4-2. オヤジの遺したもの
もう駄目だ。
俺はここでミンチにされてコンクリートに混ぜられて、アスファルトに生まれ変わるんだ。
願わくば、OLの通勤路になってる道のアスファルトがいいな。
「どうした騒々しいな」
これから始まるであろう幽霊ライフに思いを馳せていると、大広間の襖が空き、えらく渋く低い声が響き渡った。俺の四方を囲むお兄さん方につられ、声のあった方を見る。
「あ、アニキ! 実はですね、この男がどうやらここを嗅ぎまわっていたようで」
「なんだと?」
渋い声に相応な、渋い男だ。
身長は百八十センチはあろう、肩幅の広い厳つい男。幾つもの視線を潜り抜けてきたかのように見えるその眼光が、俺を捉えた。
『アニキ』と呼ばれていたことから察するに、彼がこの組の若頭だろうか。
「……
しかし彼は、実に冷静な男であるようだった。
品定めをするかのように俺を見た後、そう言ってチンピラたちをギロリと睨みつける。
これは僥倖、神は俺を見捨てはしなかった。
やはり信じる者は救われるのだ。
「そ、そうでさあ! あたしゃこの世界とはなんの関係もないただの一般人でさあ! しがない貧乏探偵やってるだけの――」
「……探偵だと?」
「あ」
「てめえ、探偵がここに何の用だ」
信じる者はすくわれる。
そう――足元をね。
「なんで探偵がここを嗅ぎまわってる? まさか、筋尾の差し金か?」
そう言ってアニキとやらは俺に詰め寄り、胸倉を掴む。膝は笑い、呼吸の仕方は忘れ、年甲斐もなく涙を流し、チビってしまいそうだ。
墓穴を掘るとは、まさにこのことか。
「しょちょー!」
「……まったく、何やってんだ兄ちゃん」
だが、墓も掘ってみるものだ。
こうして俺を救うべく、幽霊どもが這い出てくることがあるのだから。
「ゆ゛う゛ごぢゃあ゛ん……! ぐみ゛ぢょお゛……!」
「遅かった……もうゾンビに……」
「嬢ちゃん、汚いがまだ生きとるよ」
俺とは別行動をとって調査を進めていた助手たちの帰還に、俺は思わず泣きじゃくる。もうこの爺さんしか頼れる人はいない。溺れる者は、全グレをも掴むのだ。
「いいか、探偵の
俺の傍らへふわりとやってきた組長は、そっと俺に耳打ちをする。ぼそぼそとした彼の小さな声を、一語一句聞き漏らさぬように神経を尖らせた。
幽霊なんだから内緒話みたいにする必要ないのに――などと考えている余裕はない。ここは組長の言う通りにするとしよう。
「バレてしまっては仕方がない、私は探偵の深見昇一と申します。こそこそと調べ回るような真似をして申し訳ない。それには理由がありまして」
震える膝と肩と声を必死に抑えつけ、俺は平然を装って組長の言葉を自らの中で再編しながら喋っていく。名探偵の急な変わりようにヤーさんたちは困惑しているが、構わず続ける。
「組長さん――園古詰さんが亡くなったと聞き、色々と調べていたのです」
俺がそう言った瞬間、怖いお兄さん方が敷き詰める広間の空気が一瞬にしてひりついたように感じた。
「……オヤジが逝ったことを知ってるのは、まだごく一部だ。お前、どこからその情報を」
「私は組長さんが生前の頃からよくしてもらっておりまして……亡くなったと知り、本当に残念です」
「オヤジに探偵の知り合いがいたなんて、俺ァ聞いたことねえぞ。てめぇ、それが嘘だったらタダじゃ――」
「遺書」
「――――ッ!」
組長の言った言葉を復唱してやると、アニキと呼ばれた男の肩がピクリと動き、鋭い目は大きく見開かれた。
「遺書。見つかって、ないんでしょう?」
怒っていいのか驚いていいのかわからない、といった表情を浮かべる男を尻目に、俺は組長の台詞を代弁していく。
「だから貴方――
アニキと呼ばれた男――組長の爺さん曰く、若頭の仁義というらしい――は、様々な感情が入り混じった表情から、ようやく『驚愕』以外を取り除いたようだった。
「……遺書の件はウチの組の人間しか知らねえ、どうして――」
「組長さんは次期組長について頭を悩ませておられた。そして、組長さんが亡くなってなお、次期組長の話は出てこない。となれば、きっと遺書がないのだろうと推測したまでです。違いましたか?」
仁義守とやらの言葉を遮って、組長の呟きを流暢に紡ぎ続ける。
組長の言葉をすべて言い終えると、広間には長い沈黙が訪れた。
そしてその沈黙を破ったのは、勢いよく腰を下げて胡坐をかき、大きく頭を下げた若頭・仁義守の謝罪の言葉だった。
「オヤジの知人とは知らず、無礼を働いた。すまない」
生きてる、生きている。
この危機的状況を命からがら脱することができたと理解できた瞬間、全身から色々なところの力が抜けてしまった。
初めてかもしれない。
幽霊が見えてよかった、と思えたのは。
「まったくもぉう、しょちょーは世話が焼けるなあ」
前言撤回。
そもそも、幽霊が見えるせいでこいつと出会い、幽霊が見えるせいでこんなVシネみたいな仕事を任されたことを、忘れていた。
「探偵さん、どうかこの通り」
「え、ああ、はい。大丈夫っすよ指とか詰めなくて」
「申し訳ないとは思ってるが、さすがにそこまでは」
「え、そうなんすか。極道の人たちは感情が昂ったら指を詰めるものと」
「昂ってるんと違うわ、荒ぶってる言うんじゃそれは」
先ほどまでの理路整然とした様子とはまるで違う俺を見て、仁義一同はどこか困惑しているように見える。いやもう無理よ、気を張り詰めるのは。力も気も抜けきって、どこか遠いところへと消えてしまった。
「まあ、という訳です。次期組長が決まらんのも大変でしょう。しがない探偵でよければ、遺書探しを手伝いますよ」
どうやら遺書を見つけさえすれば、このドタバタお家騒動も収まりそうだ。気は乗らないが、さっさと見つけてさっさとおさらばしよう。
「……余計なことを」
と思ったが、ばつの悪そうな顔をした仁義はボソリとそう呟いた。
「アニキ! 探偵ってなら力強いっすよ!」
「そうっすよ! さっさと遺書を見つけてもらって――」
「黙ってろ。探偵さん、これはウチの組の問題だ。自分たちのケツは自分たちで拭く。悪いが結構だ、気持ちだけ貰っておくよ」
そう言って、仁義は俺に背を向けた。
極道の世界はよくわからないが、まあ色々としがらみとかがあるのだろう。
突き返されるのは願ったり叶ったりだが、死んだ組長と懇意だったと言ってしまった手前、簡単には引き下がれない。ここは自慢の演技力で、『本当に口惜しいけどそう言うなら仕方がない』感を出して帰るとしよう。
「あ、そっすか! いやあそれは残念だ! うん残念! それじゃあしゃあない! 名残惜しいけど帰りますね! ではでは、ごめんなすって!」
そう言って大広間を去っていった俺の演技力に、弾組の皆さんたちは声も出ない様子であった。
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