4-4. 睨み合う二匹の若頭

 目を血走らせた幽子が事務所へと帰ってきたのは、次の日の朝。


 彼女からの報告を聞いた俺は、自らの推理が正しかったことに確信を得た。

 となれば、善は急げだ。さっさとこのお家騒動にピリオドを打ち、極道たちからおさらばするとしよう。


「探偵のあんちゃん、話ってなんじゃ」


 諸々の準備を整えた頃には、夕刻となっていた。

 窓から差し込む西日も相まって、事務所へとやってきた男の顔はより強面に見える。


 反社の人間を迎え入れるのは気が引けるが、致し方ない。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。


 いや、違うな――



「お呼びたてして申し訳ない――仁義守さん」



 事務所に呼ばずんば真実を得ず、か。


「『組長さんの件で話がある』言うから来たが……なんだいったい」


 真実の鍵を握る男の表情は険しい。

 それもそうか。極道の若頭とあろうものが組長をダシにされて、しがない探偵風情に呼び出されたのだ。


「実はですね、組長さんの遺書の件で」

「あれは俺たちの問題言うたじゃろ。首を突っ込むなと――」

「――見つかりました」

「なっ……!?」


 ならば、さっさと本題に入るまで。


 俺は懐から『遺書』と書かれた封筒を取り出して、ひらひらと見せびらかす。

 仁義は険しい表情から一転、驚愕の色を浮かべるもまた一転、怒り心頭といった様子で青筋を浮かべてみせた。


「いやあ、まさかあんなところにあるとは。これは見つからないわけですよ。いやはや」

「おい探偵、嘘言うんじゃねェ。オヤジを愚弄するような真似――」

「おや、どうして嘘と?」


 ひくひくと口の端を吊り上げていた仁義が、ハッと息を呑む。『しまった』と言わんばかりの表情だ。


 十数秒ほど、重い静寂が流れる。

 その後、先ほどまでの威勢が消え失せた仁義の小さな声が、それを破った。 


「…………その『遺書』って字、オヤジのじゃねェ」

「随分と長い間だったな。だがまあ、上出来だ。あんたが言うように、これは組長さんの遺書じゃない。大家のババアにいつ殺されてもいいように持ち歩いてる、俺の遺書だよ」

「なんちゅうモン持ち歩いとるんじゃ」


 俺は遺書を破り、ゴミ箱へと捨てた。

 まあ、縁起でもないしね。


「その飄々としたのがお前の本性か、探偵。そんなもんまで見せつけて、何の真似じゃ」


 組長の名を借りてまでカマをかけた俺に、仁義は大層ご立腹の様子だ。

 このまま切り捨てメンゴされても困るので、さっさと結論から言うとしようか。



「仁義守さん。あなた、組長さんから遺書、受け取ったんでしょ?」



 極道お家騒動、その真相を。


「……何を言っとるんだお前は」

「実は昨日、もう一人の若頭のところにも行ってきたんだよ」

「……余計なことを」

「それ」

「あァ?」


 食い気味に仁義の言葉を指摘すると、威嚇するかのような声を上げた。


「俺が『遺書探しを手伝う』と言った時も、あんたはそう言った。そこからだな、ちょっとした違和感みたいのを感じ始めたのは」


 組の事にちょっかいを出すな、という意見はすごくわかる。

 けれども実際困っている状況で『余計なこと』と言うのは、どうしても違和感が拭えなかった。何か後ろめたいことがあるのでは、と勘繰ってしまうのも仕方がない。


「筋尾さんところの若いのが、やいのやいのと言ってたよ。まあそのほとんどは、二人の若頭への賛美だったがな。だがその中に、『おや?』と思うものがひとつあった」


 筋尾の部下の一人が言っていた言葉を、俺は思い出す。



『ポックリ逝っちまったオヤジのためにも、早いとこ遺書を見つけねえとな!』



 なんてことはない、その言葉を。


「それがどうしたんじゃ」

「俺はてっきり、組長は長いところ病に伏した結果死んだもんと思っていた」

「……どうしてそう思ったんじゃ」


 言葉尻が小さくなっていく仁義の額に、じんわりと汗が滲んでいるのが見えた。 


「そんなの簡単だ。あんたはずっと、からな」

「は?」

「遺書ってのは普通、自分の死期を悟った人間が書くものだ。まあ例外はもちろんあるだろうが」


 余命を宣告されたとか、もう先は長くないと誰もが悟る年齢になっただとか、そういう時に遺書とは書くものだ。もちろん極道の組長となればその限りではないだろうが。



「だが組長は、『ポックリ』と逝ったらしい。そして、遺書が見つからない。それなら――『遺書は書かずに死んだ』、まずはそう考えるのが普通だ」



 決してその限りではないだろうが、この選択肢が仁義になかったことが、どうしても解せなかった。


「なのにあんたはずっと、『どこを探しても遺書が見つからない』と言っていた。それはまるで――みたいに」


 彼の中には、最初からその選択肢はなかった。

 なぜなら、組長が遺書を書いていたことを、仁義は知っていたのだから。


「遺書の存在を知りながら、それをひた隠しにしている。自分の尊敬するオヤジの最期の言葉なのに、だ。そんなことをする理由はひとつしかない」


 仁義の歯ぎしりの音が、やけにうるさい。

 それを止めてやれるのは、真実という刃だけだろう。



「――次期組長は筋尾さんにするって、書かれてたんだろ?」



 俺はそれを、若頭の首元に突きつけた。


 仁義は、何も言わない。

 無言を貫く仁義が、事務所に訪れた静寂が、俺の推理をただ肯定する。


「そう仮説を立てると、あんたが漏らした『余計なことを』って台詞にも合点がいく。自分が筋尾に負けた証拠を見つけるってんだから、文字通り『余計なこと』だよな」


 がくりと項垂れて自白をはじめた仁義には、もうすでにハジキ組・若頭としての気迫はなかった。


 今ここには、ただひたすらに『親父』と『家族』に詫びを入れる、子供がいるだけだ。


「……オヤジがぶっ倒れた次の日、俺はオヤジに呼び出された。俺一人で、だ。すっかり弱り切ったオヤジは、『お前に託す』言うて遺書を渡してきた。俺は確信したよ、筋尾に勝ったんじゃって」


 次期組長筆頭と言われた二人の内、一人だけが組長の死に際に呼び出されたのだ。そう考えるのが当然だろう。


「その次の日、オヤジは死んだ。俺は遺書の封を開けたが……」


 そこには、自分ではない方の名前が書かれていた。

 尊敬するオヤジは、大好きな親父は、自分を選ばなかった。その絶望と困惑は想像に難くない。


「意味がわからんかった。筋尾を次期組長にする言う文を、俺に渡すだなんて。俺は何もかもわからんくなって、それを自室に隠してしもうた」


 組長からの遺書を破棄するようなことをこの男がするわけがない。

 そう思い、俺は遺書の捜索を幽子に託した。


 結果は、言うまでもない。


「わかっとる。俺より筋尾の方が組長の座にふさわしいなんて、そんなこと、あいつの横に誰よりもいた俺が一番わかっとる。だが俺は……」


 そこまで語ってもらえれば、十分だ。

 仁義の胸の内を聞いて、彼も色々と思うところがあったに違いない。



「だってよ――筋尾通さん」



 もう一人の、若頭も。


「……仁義」

「お、おい探偵! なんで筋尾がっ……!」


 事務所奥の給湯室からゆっくりと姿を現した筋尾通を見て、仁義は今日一番の困惑を見せてくれた。その声は、怒号にも悲鳴にも聞こえる。


「ああ、さっき彼にも同じ話をしたんだよ」

「同じ話だァ……?」


 それを宥めるように、俺は仁義の肩を叩く。

 その無礼な振る舞いに激昂することもせず、仁義はただ間延びした声を出すだけだった。



「『仁義守を次期組長とする』って遺書を受け取ったんでしょ――ってね」



 そして、さらに困惑した姿を見せてくれた。


「ど、どういうことだ……」

「そのまんま。筋尾さんもあんたと同じように、もう一方の若頭を組長にするって遺書を託されて、それを隠してたんだ」


 時を遡ること約一時間。

 俺は筋尾通を呼び出し、今しがた仁義に話したことと同じ内容を伝えた。


 彼もまた、組長からの遺書を受け取っていたのだ。仁義同様、遺書があると信じて疑っていなかったことから、簡単に推測できたことだ。


 彼の書斎で大事そうに保管された遺書は、これまたうちの助手が見つけてくれた。

 この二つの遺書の裏付けがなければ、こうして極道二人を事務所に呼ぶことなぞ、怖くてできたものではない。今回ばかりは幽子の手柄だな。



「……私の頑張りのお陰なのに、さっきから空気じゃない?」



 あとで労ってやるから、そう不貞腐れるな。

 今はおとこの世界、おとこの時間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る