第4話


         ※


 駅前での解散から、約十分後。

 俺は閑静な住宅街を歩いていた。このあたりは、高級マンションや立派な造りの一軒家が建ち並び、部外者に対してどこかよそよそしい感じを与えている。

 ちなみに、俺と妹の羽奈が二人で暮らしているマンションは、もう少し駅から離れた中央繁華街の先にある。徒歩だからあと二十分くらいだろうか。


 ちょっとした昔話だが、俺たちの父親は多忙な身の上であるらしい。『らしい』と言ったのは、詳しいことが分からないからだ。ここ十数年、俺たちの前に姿を現さず、世界中のどこで何をしているか見当もつかない。

 まあそれでも、俺と羽奈の生活費は毎月きっちり、十分すぎるほど振り込んでくれている。生きてはいるんだろうな、多分。


 母親は病死している。俺が四歳、羽奈が一歳の時だ。正直、ぼんやりとした印象しか残っておらず、自分でもどう捉えたらいいのか分からない。

 記憶のあやふやな人間の分類は、流石にできない。


「ふむ……」


 俺はため息まじりに唸りながら、自分の生い立ちについて考えた。考えて考えて考えて、背後から迫ってくる気配に全く気づかなかったのだ。


「が」


 という、短い息が漏れた。同時に後頭部に走る鈍痛。致命的な激痛ではなかったものの、俺の意識を奪うには十分すぎる、的確な打撃だった。

 ああ、羽奈はちゃんと夕食を食べているかな。そんな中途半端なことを思いながら、俺はうつ伏せに、つんのめるようにして転倒した。


         ※


 覚醒が早かったのは、聴覚だった。轟々と空を切る音が響き渡っている。時折くぐもった人の声がする。無線機を介して会話しているのだろうか。

 次に、自分の姿勢がどうなっているかを把握した。椅子に座らされている。俺の臀部や背中と接するシートには、不快な振動が走っている。腕を動かしてみようとしたが、何故か動かない。


 はっとして目を開くと、やたら厳つい男たちが目の前に並んでいた。この狭い空間に、目の前に四人が俺と対面するように座している。

 顔だけを向けて真横を見ると、右側にはやはり大柄な男が座っていて俺の腕をがっちり押さえていた。

 左腕も同じような状況だったが、意外なことが一つ。俺の左腕を押さえているのは、屈強な男ではなかった。線の細い体躯をしており、俺より小柄と言ってもいいくらいの人物だ。


 俺はしばし、周囲の状況把握に努めた。

 一体ここはどこなんだ? 気を失ってから、俺はどうした? この男たちは、何者なんだ?


「気づいたか、黒木翼」


 唐突に声を掛けられて、思わずびくりと背筋を伸ばした。聡とは比べ物にならない、重苦しい声が俺の名を告げている。

 顔を上げると、俺の前に並んで座っている男たちのうち、一人がこちらを睨んでいた。


 正直、怯んだ。その男の顔には無数の傷があり、うち一つが、左目をざっくりと裂くように上下に走っている。


「あ、あ……」


 俺が声を出せないでいると、その男は淡々とした口調で語り出した。


「突然で済まないが、無理やり君を連れて来させてもらった。許せ」


『許せ』と言われても。確かに、彼らに無理やり連れてこられ、こんな居心地の悪い小部屋に押し込められてれば、不満の一つも出ようというものだ。

 だが、俺はそれを口にはできなかった。そんな文句をつけられるような状況ではなかったのだ。


 あまりにも、周囲の空気がピリピリしている。まるで皆が、死を覚悟しているかのようだ。この雰囲気に押し潰されそうになっていると、視界に驚くべきものが飛び込んできた。


「うわっ!」


 男たちの肩と肩の間で、金属製の重々しいものが揺れている。あれは、自動小銃だ。映画ではよく見かけるが、実物を見たのは初めてである。

 それこそ、これは映画の撮影か何かで、自動小銃はレプリカなのではないか。そう思えればいくらかマシだっただろう。

 だが、そんな疑いは湧いてこなかった。やはり男たちの醸し出す緊張感のためか。


「私は波崎宗一郎。階級は一佐だ。陸上自衛隊外郭組織の長を務めている」

「じ、自衛隊……」


 ああ、だから武器を持っているのか。ということは、彼らは何らかの目的を有して、まさに戦いに向かおうとしているのか。

 って、そんな呑気に考えている場合ではない。どうして俺が、その戦場に連行されなければならないんだ?


 この期に及んで、俺はようやくここがどこなのかを察した。ヘリコプターのキャビンだ。それなら、この空を切る回転翼の音や、不快な振動についても説明がつく。


「ちょ、ま、待ってくれ。どうして俺が、戦場に向かうヘリに乗せられてるんだ?」

「君の力を借りたい」

「はあっ?」


 俺は少しだけ身を乗り出した。


「お、俺の力って、どういう……?」

「君はまだ知らないだろうが、我々は君以上に、君自身のことを知っている。同意も得ずに連行してきたことについては、謝罪の言葉もない。だが、まずは我々が行っていることを見てもらい、その上で協力を仰ぎたい。以上だ」


 以上だ、って、それだけかい。そうツッコミたいのは山々だった。が、やはりこの、キャビンを内側からぶち壊しかねない緊張感の中では、流石に無理だった。


 すると、天井から音声が降ってきた。どうやら、ヘリのパイロットがマイクを使い、キャビン内に呼びかけているらしい。


《エコー1、目標上空に到達。付近民間人の退避完了》

《エコー2、目標を光学にて確認。射撃準備態勢に入る》

《エコー3、エコー2に続き、目標確認。空対地攻撃態勢を取る》


 波崎と名乗った隊長格の男が『了解』と吹き込んだ。


「よし、上空退避。黒木くん、これを」


 波崎が身を乗り出し、何かを差し出してくる。小振りの双眼鏡だった。

 俺はそれを受け取り、何事かと波崎を見上げる。


「現在、我々は目標上空にいる。背後の窓から状況が見えるはずだ。覗いてみてくれ」


 俺は波崎の右目を再び見返した。波崎が頷く。すると、俺を両脇から押さえていた力が弱まった。

 狭い中で身をよじり、背後の窓に手をついて、俺は双眼鏡を使ってみた。

 そして、息を飲んだ。


「な、何なんだ、あれ……」


 ヘリは見知らぬ山岳地帯の上空を飛んでいた。眼下もまた、夜空と同様に真っ暗だ。

 その中にぽつり、と真っ白な光が輝いていた。


 最初は、山中に取り残された車のランプかと思った。だが、違う。それはもぞもぞと動いている。


「生き物、なのか?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「は、はあ?」


 意味不明な物言いに、俺は窓から振り返った。


「あ、あれは一体何なんだよ? あんたは知ってるんだろう?」

「知っている。だが、それを今君に伝えたところで、信じてもらえるかどうかは不確かだ」


 俺は口をへの字に曲げた。


「俺が信じなかったら、どうするつもりだ?」

「それは先の話だ。不確かだとは言ったが、君が信じてくれれば状況は好転する。少なくとも、我々の方にはな」

「随分と身勝手な言い分だな」


 俺が反論すると、左側の脇腹に鈍痛が走った。


「いてっ! 何すんだよ⁉」


 俺を左から押さえていた小柄な戦闘員が、肘鉄を喰らわせてきたのだ。ヘルメットに付随したバイザーのせいで、その表情を窺い知ることはできない。


「止めないか、今はいかにして黒木くんに状況を受け入れてもらえるかが大事なんだ。彼の機嫌を損ねるな」


『了解』と小声で呟く戦闘員。それにしてもこの波崎という男、手段を択ばない性質なのかもしれない。俺のご機嫌取りをしていれば、俺を懐柔できるとでも思っているのだろうか。


 少なくとも、今の俺には選択肢は一つ限り。『NO』だ。

 俺は争いごとが嫌いだ。あの白い光を放つ生物(?)の存在は気になるが、俺が戦わされる理由はない。

 そもそも、俺は喧嘩が弱いんだ。こればっかりはどうしようもない。


「何故自分がここに連れてこられたのか、全く身に覚えがない。そんな顔だな、黒木くん」

「ええ」


 俺は大きく頷いてやった。


「だが、君は知らねばならない。自分がいかに重要な存在なのか。そして世界が今、どんな問題に直面しているか」


 いかに重要? 世界の問題? ますます俺から興味関心が遠ざかる。


「だ、だったらその自動小銃で、あの白い怪物をやっつければいいじゃないですか! 俺には銃なんて使えないし、戦力にはならない!」


 俺がそう叫んだ、その直後のことだった。


《エコー1、監視体制に移行》

《エコー2、射撃準備よし》

《エコー3、同じく射撃準備よし》


 僅かな沈黙の後、波崎はおれを一瞥しながら顔を上げた。


「了解。各機、攻撃を開始せよ」

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