出る可能性もあったんだ。繰り返す。何故あんな無茶をした?」

「……」


 すると波崎はため息をつき、執務椅子にぐっと背中を預けた。


「珍しいな、夏鈴。貴様がこうも喋らないでいるとは。それほど黒木翼のことが大切だったのか?」


 その言葉に、夏鈴の頬が微かに痙攣する。

 そして、僅かな間を持って、夏鈴は語り出した。


「波崎隊長。彼は自衛隊員ではありません。民間人です。救助のために、銃器や装甲車といった資材の損失を勘案すべきではないと考えます」


 要するに、使えるものは何でも使って、俺を救うべきだったということか。


「そう言うか。反論の余地はないな。了解した。報告書はしっかり書くように。以上だ」


 さっと波崎が敬礼するのに合わせ、夏鈴も返礼する。


「それでは、失礼致します」


 くるりと身を翻す夏鈴。その時、微かに目が合ったような気がする。ついて来い、とでも言いたいのだろうか。


「ダン、翼、君たちも下がってくれ。話は終わりだ」

「は、はい」


 俺は深々と一礼し、大股で司令官室をあとにした。


         ※


 俺は重い身体を引きずるようにして、廊下を歩いていた。

 司令官室のすぐ外では看護師が待機していて、俺に休むよう勧めてくれた。しかし、その前に話しておきたい人物がいる。


 その人物、如月夏鈴は、背筋をピンと伸ばしたまま、さっさと歩を進めていた。


「ま、待ってくれ、夏鈴!」


 夏鈴が俺を振り返る。その距離、約十メートル。


「どうしたんだ、翼? 休むよう指示があったはずだが?」


 訝し気に小首を傾げる夏鈴。


「私はシャワーを浴びて準待機任務に移る。翼は、私と一緒にシャワーを浴びたいのか?」

「ぶふっ!」


 全く以て唐突な天然発現に、俺は盛大に噴き出した。

 一緒にシャワー? そんなわけなかろう。そう否定したかったが、思わず想像してしまった。

 学校でもCSの活動中でも、あまり夏鈴の姿をまじまじと見る機会はなかった。

 だが今こうして見てみれば、夏鈴は相当な美少女である。

 すっと通った鼻梁や、ぱっちりとした瞳、防弾ベストの下で苦し気にしている胸など、見どころ満載――。


「って何を考えてるんだ俺はッ!」


 俺は自分で自分をぶん殴ってやりたかったが、上手くいかずに半回転してぶっ倒れた。


「おい大丈夫か、翼? なんなら背中を流してやってもいいんだぞ?」

「いっ、いえ! 大丈夫です結構です!」

「ふうん?」


 無理やりだが、俺は話題を変えることにした。


「ところで夏鈴、お前、なにか懲罰を喰らうようなことはねえよな?」


 眉根を寄せる夏鈴。何が言いたいんだと問いたげだ。


「波崎隊長が、お前に罰則を課すようなことはねえんだろ? 俺を、民間人を守るためだったんだから」


 俺が夏鈴の、先ほどの理屈を繰り返す。すると夏鈴は『それはそうだ』と一言。


「夏鈴、ちょっと」


 俺は急ぎ足で夏鈴のそばを通り過ぎ、近くの自販機までいざなった。


「今朝、電話で言ってたことは本当か? 妹を……羽奈を戦いには巻き込まずにいてくれるって話」

「ああ、もちろんだ」


 淀みなく即答する夏鈴。


「仮に俺が死んでも、その約束は継続か?」

「当たり前だろう!」


 夏鈴は珍しく声を荒げた。


「仮にも私は、お前を同行させることにすら反対したんだぞ。今日の作戦に」

「そ、そうなのか?」


 すると、夏鈴の顔にふっと影がよぎった。


「私にも弟がいたからな。年下の家族を守ろうとする翼の気持ちは、分かっているつもりだ」

「それは……知らなかった」


 あまりこの話題に触れてはいけない。そう俺は直感した。


「なあ夏鈴、命を救ってもらっといて何だけど……。缶ジュース奢らせてくれよ」


 すると、夏鈴は首を傾げて


「翼、お前は朝からずっとそのスポーツウェアを着ていただろう? 財布はあるのか?」

「あ」


 やれやれと首を振りながら、夏鈴は防弾ベストの腰のあたりからカードを取り出した。


「今日は私の奢りだ。何でも好きなものを選んでくれ」


『と言っても、全部同じ値段なんだが』。そう言って、夏鈴は少しだけ表情筋を緩めた。

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