第20話
※
会議室の構造は、テレビでよく見る半円形のものだった。
大学の講義室のように、半円を描いているのだ。後方の席ほど高くなるように段が分けられている。
しかし、議論が始まる前から、会議室の状況は酷いものだった。
その一角には、カマキリよりも前の戦闘で負傷した戦闘員たちがいた。腕を吊ったり、額に包帯を巻いたり、松葉杖を突いたり。
それだけでも痛ましいのに、そばには泣き崩れている一派がいる。その周囲で、軽傷の戦闘員たちが慰めの言葉をかけている。きっと、友人や恋人をカマキリ戦で喪ったのだろう。
俺は思わず、顔を逸らした。
「こっちだ、翼」
夏鈴にいざなわれて行った先は、会議室の最前列だった。きっとこれ以上、悲惨な光景が俺の目に入らないように、という配慮からだろう。
波崎とダンが入ってきたのは、まさにその直後のことである。
《一旦席に着いてくれ、諸君》
マイクを通して、波崎が告げる。
《君たちの親友や仲間が命を落としたのは、ひとえに私の力不足だ。君たちが私を断罪したいというなら、どんな処罰でも受ける覚悟である。ただ、今はどうしても皆の力が必要なんだ》
その言葉を受けて、のっそりとダンがマイクを受け取った。
《というわけだ。早速だが、これまでの状況を整理し、次の戦いに備えたい。よろしく頼む》
ダンはいつになくきっぱりとした口調で告げ、敬礼した。なかなか、いや、かなり様になっている。
すると、夏鈴も含め皆が立ち上がり、ざっと返礼した。俺も慌てて同じ所作を取る。
ダンはすぐに敬礼を解き、着席を促す。
《現在入手した情報によれば、敵は『オウガ』と名乗る魔族を筆頭に、現界を侵略しようと試みている。地政学的に日本の、この地域が選ばれたのは、我々にとっては不幸だったかもしれない》
だが、俺には一つ疑問があった。カマキリの話を思い返せば、オウガはここ十数年、『魔王の力だ』と言って、魔獣を現界に送り込んで来ていた。
正直に『自分が力を発揮したのだ』と言った方が、魔族組織での存在感を表すことができただろうに。何故、魔王の実績だと言っていたのだろう。
その疑問は、ダンの次の説明で解決した。
《オウガを始め、他の魔族たちは皆凄まじい魔力を有している。だが、魔王には到底及ばない。恐らくオウガは、何らかの手段で、休眠中の魔王から魔力供給を受けているようだ。彼のみが知る手段で。方法は分からないが》
魔力供給? そんなことをしていたのか。魔王、いや親父の力は、何にでも通用するんだな。
《そこで、我々技術研究部が開発した特殊弾頭を、次回以降使っていただきたい。これだ》
すっとダンが白衣のポケットから、一つの金属片を取り出す。弾丸のようだ。
《十ミリ爆裂弾退魔仕様の、バージョン15。軽量化と貫通性の強化を施してある。後は使ってもらうしかない》
俺はただただ、説明を受け続けるしかなかった。だが分かったのは、オウガを倒して親父をぶん殴れば、この戦いは終わるということだ。
もしかしたら、俺があともう少し我慢すれば、この危機を乗り切れるのかもしれない。
その時だった。緊急通信が会議室中に轟いたのは。
《至急至急! 黒木邸に異状あり! 魔力反応、増大中!》
「何だと!」
マイクも介さずに大声を上げたのは波崎だ。同時に、ビリッと電流が走ったかのような緊張感が、会議室中に広まった。反響し、俺たち一人一人の頭蓋を揺さぶる。
《黒木邸の防衛にあたっていた機動隊及び警官隊、通信途絶!》
「最寄りのCS戦闘員を急行させろ! 何としても、黒木羽奈の身柄は守り抜け!」
波崎の怒鳴り声は、ダンの手にしたマイクの主導権を呆気なく横取りした。
「動ける者は、直ちに急行せよ! 市街地及び住宅街に、緊急避難指示を出せ!」
すると、波崎の副官と思しき戦闘員が弱々しく声をかけた。
「何? 防衛省に対する越権行為? 構わん! 全責任は私が取る! 総員、第二種装備で、二百秒以内に出撃準備を完了させろ!」
ところどころで『了解』の声が上がる。しかしその時、既に俺は、波崎に向かって駆け出していた。
「波崎隊長、今度の魔獣や魔族の判別は出来ますか?」
「残念だが、翼くん」
俺の肩をそっと抑えたのは、ダンだ。
「現在の我々の装備では、そこまで詳細な感知はできないんだ。一つ言えるのは、カマキリと同等か、それ以上の魔力反応が示されている、ということだけだね」
「くそっ!」
傍若無人な悪態をつく俺。その背中に、肘鉄が入った。
「いてっ! 何すんだよ、夏鈴!」
「お前こそ何をしている。妹さんを守らなければ」
『一緒に来い』と促されて、反論の余地はなかった。
※
俺が乗り込んだのは、幌付きのトラックだった。以前も一度、乗ったことがある。
間近にあったから乗り込んだだけなのだが、これはちょうどよかったようだ。俺とて、望むと望まざるとに関わらず、戦力に数えられている。
しかも、今回は羽奈の身に危険が迫っているのだ。俺が戦わなくてどうする?
続けて乗り込んできたのは夏鈴、次に波崎だった。
「全員、退魔弾頭は装備してあるな? 一気に片を付けるぞ!」
応、と男たちの声が木霊する。一方、俺はと言えば。
「羽奈……羽奈……」
そう呟きながら、全身を震わせていた。
自分でも意外なほど、俺は胸中の不安、いや、恐怖を押さえ込めないでいる。羽奈が殺されてしまうのではないか、という恐怖だ。
「どうして……一体どうして俺たちが魔王の子供なんだよ……!」
すると、ぐいっと肩を抱き寄せられた。夏鈴だった。
「なっ、何を……⁉」
俺は一瞬、ほんの僅かな間だけ、羽奈に迫る危機のことを忘れた。
「親が誰だろうが、お前はお前だ、黒木翼。私が見込んだ男が、そう悲観的な見方をするもんじゃない」
「はっ、はあ⁉」
わけが分からない。いつの間に、俺は夏鈴に見込まれたんだ?
だが、一つ確実なことがある。
俺の頭部を胸に抱いて、夏鈴はそっと髪を撫でてくれている――それが意外なほど、俺の心を静めるのに効果的だったということだ。
その時、アナウンスが入った。
《現場到着まで、残り三百秒。総員、戦闘用意》
はっと身を起こした俺に、夏鈴が言う。
「大丈夫だ。相手が羽奈さんを人質にするつもりなら、銃撃は行われない」
どこまで信用したものか。俺は疑わしさを拭いきれず、夏鈴の目を見返した。
そこにあったのは、さしずめシャッターとでもいったところか。瞳の前にシャッターが下ろされている。
完全に、自分自身を戦場に追い込む覚悟ができているらしい。そうでなければ、彼女の瞳には何らかの感情が見えたはずなのだ。
《目標視認》
運転手からの声が入る。荷台にいた全員は、荷台前方に配された小型ディスプレイに見入った。CSのヘリからの映像だ。住み慣れた我が家が映っている。
家の付近では、既に殲滅されたと思しき警官隊の乗っていた車が爆発炎上。民間人の避難は進んでいるが、人員が足りない。これでは、犠牲者が出る。
「俺が戦います。いや、俺だけでいいです」
「翼?」
夏鈴がさっと顔をこちらに向ける。
「これだけ人が密集していれば、流石にCSの作戦行動の範疇とはいえ、攻撃はできないでしょう? 自衛隊の一部なんだから」
これは波崎に向けた言葉だ。
彼は隻眼を見開き、むっと顔を顰めた。俺の言葉に怒ったというより、逆に俺の身を案じているかのようだ。
それからすぐに、波崎は自分の防弾ベストの襟元に付けられたマイクに吹き込んだ。
「総員、射撃待て。黒木翼が、単独での魔族殲滅を提案している。私は彼の意志を尊重しようと思う。繰り返す。総員、射撃待て」
そうだ。それでいい。妹の命を守るのは、兄の務めだ。誰にも譲れない。
車両が停車した時、そこには禍々しい光景が広がっていた。炎上する覆面パトカーの向こう、家の屋根の上に、真っ白い装束の長身の人物が立っている。魔族だ。
だが、カマキリとは雰囲気が違う。まず体型からして、女性であるように思われた。
《総員、撃ち方待て》
波崎の声に押されるように、俺は一歩、魔族に歩み寄る。
「あら、お兄さん。あなたから出向いてくださるなんて、光栄だわ」
化粧っ気のない、しかし目鼻立ちのはっきりした欧州系の顔つき。目は青く、不気味に光っている。
「羽奈はどうした?」
「そう怖い顔しないでよ、お兄さん。無事よ、無事。指一本触れちゃいないわ。それと私のことだけど。うーん、スパイダー、とでも呼んでもらおうかしら? あいつがカマキリだったんだものね」
「羽奈を返せ」
俺は我ながら冷たい声で迫ったが、スパイダーは怯む素振りも見せない。
「さあ、お兄さんが迎えに来ましたよ、羽奈ちゃん」
すると、何の力も込められていないのに、玄関ドアが開いた。そこから歩み出てきたのは――。
「羽奈ッ!」
目をつむったままの羽奈だ。操られているのだろうか。
「指は触れてないけど、糸は触れてるわ。私、蜘蛛だから。まあ、やりたいことは、あなたと、それに羽奈ちゃんのスカウトね。魔界に来ないかって」
「ああそう、そいつは有難い話だ、なっ!」
俺は躱されると思いながら、魔弾を放った。しかし、それはスパイダーに当たる前に消滅してしまう。
スパイダーは頬を緩めたままだ。
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