第12話


         ※


 翌日、月曜日。

 街は物々しい雰囲気だった。


 そこら中にパトカーや消防車が配され、機動隊員の姿も見える。車もところどころで渋滞を起こし、電車の運行状況も減便が為されていると朝のニュースで聞いた。


 俺は昨日の夕方に、CSの一般車両で家に帰された。まだ羽奈は帰ってきていなかったし、不自然な点は残さずに済んでいるはずだ。


「ねえ、お兄ちゃん」

「んあ?」


 トーストを齧っていると、向かいの席の羽奈が問いかけてきた。


「昨日は何があったの?」


 俺は危うく、パン屑を肺に叩き込むところだった。思いっきりむせ返る。


「ちょっ、大丈夫⁉」


 慌てて牛乳を差し出す羽奈。俺は片手でそれを留め、どんどんと自分の胸を叩いた。


「あー……で、な、何だって?」

「昨日は何……ん、別にいいよ。気にしないで」


 俺の咳き込み具合があまりに酷かったのか、羽奈は追及してこなかった。有難いことではある。だが、やはり家族に隠し事をしているのは、気分のいいものではない。


 おまけに、俺はこの街が厳戒態勢を取っている理由を知っている。俺自身が命を張ったのだから。更に言えば、今目の前にいる妹のために、だ。


 俺はそれ以降、食欲が湧かなかった。かと言って、羽奈の手作り朝食を残すのも躊躇われたので、お替わりするか否かを尋ねられる前に早急に席を立った。


「あっ、お兄ちゃん!」

「悪い羽奈、今日はクラスで会議なんだ、先に出るぞ!」


『いってらっしゃーい』という声に背を押され、俺は玄関を出た。


 むっとするような湿気が身体にまとわりつく。『嫌な感じ』としか言いようのない、曇天下の街並み。まるで俺の心境を表しているようだ、と考えるのは穿ち過ぎだろうか。

 そんな中、パトカーの横をすり抜け、消防車をじとっと眺め、機動隊員が警備にあたる校門を通って教室に足を踏み入れた。


「あっ、翼! ちょっとちょっとちょっと!」

「うわっ! な、何だよ⁉」


 もの凄い勢いで迫ってきたのは、遥香だった。彼女の机のそばには聡と璃子が立っていて、何やら雑誌のようなものを覗き込んでいる。


「おう、翼」


 相変わらず低い声で、片手を上げてみせる聡。


「遥香ちゃん、まずは挨拶しなきゃ。おはよー、翼くん」


 こちらも変わらずおっとりとした挙動で頭を下げる璃子。


「なっ、なあ、この騒ぎは何なんだ?」


 遥香に腕を引かれながら、俺は尋ねた。

 教室に入った時は遥香にばかり気を取られていたが、教室全体が熱気を帯びているように感じられる。皆が興奮し、しきりに持論をまくし立てていた。


 何についての持論なのか? 言うまでもない。昨日俺が参加した戦闘、及び街の警備状況についての持論だ。


「それより翼、これ見てよ!」


 ばさっ! と眼前に見開きの雑誌を突きつけられ、俺は焦点が合わなくなった。


「み、見えねえ! 近いんだよ!」

「ああ、ごめん」


 遥香はあっさりと引き下がり、同時に雑誌を遠のけた。

 

「でも大ニュースだよ、これ! 自衛隊が怪物と戦ったんだって!」


 キラキラ瞳を輝かせる遥香。彼女に向かって、適当な態度を取るわけにはいかなかった。

 機嫌を損ねないように、という意図もあるが、それだけではない。俺があまりにドライなリアクションを取ると、俺が事実を知っていること、ひいては現場にいたことがバレてしまう。


「へ、へえー、そ、そりゃあ大変だなあ」

「何よ、その薄っぺらいリアクションは!」


 げっ、バレたか。しかし遥香は、『翼、あんた寝ぼけてんじゃないの?』と別な方向に考えてくれた。


 ひとまず俺も、その雑誌に掲載されている写真を見る。

 モノクロではあったが、そこには明確にコモドオオトカゲの輝く姿が写し出されていた。同じ見開きには、自衛隊のヘリを見上げた写真。

 さらに次のページには、こちらもモノクロだが真っ白い何かがたくさん空を舞っていた。カラスだろう。陸自の対空高射砲もバッチリ写っている。

 きっと、週刊誌に情報をリークした不届き者がいたのだろう。


「おい、大丈夫か、翼? 顔色が悪いぞ」

「ん? あ、ああ、ビビッてな」


 聡の心配を、適当に受け流す。申し訳ない気もしたが、その『適当に』というところがポイントなのだ。上手く躱さなければ、俺が関係者だとバレてしまう。


 ふと、もう一人の関係者、夏鈴の席を見遣った。夏鈴は今日の授業の予習と思しき作業に取り組んでいた。やはり、彼女の周囲に人影はない。


「ちょっと翼! 転校生がどうかしたの?」


 苛立ちを隠すことなく、遥香が問うてくる。


「今はあいつのことなんて関係ないでしょ、あんたはどう思う、この写真! それに今の街の現状とか!」

「遥香ちゃん、そんなにいっぺんに訊かれても、翼くんだって困っちゃうよー? 一つ一つじっくり考えて――」


 しかし、俺の弁護を試みた璃子の言葉は、唐突に開いた教室扉の音で掻き消されてしまった。


「よーし、皆席に着いてくれ」


 担任の男性教諭が、今日のスケジュールを発表する。

 授業は午前中で終わり。部活動もなし。帰りは寄り道せず、家に籠って外出を控えること。

 ざっとこんなところだ。


 しかし、四校時目の授業が終わっても、教室を去る生徒は少なかった。皆、朝の持論発表大会に戻ってしまったのだ。例外は夏鈴ぐらいのものだろうか。

 俺は無知を装うべく、仲良し四人組の中で司会進行を務めた。


「で、聡、お前はどう思うんだ?」

「僕は、そうだな、この怪物は、新種の恐竜とか、その生き残りなんじゃないかと思う」

「それが、日本のこんな山の中に出てきた、と?」

「可能性なくはないだろ?」


 ふむ。一度、四人で納得する。その時間を設けた上で、今度は璃子が語り出した。


「私はちょっと違うんだー。この怪物は、自衛隊の造っていた生物兵器だよ!」

「あーあ、また始まったよ、璃子の陰謀説。翼、責任取ってよね!」

「いきなり俺に振るなよ、遥香!」

「まあまあ、皆落ち着いて聞いてよー」


 璃子の話では、生物兵器というのは、何もウィルス兵器ばかりではないらしい。完全自動化が進んだ軍事基地を制圧するには物理的な力が必要だし、そのためには人間より遥かに強大な力を有する存在が必要だ。その存在、あるいは存在の試作品が、これらの怪物である、と。


 ふむ。再び四人で黙り込む。


「それで翼、お前はどう思う?」

「……はえ?」

「何だ、その間抜けな声は。お前だったら、どう考えるのかと訊いてるんだ」


 俺にずいっと身を寄せる聡。傍から見たらカツアゲである。


「俺、だったら……」


 ああくそっ、こんな時に限って上手いガセネタが思いつかない。もっと考えておけばよかった。


 ちょうどその時、俺のスマホが鳴った。羽奈からメールだった。一人で帰るのが怖いから、中学校の校門前まで迎えに来てほしい、とのことだ。高校から三分もかからない。


「ああ、悪い。羽奈のやつ、俺と一緒に帰りたいっていうから、迎えに行かねえと」

「おっと、それは大事な任務だねえ、お兄ちゃん?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべる遥香。


「うるせえな。お前らもさっさと帰れよ? 今警察に絡まれたら面倒だからな」

「はーい」

「分かっている」

「心配しなさんな!」


 璃子、聡、遥香の返答を耳に、俺は教室を後にした。


         ※


「おう、羽奈」

「あっ、お兄ちゃん!」


 羽奈の姿を認めて、俺は片手を上げて声をかけた。羽奈もぶんぶんと腕を振ってくる。この暑いのに、元気なことだ。


「そんじゃま、帰るか」

「うん!」


 嬉しそうに頷く羽奈。曇天のせいか、俺にはその笑顔が妙に眩しく見えた。

 そして、気づいた。俺が守りたいのは、この笑顔なのだ。

 魔王の子供として血を分けた、唯一無二の存在。羽奈に事実を知られず、心安らかに過ごしてもらえれば、俺はそれだけでいいのかもしれない。


「たっだいま~!」

「ただいまーっと」


 羽奈と俺は、お互いいつも通りの通学路を通って、いつも通りに帰ってきた。一つ違うのは、やはり帰宅時間が早いということか。

 この蒸し暑さのため、羽奈の昼食に対する創作意欲はごっそり削られていた。俺は『カップ麺でいい』と申し出て、羽奈も遺憾ながらそれを了承した形だ。


 テレビを点け、二人で麺をすすりながらニュースをチェック。

 この街にテロリストが潜伏している、という通説を持ち出すコメンテーターもいれば、怪物騒ぎを真に受けて、興奮を隠しきれないオカルト好きな評論家もいる。


「全く、物好きなこった。なあ、羽奈?」


 そう声をかけると、羽奈は黙り込んでしまった。


「どうした、羽奈?」

「お兄ちゃん」


 カタン、と箸を置いて、羽奈は俺と目を合わせた。そこに込められている迫力に、俺は思わず息を飲んだ。


「お兄ちゃんは、この事件に関わっていないよね?」


 今度は俺が、箸を取り落とす番だった。

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