第8話

「は? ……は、ははっ、はははははははっ!」


 俺はわけも分からず笑い出してしまった。

 人間、極限の恐怖や驚きの事実を突きつけられると、つい笑ってしまう。そんな話を、テレビで見聞きした覚えがある。まさかそれを自分で経験することになるとは、思ってもみなかったけれど。


 ダンに対して失礼だとは思いながらも、自分で腹筋を制御することが叶わない。身体を折って、バンバンとそばのデスクを叩く。炭酸飲料の入った缶が落ち、床にぶつかって高い音を立てた。


「気持ちは分かるよ、翼くん。そんなリアクションを取ってしまうのも無理はない」


 ダンさえも笑っているように見える。本当に笑っていたのか、俺の目が涙で歪んでそう見えたのか、それは分からなかった。

 だが、俺が極度の混乱に見舞われていたのは本当だ。だって、


「俺が魔王の息子、だって? そんな馬鹿な! 魔王なんて、いるかどうかもまだ信じられないってのに、それが俺の父親だって? あり得ないですよ、そんなこと!」

「ふむ。それは道理だな」


 ダンは顎に手を遣り、口元を緩めた。が、その目に喜びの色はない。淡々と、いや、冷徹に俺を見つめている。

 俺は正気に戻り、再びダンと目を合わせた。すると、ダンもまた無表情を顔面に貼りつける。


「逆に訊こう。もし君が、ただの現界の少年だったとしたら、どうしてあれほど巨大な魔獣を一撃で倒すことができたと思う?」

「そ、それは相手が弱かったから……?」

「いいや」


 さっと首を左右に振るダン。

 彼の言わんとするところは、否応なしに察せられた。戦闘ヘリの機関砲やミサイルをことごとく無効化するほどの敵を、『ただの』少年風情が一発で仕留められるはずがない。

 落ち着いて考えてみれば、確かに俺はイレギュラーだ。


「まあ、見てもらっても分からないかもしれないが」


 そう言って、ダンは床に置いたリュックサックからノートパソコンを取り出した。とても薄いのが印象的だった。

 パソコンを展開し、パタパタとキーボードを叩くダン。それから『これだ』と言って、ディスプレイをこちらに向けた。


 そこに映っていたのは、赤、青、黄色の三色と、その中間色で構成された映像だった。


「エコー1、つまり先遣隊のヘリが上空から撮った映像に、特殊な処置を施したものだ」


 なるほど、地形がグラデーションを成して表示されているのか。

 しばらくの間、映像は上へ上へとスクロールしていく。するとその中に、真っ白い光源が現れた。


「こいつが今回、君が駆逐した魔獣だ」


 俺はごくっと唾を飲む。すると、白い光源から、同様に白い円が分離し、下方を移動中だったヘリを直撃した。ああ、これが魔獣が口から放った光弾か。同時に『LOST』の表示が出る。撃墜されたことを表しているのだろう。


 真っ赤な線が、アパッチと思しき影から放たれる。あれはミサイルか。だが直後、魔獣を表す白い光源はぬるり、と滑らかに自身を波打たせ、跳躍した。それからより黒に近い赤色が輝き、再び『LOST』。


 それからしばらく、魔獣は暴れ回っていた。しかし唐突に、画面の隅から謎の光点が現れた。銀色に輝いて見えるように処理されている。


「これが君だよ、翼くん」


 俺は言葉もなく、その銀色の光点と、白い魔獣の挙動に見入った。銀色の光点は、しばらく画面下方を行ったり来たりしていた。その後、これまた唐突に、ぶわっと眩い光を帯びた。


「翼くんの攻撃だ」


 そうダンが告げるや否や、白い魔獣は一瞬でその姿を消した。今度は『TERMINATED』の表示が出る。抹殺、か。


「ここまでが、君に見せたかった映像だ」


 そう言って、ダンはパソコンをリュックサックに戻した。

 気づけば、俺は身をよじってベッドの柵を握りしめ、食い入るようにしてダンのパソコンを注視していた。

 突然パソコンが仕舞われたので、一瞬自分が何を見ていたのかと当惑する。目の焦点が合わない。

 数回瞬きを繰り返して、再びかぶりを振り、ようやくダンの顔に視点を合わせることができた。


 俺が黙り込んでいると、ダンは教え諭すような口調で語り出した。


「もちろん、この映像がフェイクだということもできる。そもそもこんな映像はなかったんだ、と言い張ることもね。だが、生憎我々には、そうやって君を騙す動機がない」

「つまり、えーっと、その、俺は魔王の息子だから、こんな力が出せたんだ、と?」

「ふむ」


 髭のない顎に手を遣るダン。癖なんだろうか。


「君の洞察力は大したものだ。ということは、我々が君に何を頼もうとしているか、分かるね?」


 どこまでも優しい口調で話を進めるダン。つまり、


「俺にこんな魔獣共と戦え、って言うんですか」


 今度は無言で、ダンは頷いた。


「君には才能がある。そして、むざむざ有能な戦闘員が大勢死傷していくのはいかんともし難い。分かってくれるだろう?」

「ふざけんな!」


 俺はブランケットを跳ね除け、勢いよくベッドから降りた。喧嘩や争いごとを嫌う俺にしては、我ながら珍しいことだと思う。


 すると、ダンは眉を下げて、痛ましいものを見るような目で視線を合わせた。俺の怒りも削がれてしまう。


「なっ、何だよ?」

「これは私に決定できる事項ではない。それは理解した上で聞いてもらいたいのだが……」


 そう言ってダンは額に手を遣り、肩を上下させて息をついた。それからまた俺を見遣る。


「戦えるのは、君だけではない。魔王の血を引く者はもう一人いる。分かるね?」

「そんなの、分かるわけが――」


 と言いかけて、脳天を貫かれるような衝撃が俺を襲った。


「お前ら、まさか……!」

「黒木羽奈さん。彼女に助力を求める」

「ッ!」


 ダンは平板な口調でそう言いきった。そして俺が気づいた時には、床にダンが倒れていた。


「ほ、ほう、いいストレートじゃないか」


 その言葉と前後して、ガタン、と丸椅子の倒れる音が響く。

 俺は声にならない音を喉から発した。

 ダンは左頬を押さえている。唇を切ったようで、僅かに赤いものが見え隠れしていた。


「お、俺、人を殴るなんて……」

「他人に暴力を振るったのは初めてか?」

「いや、そういうわけじゃ」


『そういうわけじゃない』と言おうとしたが、確かに記憶にある限り、人を出血するほどの強さでぶん殴った経験はない。

 しかしたった今、俺の眼前には、俺に殴られて血を流している人がいる。まさか、自分が魔王の息子だと聞かされて、何らかの力を発揮してしまったのだろうか。


 呆然と佇む俺の前で、ダンは『よっこらしょ』と言って立ち上がり、丸椅子を元の位置に戻した。


「す、すみません、大丈夫です、か……?」


 切れ切れになりながらも、言葉を紡ぐ俺。


「いやいや、気にしないでくれ。君の妹さんを人質に取ろうとした私の、私たちの落ち度だ」


 鷹揚に右手をひらひらさせながら、さも何でもないことのようにダンは言う。


「だが、君さえ戦ってくれれば、無用な犠牲を出さずに済むことは本当だ。よく考えてみてほしい。私から言えるのは、精々このくらいだな」


『何かあったらナースコールを使ってくれ』と言い残し、ダンは悠々と去っていった。ぶん殴られて出血したというのに、気楽なものである。


「はあ……」


 俺は額に手を当て、俯いて黙考した。が、右手の拳に、僅かに血が付いている。この期に及んで、俺はぞっとした。

 もしかしたら、俺には戦闘行為に対する特性があるのかもしれない。戦うことが得意なのかもしれない。


 それでも、争い事に巻き込まれるのは真っ平ご免だ。そう言いたいところだけれど、ダンは結局、『羽奈を戦いに巻き込むつもりはない』とは明言してくれなかった。これではやはり、羽奈は人質である。

 こうなったら、俺が戦うしかないのか。


 などなど考えながら、十数回目のため息をついた時だった。個室のスライドドアのセンサーが起動し、合成音声が流れた。


《陸上自衛隊退魔特殊部隊『クリーン・シールド』所属、如月夏鈴三尉が参りました。入室を許可しますか?》

「え?」


 どうやって指示を出したらいいのか分からず、戸惑ったものの、俺は結局『ああ、許可してくれ』と天井に声を上げてみた。


《かしこまりました》


 と告げる合成音声。

 すると、しゅるり、とドアの滑る音がして、見慣れたしかめっ面が入ってきた。骨折でもしたのか、右手を吊っている。


「黒木翼さんですね」

「あ、ああ」


 すると、夏鈴は左手で敬礼し、淡々と所属と名前、階級を述べた。合成音声の述べた通りだ。

 何をしに来たのかと訝しく思っていると、向こうから問いかけられた。


「お身体の具合はいかがですか」

「ああ、平気だけど……。ダン博士は?」

「軽傷です」

「あ、そ、そう」


 俺は大人しく頷いた。そうか、夏鈴って、こんな事務的な話し方をする奴だったんだ。

 すると、ピシッと踵を合わせ、腰を四十五度に折った。


「ど、どうしたんだよ、突然?」

「先ほどの戦闘では、自分の窮地を救ってくださり、ありがとうございました」


 その声はハキハキとしてキレがあり、しかし体温を感じさせない冷たい感触を与えた。


「いや、そんな! 顔を上げてくれよ。俺だって無我夢中で、何があったかよく分かってねえんだ」


 夏鈴はすっと顔を上げ、ビー玉みたいな目で俺と視線を合わせた。


「あなたが戦ってくださらなければ、我々は全滅していました。魔獣による被害も大きくなっていたでしょう。感謝致します」


『では、私はこれで』。そう言って、夏鈴はさっさと退室した。わざわざ礼を言いに来る必要なんてなかったのに。だが、確かに俺は、一つの命を救ったのだ。それだけは紛れもない事実である。


 少しだけ、胸の奥が温まるような感じがした。

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