6-5. ラストでファーストな恋

 この男は、『恋愛経験も女性経験もないことが未練』だと言っていたが、正確にはそうではない。


 生を全うし、幽霊となった今になって『初恋』を経験した。

 その気持ちをどうにかして伝えたい――それこそが未練となっているのだ。


「思い出せ。こいつが事務所にやってきたときのことを」


 キョトンとした顔をする三名と、見るからに狼狽える一名。

 こいつらに言い聞かせるよう、肝緒が事務所に現れた際の台詞を復唱していく。


『きっ、肝緒きもお汰乙たおつといいます、フヒッ。ゆ、幽子さんが墓場で『幽霊の見える探偵が、成仏できない幽霊の未練を解消するボランティアをやってる』って話してるのを、コポォ、き、聞いて……』


 確かこいつは、こんなことを言っていたはずだ。

 フヒッ、とかコポォ、に惑わされていたが、ここには奴の未練を知る大きなヒントが隠されていた。


「幽子。この男の印象を挙げていってくれ」

「コミュ障」

「フヒィ!?」

「陰キャ」

「コポォ!」

「女の子の目を見て話せない」

「フォカヌポォ……」


 それくらいにしておいてやれよ。


「ま、そんなところだ。人と話すのが苦手、女の子となんて言語道断――そんなやつが幽子の話を盗み聞きして事務所にやってくるなんざ、随分と行動的だと思わんか?」


 こいつの人見知りっぷりと女苦手は、自他共に認めるものだ。

 そんなやつが、墓場で騒いでる女のあとをつけて俺の事務所までやってくる、それ自体が不自然だ。


「それにお前、ちゃんと『幽子』って名前まで把握してるしな」

「あっ……」

「私はまだこの名前、納得いってないからね」


 そう、こいつは『幽子』という名前に納得がいっていない。

 だから、自ら『私は幽子です』とあまり名乗りたがらないのだ。


 それなのに『幽子』というニックネームを知っているということは、かなりこいつに着いて回っていたのかもしれないな。



「大方、墓場で色んな奴に声をかけてる幽子を見て、一目惚れでもしたんだろ。それで居ても立っても居られずに、跡をつけた――違うか?」



 女の趣味にとやかく言うつもりはない。

 こいつにとって、老若男女関係なしに笑顔を振りまく幽子は、それはとても魅力的に見えたんじゃないだろうか。


「ぼ、僕は、女の子と話すの、ホントに苦手で。で、でも幽子さんは、誰だろうとお構いなしに、げ、元気に話しかけてて。さ、最初はそれがすごいなあって、見てただけなんです」


 観念した肝緒は、いつものようにたどたどしく、けれどもしっかりとした口調で感情を吐露しだした。


「け、けど、次第に幽子さんを目で追っている内に、どんどんと気持ちが、その、お、抑えられなくなっていって。こ、この一週間、デートしてくれた時も、僕全然上手く喋れないのに、それでも一所懸命で。そ、そんな幽子さんを見てたら、ま、ますます好きに――」

「おいキモオタ」

「フヒィ!?」


 だらだらと自らの恋慕を語る肝緒を、俺は止めてやる。

 その感情を俺が聞いて、どうするってんだ。



「それを言うのは、俺じゃねえだろ」



 聞かせるべき相手は、この色気なし女幽霊だろうよ。


「ゆ、幽子さん、フヒッ、え、えっと、その……」


 肝緒は恐る恐るも振り返り、幽子へと向き直った。

 その目は相変わらず、彼女を真っすぐと見ることはない。だがしかし、その感情は、真直ぐと幽子へ向かっていた。


「げ、元気で明るい、あなたが好きです! あ、あなたの笑顔が大好きです! だ、だから僕と――」

「え、ちょ、ごめんなさい」

「コポォォォォ!?」


 バッサリと切り捨ててみせた幽子へ、肝緒は初めて向き直った。


「私、もっとクールでカッコいい人がタイプだし」

「フヒィ……」

「そもそも、『フヒィ』とか『コポォ』とか、もっとハッキリ喋ってよ」

「コポォ……」

「そもそも顔が好みじゃ――」


 おい馬鹿助手。

 死体蹴りはやめろ、こいつ白目向いてんぞ。



「だからさ、今度はクールでカッコいい男を目指してよ――成仏して生まれ変わったらさ! そしたら、私なんてコロッと惚れちゃうと思うよ!」



 だが幽子は最後に、とびっきりの笑顔でそう言って、ウインクをしてみせた。


 なるほどな。

 肝緒は、こいつのこういう底抜けた明るさに、惹かれたのかもしれない。


「フ、フヒヒ……」


 肝緒の体が、段々と透けていっているのが見て取れる。

 『幽子とお近づきになりたい』という未練も解消され、『来世は幽子好みの男になりたい』と、成仏へと前向きな気持ちになったのだろう。


 これを計算でやっていたならば、幽子はとんでもなく計算高い女かもしれないな。ま、天然でやってるんだろうけど。


「あ、ありがとうございます……幽子さん……。ぼ、僕、来世ではきっと、そ、その、ちゃんと女の子と話せるような男になります……」

「できればイケメンでお願いね」

「コポォ……」


 相変わらず呻き声だか溜息だかよくわからない声を出した刹那、肝緒汰乙の姿は昼下がりの街並みの中へと消えていった。


 思いを告げ、それを断られ、未来へ夢見る。

 生前に行えなかった青春が――彼の最初で最後の恋が、幕を閉じた。


「と、いうことは……」


 彼が消えてから数秒、何とも言えぬ沈黙が俺たちの間を流れる。

 そしてそれを破ったのは――


「私の勝ちだあああああ! うおおおおおお! ざまあみろおおおお! うははははは!」


 余韻もくそもない、幽子の歓喜の声だった。


「いやほとんど深見さんが……まあいいか」

「あとはあんただけだな、嬢ちゃん。ま、折原とよろしくやっといてくれ」

「…………」

「嬢ちゃん?」


 形はどうであれ、助手同士の対決は幽子の勝利となった。

 あとは勝敗とか関係なく、すっかり取り残されてしまった夢見瑠子を折原が成仏させれば、この一件はすべて終了である。


 折原に残りは託し俺たちは退散、事務所でコーヒーと煙草でもやって余韻に浸ろう――



「………かっこいい」



 と思っていたの、だが。

 やけに熱っぽい視線を俺に向ける夢見の瞳が、そうはさせないと物語っていた。


「へ?」

「おい折原、よくわからんがあとは――」

「あ、あの! わ、私、深見さんのことが好きです!」


 この女、とんでもない爆弾を放り込んできやがった。


「ど、どういうことしょちょー!?」

「る、瑠子ちゃん、いきなりどうしたの」

「肝緒さんの今の告白を見て、わ、私も勇気を出さなきゃって!」


 慌てふためく二人の助手。

 そんなことをお構いなしに、恋に夢みる少女は顔を真っ赤にさせながら、聞いたこともないような大声を張り上げる。


「わ、私、渋い年上の人がす、好きで! は、初めて見た時から深見さんのこと、結構いいなあって思ってたんです!」


 今ほど、彼女が幽霊でよかったと思ったことはない。

 人の往来もそこそこにある道の真ん中で少女にこんな告白をされた日にゃ、国家権力さんたちが黙っていないもの。


「そ、それで、さっきの推理と、幽子さんと肝緒さんへの対応を見て……。すっごくクールだなあ、渋いなあ、かっこいいなあって……! ほんと、大好きになりました……! わ、私でよかったら――」


 流石に、この展開は予想できなかった。

 恋に恋する少女だとは思っていたが、まさかここまで脳内お花畑だなんて思ってもいなかったよ。


 彼女はやはり、現実の大人を知らない、大人に幻想を抱く、夢見る少女だったのだ。だから、俺みたいな大人に自分の理想の姿を重ねてしまっている。思えば、当時中学生だった天斎てんさいもそんな感じだったか。


「あのな、嬢ちゃん……」


 ならば俺にできることはひとつ。

 現実を、大人の男とはどんなものかを、見せてやるまで。


 少女を夢から覚ませてやるのも、大人の務めか。

 先ほどの幽子が使った手法を、ここはひとつ、真似させてもらうとしよう。



「おじさんな、もっと色気ムンムンのナイスバディな大人なお姉さんが好きなんだ。成仏してそんなお姉さんに生まれ変わったら、何ラウンドでも相手してあげるよ」



 助手たちの『最低だよあんた』という言葉の嵐の中、目尻に涙を溜めつつもにっこりと笑う少女の幽霊は、来世に希望を持ちながら――ゆっくりと空の中へと消えていった。


 最初で最後の恋を、『失恋』というかたちで終えた二人の幽霊。

 けれども彼女らは、この秋晴れの空のように爽やかな最期を迎え、天に昇って行った。



「なにイイ感じで終わらせようとしてんすか」

「しょちょー、ちょっとマジで少しは反省しなよ」



 えっと、なんか、すまんかった。

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