4話 任侠に生きる漢たち

4-1. カタギじゃないのよオヤジは

 今俺は、かつてない窮地に立たされている。

 名探偵・深見昇一、最大の修羅場と言っても過言ではないかもしれない。


「ワレこらどこのシマのもんじゃボケェ!」

「さっさと言わんと、首から上が胴体とおさらばするでェ!」

タマァ取られたくなかったらとっとと吐かんかいオラァ!」


 顔中傷だらけ、服の袖口からは入れ墨を覗かせ、いかにも『全員悪人』とでも言いたげなお兄さん方に、四方を囲まれているのだ。


 俺が正座しているのは、和室の大広間。

 壁には『アイラブ 義侠心』と書かれた掛軸があり、その下には日本刀のようなものが鎮座していて――



「ここがハジキ組の総本山だって知っての狼藉かァ!? どうにか言えゴルァアアア!」



 どう見ても、ヤのつく皆さんのお家です。

 本当にありがとうございました。


 だがここで尻込みしていては、名探偵の名が廃る。

 謎を解く手がかりを目の当たりにして膝をつくなど、反社会勢力に屈するなぞ、名探偵にどうしてできようか。


 俺がいたって冷静に、クールに、クレバーに、淡々と用件と要望を述べるまで。相手が『ヤのつく自由業』の者たちであろうと、それは変わらない。



「ヴォエッ……ごべんなざい……、いの、命だけ……ヴォエッ……命だけは……ふぇぇ……」



 はい無理。

 めちゃくちゃ怖い、泣きそう、漏らしそう。


「はっきり言えやボケカスゥ!」

「畳の上で吐きでもしたら、ただじゃおかねえぞゴルァ!」

「ごべんなざい……ふぇぇ……」

「その『ふぇぇ……』ってのやめろ気色悪ィ!」

yeahいぇぇ……」

「こいつ結構余裕あるな」


 なぜこんなことになってしまったのか。

 恐怖で満たされていく頭の中で、それを必死に思い出していく。


 話は、事務所に幽子バカがやってきた今朝まで遡る――



 ◆



 幽子が事務所に転がり込んできて、三ヶ月くらいが経った。


 季節はもうすっかりと夏。

 暑さのせいか盆があるからかは知らんが、一年の中で最も怪談話なんかが話される季節と言えよう。


 だがそんな風物詩、この事務所には関係がない。


「おはよー、しょちょー! 今日も死にそうな顔してるね」

「死人に言われると笑えんな」


 だって、毎日幽霊見てんだもん。

 季節感もクソもない。


「またクーラーつけずにいるの? 今日もめっちゃ暑いんでしょ?」

「貧乏探偵事務所でそんな電気食いモンスター使えるかよ。いいよなあ幽霊は、暑さ寒さ知らずで」


 ソファに寝転びながらうだうだと言い続ける俺をよそに、幽子はにこにこと笑みを絶やさない。

 

 ああ、俺は知っている。

 こういう顔をしているこいつは、ロクなことを言い出さない。


「お仕事してたら暑さなんて吹き飛ぶよ! という訳で……じゃじゃーん! 除霊のご依頼を持ってきましたー! お爺ちゃん、こっちこっち!」


 楽しくして仕方がないといった風な感じで、幽子は事務所の入口の方へと声をかけた。どうやらまた成仏できない幽霊を連れてきやがったみたいだ。


 ほら、ロクなことじゃない。


 だがまあしかし、幽子の言うことにも一理ある。

 このまま事務所にいても蒸されていくだけだし、幽霊とたわむれてりゃ少しは納涼になるやもしれん。


 彼女が連れてきた幽霊は『お爺ちゃん』らしいし、大した未練もなさそうだ。きっと除霊もすぐ済むだろ――



あんちゃんが……、幽霊が見えるっつう探偵か?」



 事務所の入口をすり抜けてきた姿に、俺の肝は冷え切った。


「なんだかしょぼくれたあんちゃんじゃのう。幽子ちゃん、本当に大丈夫なんか?」


 そう言って俺を一瞥する眼光は刃の切先のように鋭く、その顔には無数の刀傷が刻まれていて、腕から肩にかけてびっしりと刻まれた刺青が白装束越しからも窺える。


 いやいやいや。人を見かけで判断するのはよくない。

 こんなナリでも、きっと穏やかな好々爺で――


鎌瀬かませ組にカチコミかけた時を思い出すのう。確かあそこの事務所もこんな風にくたびれとった」


 はいアウト。

 もうこれ絶対アウト。龍の如く、レイジをアウトしてる方に違いない。


「……ちょっと幽子ちゃーん、おいでー」


 俺は満面の笑みを浮かべながら、幽子を呼び寄せる。

 えへへと言いながら近づいてきたバカの耳元に近づいて、こめかみをヒクヒクいわせながら小声で文句を言ってやる。


「おい! やばいってあの爺さん! 絶対にカタギじゃねえって! コンプライアンス考えろバカ!」

「昆布だかライスだか知らないけど、早く成仏させてあげようよ」


 馬鹿野郎、こんなのと関わったらこっちがお陀仏しちまうわ。


「今のご時世、ほんとうるさいんだから! 半グレとか反社会勢力とか! 半グレと繋がりありましたとか知られてみろ、事務所に誰も来なくなるぞ!?」

「これまでと変わんないじゃん」

「おっとこいつは一本」


 そんなやり取りを数回続けているうちに、とうとう幽子は歯を剥き出しにしてぷんすかと怒り始めた。


「もう、しょちょー! 人を見た目で判断するのはよくないよ! ねえ、お爺ちゃん?」


 久しぶりに自分が持ってきた仕事にケチをつけられた気分なのだろう。もっともなことを言いながら、爺さんの方へと振り返った。


 俺は爺さんの返事に一縷の望みをかける。

 頼む。顔の傷は何か不慮の事故でついたもので、刺青もファッションかなにかだと言ってくれ――



「ん? ワシか? ワシは関東ハジキ組っちゅうとこで組長をやっておった、園古えんこつめるいうモンじゃ」



 半グレどころか全グレじゃねえか。


「……幽子ちゃあん!?」

「わかんないじゃん! ハジキ組って名前の劇団かもしれないじゃん! 歌とか踊りとかしてたかもじゃん! ねえ、お爺ちゃん?」

団っちゅうか、団だのう」

「おっさすがお爺ちゃん、上手い!」

「ははっ、茶化すなよ嬢ちゃん」

「チャカ使ってただけに?」

「嬢ちゃんも言うねえ」


 知らなかったよ。

 ウチの助手は暑さや寒さをだけじゃなくて、まさか怖いものまで知らないなんて。


「話が逸れたな兄ちゃん。なんでもワシの未練を解消してくれるとか」


 もうこのまま一生逸れたままでいいのだが、爺さんはそれを許さない。


 聞きたくない。

 反社会勢力の首領ドンの未練なぞ、きっと危険な香りがするに決まってる。



「ワシの未練ちゅうのは、簡単な話だ。今ウチの組は次期組長を誰にするかで揉めてるらしくてな、それが気になっておちおち成仏もできんのよ。なんとかしてくれんか?」



 やはりというか、この極道爺さんの未練は、組絡みのことであるらしかった。きっとこの爺さんが死んでから、ハジキ組とやらはてんやわんやなのだろう。


 反社会勢力の調査など、死んでもごめんだ。

 ここは恐怖を押し殺し、きっぱりと冷静に、いたってクールにクレバーに、断らせていただこう。



「へ、へへっ……。お安い御用でやんす……」



 無理だよ。

 死んでもごめんだけど、断ったら多分死ぬもん。



 ◆



「黙ってちゃわかんねえぞアアン!?」

「ぶち喰らわしたろかボケェ!」

「ふぇぇ……」

「だからそれやめろ!」

даダァァ……」

「こいつ絶対余裕あるだろ」



 そして、冒頭へ戻る。

 助手よ。所長な、すぐにお前んところに行くかも。

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