4-3. 探偵とアニキと時々オヤジ

「ほんと助かりました組長ぉ……」


 そそくさと弾組居城を後にした俺は、門を出たところで組長の足元へ縋り、大粒の涙を流しながら感謝の意を述べた。俺がこんな目に巻き込まれた原因そのものに感謝するのも、何だか腑に落ちないが。


「礼はいい。んじゃあ、あとは任せた」

「え、一緒に調査しないの?」

「ぎすぎすとした家族を見るのは気が滅入る。ワシは墓地ィ戻っとるわ。兄ちゃん、嬢ちゃん、すまんがウチの組をどうか頼む」


 俺が泣き終えるのも束の間、組長はばつの悪そうに頭をぼりぼりと掻きながら背を向け、宙へ浮かんで消えていった。


 何十年も面倒を見てきた『家族』が争っているのを見るのは、耐えがたいものなのだろう。


「どうするのしょちょー、これから」

「ふぇ……?」

「力も気も抜けすぎでしょ」


 へにゃりと腰を折っていると、幽子がそんなことを言う。

 どうするもこうするも、命からがら抜け出せたのだ。また極道さんとこへ行く気など起きるはずもない。


「どうするもくそも、もうこんな怖い思いしたくねえよ。やめだ、やめやめ」

「ちょ、何言ってんの!? 仕事は最後まで責任もってやろうよ!」

「俺の辞書には『責任』と『誠実』って文字はねえんだ」

「今すぐ焼きなよそんな辞書」

「『懐妊』と『性欲』にはマーカーが引いてある」

「BO〇K 〇OFですら買取拒否だよ」


 近頃はどうもこいつから尊敬の念とかリスペクトといったものを感じなくなってきている気がする。元々あったかどうか記憶にないが。


 ここはひとつ、格好いい姿を助手に見せてやらねば。

 所長としての名が廃る。


「それに俺は――今すぐやらなくちゃならないことがある」

「え……」


 最後の力を振り絞り、背筋を伸ばす。

 神妙な面持ちでネクタイを締めなおした俺の様子を見て、どうやら幽子はただならぬものを感じたようだ。


 名探偵として、探偵事務所の所長として、大人として、あるべき姿をこいつに見せなければ。こういう時、大人はあわてず騒がず、冷静に物事にあたるんだというところを、行動で示してやらねばなるまい。

 


「替えのパンツを買いに行かないと」

「そこの力だけは抜けてほしくなかったよ」



 お洒落は見えないところから、だ。若者よ。



 ◆



 すげえ爽やかな気分だぜ。

 新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ。


「いや実際新しいパンツはいたんでしょうが」


 新品のパンツを購入し履き替え服屋から出たところで、怒りと呆れをブレンドさせた表情の幽子が俺を出迎えた。


 曰く、もう一人の若頭・筋尾すじおとおすの居場所を突き止めたとかなんとか。


 無言で事務所へ帰ろうとする俺の体を何度もすり抜けては、そこへ向かうように催促してくる。最終的に俺は根負けし、幽子に誘導されるまま重い足を動かしたのだった。



「なんじゃワレコラボケェ!」

「ぶちくらわしたるぞボケカスゥ!」

「さっさと吐かんかいダボォ!」

「ふぇぇ……」


 んで、結局こうなるのね。

 うんうん、名探偵はわかってたよ。



「すまねぇ探偵の旦那。まさかオヤジの知り合いだったとはな」


 ガチガチと鳴る歯を必死に抑え、組長の遺書のことを若頭の筋尾に告げると、彼はすんなりと矛を収めた。連行から恐喝、恐喝から和解までの流れるような一幕、まるで先ほどの巻き戻し映像を見ているかのようだ。


「それで遺書の方を――」

「悪いが結構だ。これは俺たち組の問題だからな」


 そしてこの断り方も、巻き戻し映像のようだった。


「しょちょー……これじゃあ手詰まりだよ……」

「そっすか。じゃあ、少しお話を聞かせてもらえませんか?」


 本音を言うと、今すぐにでも帰ってソファに寝転んで先ほどの粗相を思い出して涙を流したいのだが。しかしそうするとこの助手が喚いて仕方がないので、早いところ解決しする方へと路線変更するとしよう。


「話ィ?」

「ええ。組長さんとは仲良くさせてもらっていましたが、組長さんはあまり自分のことを話したがらなくて。色々聞きたいんですよ」

「オヤジらしいのう」


 まずは情報収集からだ。

 依頼主もいなくなった今、あまりにも情報がなさすぎる。何かを聞き出そうと口からでまかせを言ってみたが、どうやら不審には思われていないようだ。


「オヤジは、『任侠』を絵に描いたような極道じゃった。義に厚く、俺たち『家族』を一番に考えとって、人情味に溢れた極道よ。それでいて、絶対にブレない信念を持ったおとこじゃ。俺たちは皆、そんなオヤジに憧れて、これまで極道やってきとる。それにオヤジは――オヤジがオヤジで――オヤジの中のオヤジ――」


 あ、もう大丈夫っす。お腹いっぱいっす。

 あなたのオヤジ愛は十分に伝わったっす。


「お爺ちゃん、愛されてたんだねえ」


 こいつは愛しすぎてちょっと怖いけど。


「へぇ。じゃあ仁義じんぎまもるさんもそうなんすね」

「……っ」


 その名前を口にした途端、筋尾のこめかみがぴくりと動いた。

 オヤジオヤジと飽食気味だったので話を変えようとしてみたのだが、どうやら正解だったようだ。


「おい探偵のおっさん! アニキの前で仁義さんの名前出すんじゃねえよ!」


 これは何か聞けそうだ――と思った矢先。

 質問を重ねようとした俺をチンピラの怒号が静止した。


 せっかく見つけた情報の糸口だったが、少々面倒なことになりそうだ。

 さて、どうやって仁義と筋尾の関係を聞き出せばよいだろうか。



「アニキと仁義さんはな、同じ時期に組に入った、親友であり因縁のライバルでもあり……そんな関係なんだよ!」

「常にいがみ合いつつも、心の内では互いに実力を認め合った戦友……アニキと仁義さんの関係は一言じゃ片づけられねえ!」

「そんな二人を、オヤジは特に可愛がってて!」

「組も仁義派と筋尾派で真っ二つよ!」

「仁義さんもすげえが、俺は絶対にアニキだって信じてるぜ!」

「ポックリ逝っちまったオヤジのためにも、早いとこ遺書を見つけねえとな!」

「お前らが一番、仁義のヤツの名前出しとるわアホが」



 と思ったが、あっさりと聞き出せた。

 少々面倒だと思っていたが、それ以上に面倒なのはこの『仁義・筋尾ファンクラブ』の面々に違いない。


「……まあこいつらの脚色はあるが、俺と仁義の関係はそんなとこよ。互いにいがみ合って、顔を合わせば文句を言い合って。それは遺書が見つからん今がピークかもしれんの」


 まあ、ここまで聞ければ上等か。

 ここで聞けることはすべて聞けただろう。あとの仕事は、バカの助手に任せるとしよう。

 

「アニキはな――アニキの中のアニキで――アニキ最高――アニキ思う故にアニキ在り――」


 壊れかけのレディオみたいになってしまったチンピラに背を向けて、俺は筋尾の根城をあとにした。



 ◆



 まっすぐ事務所へと向かう俺に、幽子は『なんかわかったの?』としつこく聞いてくる。まあ傍から見ていれば、アニキ馬鹿たちのアニキ自慢を聞いていただけに映っただろうしな。


 俺の推理を裏付けるには、幽霊であるこいつ力が必要だ。

 幽子に頭を下げるのは癪だが、まあこいつが持ってきた案件だ、喜んで手伝ってくれることだろう。


「幽子」

「……パンツ代がかさむね」


 違う、そうじゃない。


「仕事をくれてやる。お前にしかできない仕事だ」


 声の調子と表情から、俺が何かを掴んだことに幽子は気が付いたようだ。目を爛々と輝かせ、前のめりになって俺の言葉に耳を傾ける。


「お! なになに?」

「いいか? よく聞け――」


 赤べこのようにうんうんと頷き続ける助手に、俺は指令を告げていく。面倒ではあるが、内容はいたってシンプルだ。


 その仕事に、幽子は『めんどくさい』とも『やりがいない』などと文句の一つも言わず――



「ばっちこい! じゃあ行ってきます!」



 満面の笑みのまま、夕日差す空の向こうへと消えていった。

 こういう時、幽子の単純な性格は助かる。


 さて、と。

 じゃあ俺は事務所に戻って――



「パンツ、替えなきゃ……」



 粗相の後始末をば。

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